前回の続きです。
『時はどこへ?』
2017/ブラジル、ロシア、インド、南アフリカ、中国/111 分/原題:Where Has Time Gone?
監督:ウォルター・サレス、アレクセイ・フェドルチェンコ、マドウル・バンダールカル、 ジャーミル・X・T・クベカ、ジャ・ジャンクー (Walter SALLES, Aleksey FEDORCHENKO, Madhur BHANDARKAR, Jahmil X.T. QUBEKA, 賈樟柯/JIA Zhang-ke)
5本の短編によるオムニバス映画で、インド映画『ムンバイの霧』(上写真)が入っているため楽しみにしていたのですが、「あかんがな~、マドゥル・バンダールカル監督!」的作品でした。金持ちだけれど孤独な老人(アヌ・カプール)が公園で屑拾いの少年と出会い、彼との交流に生きがいを見いだす、というストーリーで、新味のない展開、オーバーな演技と、いい点がまったくありません。『Chandni Bar(チャーンドニー・バー)』(2001)、『Page 3(ゴシップ面)』(2005)や『Fashion(ファッション)』(2008)といった、社会への批判的視点をしっかりと持ち、かつ上手なストーリーテリングで楽しませてくれたバンダールカル監督、どうしてしまったんでしょう。他の作品では、南アフリカのSF作品『死産』のヒロインが魅力的で見入ってしまったのと、トリのジャ・ジャンクー監督作品『逢春』(主演は趙涛と梁景東)がさすがの貫禄で見応えがあったのが、印象に残りました(下写真)。
『馬を放つ』
2017/キルギスタン、フランス、ドイツ、オランダ、日本/89 分/原題:Centaur
監督:アクタン・ アリム・クバト (Aktan ARYM KUBAT)
配給:ビターズ・エンド
すでに来年3月の岩波ホールでの公開が決まっている『馬を放つ』。会場には上のチラシが積んであり、皆さん次々と持って行っていましたので、いい宣伝になったことと思います。また、配給元のビターズエンドが観客にアンケート用紙も配っており、感心したのですが、その場では埋められない、記述式の質問もあって、後日送付した方もあったのではと思います。ストーリー等は上記チラシを見ていただくことにして、私的に興味深かったのは、主人公の”ケンタロウス”が以前は映写技師をやっていて、今はモスク代わりとなっている映画館でキルギス映画等を上映をしていた、というくだり。主人公に好意を抱く中年女性が「インド映画が好き」と言って『合流点(サンガム)』(と、字幕に正確な訳が出ていて感動。ラージ・カプール主演のヒンディー語映画『Sangam』は1964年の作品です)という題名を出したり、『詐欺師』(1955)の歌"Mera Juta Hai Japani"が内容はまったく違うロシア語(?)の歌詞で歌われたりと、インド映画ファクターが顔を出していて、やっぱりなあ、と思ってしまいました。ラージ・カプール作品は、旧ソ連領だった地域で大人気だったのです。インド映画ファンの皆さんも、ぜひ公開時にご覧になってみて下さい。
主演も務めたアクタン・アリム・クバト監督のQ&Aをまとめておきます。司会はプログラム・ディレクターの市山尚三さんです。
監督:アリガトウ。
市山:この映画を作られたきっかけは?
