賈樟柯(ジャ・ジャンクー)監督の新作『罪の手ざわり』が、いよいよ来週から公開となります。初期の3作品『一瞬の夢』 (1998)と『プラットホーム』 (2000)、そして『青の稲妻』 (2002)では、故郷山西省にこだわり、汾陽(フェンヤン)や大同(ダートン)でくすぶる若者たちを描きました。続いてそこから北京に視点を移したジャ・ジャンクー監督は、『世界』 (2004)という北京の世界各国テーマパークを舞台にした作品を作ります。その後作品の舞台は三峡ダム建設中の長江へと移動し、『長江哀歌』 (2006)、『四川のうた』(2008)などが誕生します。そして2013年、中国大陸を縦断する物語集『罪の手ざわり』が完成するのです。
『罪の手ざわり』は、まず山西省の山村から話が始まり、次にはそこを通過していった男の出身地、四川省の重慶近くの農村へ、さらにはその東にある湖北省の町で、やはり長江沿いにある宜昌(イーチャン)へ、そして4番目に、南部広東省の東莞で物語が語られて南行の旅は終わるのですが、最後の最後にエピローグが追加されます。いずれも殺人(自殺、という自分自身を殺す殺人も含む)がからむ物語で、現代中国に溢れる「罪」が、実際の事件を元にして観客に呈示されていきます。殺人場面では残酷な描写もあり、これまでのジャ・ジャンクー監督作品とは、文字通り「手ざわり」を異にしています。
劇中では、以前の作品では「哀しみ」として描かれてきた中国人の心にわだかまるものが、「怒り」のエネルギーに転化して噴出し始めたのでは、と思わせられる場面が多々あり、ジャ・ジャンクー監督が一歩踏み出したという印象も受けました。ジャ・ジャンクー監督の新境地とも見える『罪の手ざわり』、見ていると現代中国で起きている様々な事件が頭の中をよぎっていきます。この作品の主人公たちの後ろには、同じような人々が列をなしているとさえ思えてくるのは、ウィグル族のテロ事件始め、「怒り」の噴出による殺人事件が今もたびたび起こっているせいかも知れません。
ではまずは、基本データからご紹介しましょう。
© 2013 BANDAI VISUAL, BITTERS END, OFFICE KITANO
『罪の手ざわり』
2013年/中国=日本/129分/原題:天注定・英語題名:A Touch Of Sin
監督・脚本:(ジャ・ジャンクー)
出演:趙涛(チャオ・タオ)、姜武(チァン・ウー)、王宝強(ワン・バオチャン)、羅藍山(ルオ・ランシャン)
配給:ビターズ・エンド、オフィス北野
5/31(土)より Bunkamuraル・シネマほか全国順次ロードショー
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最初の山西省の物語の主人公は、炭鉱夫の大海/ダーハイ(チァン・ウー)。彼が働く炭鉱は、以前は村の共同所有でしたが、今では都会に住む実業家で同級生のジャオのものになっています。ダーハイは、村長と村の会計係がワイロをもらい、ジャオに炭鉱を下げ渡したと思っており、憤懣やるかたない思いに駆られています。政府に訴えようとしたダーハイはジャオの手下にスコップで殴られ、その様子がゴルフに似ているからと「ゴルフさん」と呼ばれるようになります。その時ダーハイの中で何かがプツリと切れ、猟銃を肩にしたダーハイは、会計係の家、村長が参る丘の上の廟、そしてジャオの会社へと乗り込んでいきます...。
これは、2001年10月に山西省の村で起きた、14人銃殺事件に基づくものとか。山西省方言をあやつり、チァン・ウーが自身の中で殺人の意志を膨れあがらせていく生真面目な男を、モンスター的な形象で演じています。
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ダーハイが殺人の意思を固めた時、そばをバイクで通っていったのが、四川省重慶市郊外の農村出身の周/チョウ(ワン・パオチャン)。彼はその直前、山道で強盗を働こうとした若者3人を拳銃で撃ち殺したばかりでした。チョウは村にいる妻には出稼ぎと偽って、その実強盗行脚を続けている男。母親の誕生日に合わせて帰省したチョウは、妻が自分を疑っていることを知ります。その前で、線香代わりのタバコ3本に火を点けるチョウ。自分が奪った命への弔いです。そして村をあとにしたチョウは、街で再び強盗行為を、用意周到かつ冷酷に実行するのですが....。
この事件のモデルは、2012年8月に重慶で強盗事件を起こし、数日後に警官隊に射殺された男。冷静な上に簡単に人の命を奪うその酷薄さを、ワン・パオチャンが別人のような無表情さで演じています。
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続く宜昌の事件の主人公は、風俗サウナの受付嬢で、不倫を続けている小玉/シャオユー(チャオ・タオ)。不倫の相手は、広東省で工場長を務める中年男佑良/ヨウリャンで、二人の関係はもうかなり長く続いています。シャオユーはヨウリャンに妻と別れてほしいと迫りますが、彼はハッキリと返事しません。そんなある日、シャオユーの職場にヨウリャンの妻と親族が乗り込んできて、シャオユーを襲います。何とか逃れたシャオユーでしたが、そのあとやってきたしつこい客に迫られ、「私は受付係ですから」と言うのに娼婦扱いする客に、ついにシャオユーの中で何かが爆発してしまいます。気が付くと彼女は、ヨウリャンの持ち物で、駅のセキュリティで引っかかったため預かったナイフを握りしめていました....。
ジャ・ジャンクー監督夫人であり、彼のミューズでもあるチャオ・タオが、強い女でありながら弱さもいっぱい持っているシャオユーを好演しています。特に最後の殺人場面には、胡金銓(キン・フー)監督作『侠女』 (1970)の徐楓がオーバーラップします。それもそのはず、『罪の手ざわり』の英語題名「A Touch of Sin」は、『侠女』の英語題名「A Touch of Zen」から取られているのですから。しかし侠女シャオユーは、そのあと暗い夜道をトボトボと、母が働いていた工事現場に向かって歩き続けるのです....。
© 2013 BANDAI VISUAL, BITTERS END, OFFICE KITANO
第4話は、広東省を舞台にしたストーリーで、主人公の年齢がぐっと下がります。ヨウリャンが工場長を務める工場で働く、まだ十代の青年小輝/シャオホイ(ルオ・ランシャン)は、縫製中の友人と無駄話していて、友人の手に大怪我を負わせてしまいます。責任を取らされ、彼の分をただ働きさせられることになったシャオホイは、そこを飛び出して東莞市のナイトクラブに就職。コスプレ・ダンサー嬢のリェンロンと親しくなります。ですが厳しい現実を突きつけられてあえなく失恋、台湾系の工場勤務に鞍替えして働くことに。しかし、親からは金を催促する電話が入り、さらに傷つけた以前の友人が姿を現して、シャオホイは追いつめられます。その彼が取った道は....。
この事件は特定のモデルがあるわけではなく、東莞市の台湾系企業で2010〜2013年に相次いだ従業員の自殺に材を取っているのだとか。日系企業も多く進出している東莞市ですが、脆い青年たちの心の闇が山ほど潜んでいる土地でもあるのです。
そしてエピローグ、「玉堂春」の地方劇上演を見るシャオユーは、どう自分の罪と折り合いをつけたのでしょうか....。
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これらの事件の主人公と、山西省や長江で接していたのがジャ・ジャンクー監督作品でお馴染みのサンミンこと韓三明(ハン・サンミン)。その変わらず誠実なたたずまいは、観ている者をホッとさせてくれます。また、シャオユーに迫るサウナ客の役で、『一瞬の夢』などの王宏偉(ワン・ホンウェイ)も出演。彼らはジャ・ジャンクー監督作品にとって、それが監督の作品と証明するイコンのような存在です。新たな冒険を試みたジャ・ジャンクー監督ですが、古くからのジャ・ジャンクー監督ファンのために「お約束」を残してくれたのでしょうか。
昨年のカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した『罪の手ざわり』、中国ではまだ公開されていないようですが、日本ではいよいよ5月31日(土)から公開です。がっしりと見応えのある作品をご希望の方は、ぜひお見逃しなく。