監督:これは実話なんですが、私が生まれ育った村で、素晴らしい馬が盗まれたことがあるんです。盗んだ人はわかったものの、なぜその人が馬を盗んだのかがよくわからなかった。素晴らしい馬を見ると、その人は何度でも盗んでしまうんです。一体なぜなんだろう、と思い、これはいい映画になるのでは、と思いました。プロデューサーに話したら、「それは絶対いい作品になるよ」と言われて、この作品を作りました。きっかけはそうだったんですが、その後シナリオを書き始めると、映画は劇的なストーリーがないと面白くないと思い、今回映画の中に描いたようなストーリーを自分で考え出したのです。
Q:『旅立ちの汽笛』(2001年のアクタン・アリム・クバト監督作品)の時もアヒルが出ていましたが、今回もアヒルが登場しますね。何か理由があるのでしょうか。
監督:(通訳さんから質問の訳を聞いて、ウフッという感じで笑って)アヒルはお笑いシーンでしたが、ちょっと面白いかも、と思って出しました。(注:馬泥棒が侵入するとアヒルが騒ぐ、という仕掛けを馬のオーナーが施すのです。アフラックならぬアルソックがわりのあひるさん数羽登場で、笑わせてくれます)
Q:映画館が現在はイスラム教の礼拝所になっていましたが、イスラム教徒が映画を排斥した、というようなことがキルギスで起きたのでしょうか。
監督:その通りです。旧ソビエト時代には、いろんな村に映画をキープして上映する場所があったんですが、ソビエト時代が終わりを告げると、映画は大きな街の映画館でしか上映されなくなりました。これは私の村で起きた事実で、映画を上映していた場所がモスクになったんです。私の村だけでなく、あちこちでそういうことが起きました。もう一つはメタファーとして、イスラム教徒の人々は文化をこんな風に扱っている、というのを示すために描きました。
Q(英語):キルギスとは近い場所、トルコのイスタンブールから来た者です。一番好きなのはモスクで祈るシーンで、みんな横に並んで祈っている時に主人公が途中で抜けると、その抜けた場所に順番にずれていく、という所です。何か奇妙だったんですが、キルギスで上映された時の観客の反応はいかがでしたか?
監督:いや、別に特には。全体として、観客は私の作品が好きで、この映画も気に入ってもらえました。特にあのシーンに反応した、というようなことはありませんでしたよ。それから、トルコでも大好評でした。
Q:主人公の家に飾ってあった映画のポスター、『赤いりんご』(注:The Red Apple/Красное яблоко/1976年/監督:トロムーシュ・オケーエフ。日本でも上映されたことがあるようで、こちらのサイトに紹介があります)はキルギスの映画ですか? あと、かつての映写室にもポスターが貼ってありましたね。
監督:『赤いりんご(クラースノエ・ヤーブラカ)』はソビエト時代にキルギスの映画監督が作った作品で、チンギス・アイトマートフという作家の短編小説の映画化です。ソビエト時代、キルギスには映画撮影所があって、いい作品をたくさん作っていました。私も若い時から素晴らしい作品をいろいろ見てきたので、そのお礼のつもりで昔のポスターを出したんです。モスクのシーンで上映されたのも、『赤いりんご』のいくつかのカットです。当時の有名女優グリサラ・アジベコワ(?)と有名男優シュイメンクル・チョクモロフが馬に乗っているシーンでした。この2人はキルギス映画の伝説的俳優で、彼らにも謝辞を捧げたかったのです。チョクモロフは、黒澤明監督の『デルス・ウザーラ』(1975)にも出演しています。
Q:キルギスの人にとって馬が大切な存在だというのがわかりましたが、主人公が馬を放った意味を教えて下さい。
監督:この映画をご覧になった方々には、その意味が分かっていると思いますが、キルギス始め中央アジアの人々は元々遊牧民なのです。特に、一番深く遊牧に関わっていたのがキルギス人で、”馬は人間の翼である”という諺もあります。”翼”だからこそ、自由でいないといけない、ということで、馬を解き放ったわけです。
Q:主人公と妻が、息子がなかなかしゃべらない、というのを気にして、占い師の所に連れて行きましたね。ああいう占い師の存在は、キルギス独特のものでしょうか? イスラム教では禁止されていると思うのですが。
監督:イスラム教とは関係はまったくなくて、あれはシャーマンのような、超能力者的存在の人です。ソビエト時代は、必ずしもキルギス独自の文化が維持された時代ではなくて、むしろ独自の文化が奪われた時代と言ってもいいかと思います。本作は、〇〇反対、といった映画ではありません。反イスラム教の映画ではないんです。お祈りの時にキルギスの言葉ではなく、アラビア語を使うというのは気になりますが、同じイスラム教国であっても、キルギスの女性はヘジャブを強制されることはありません。女性議員もいますしね。
『馬を放つ』を見逃した方は、来年の公開時にぜひどうぞ。