今日は、FILMeXで自分が字幕を担当した作品『マイルストーン』の上映に行ってきました。TOHOシネマズ シャンテにうかがうのはおそらく今日が最後になると思うのですが、行くたびに感心したのは、スタッフの皆さんのテキパキした対応ぶり。さすがプロ、という感じの場面に何度か出会い、行き届いた案内の仕方などに内心で頭を下げたこと数えきれず。ありがとうございました。
『マイルストーン』
2020/インド/ヒンディー語・パンジャービー語/98分/原題:Meel Patthar मील पत्थर /英語題:Milestone
監督:アイヴァン・アイル(Ivan AYR)
出演:スヴィンダル・ヴィッキー(Suvinder Vicky)、ラクシュヴィール・サラン(Lakshvir Saran)
ストーリー等は以前こちらでご説明しましたが、その後2週間の間に、字幕を仕上げるためにもいろいろ調べまくったことから、かなり理解が深まってのスクリーン鑑賞となりました。主人公は、デリーのトラック運転手ガーリブ(スヴィンダル・ヴィッキー)で、今回の上映後のQ&Aで、「ガーリブ」という有名なムスリム詩人の名がつけられているものの、彼はシク教徒だということが監督の説明から判明しました(ターバンを被っていないシク教徒については後述)。ガーリブはシク教徒のギル社長とその息子が経営しているトラック配送センターで働くベテラン運転手なのですが、少し前にシッキム出身の妻エタリを亡くしていました。このシッキム出身の女性と結婚、というのが一つの大きな疑問点で、それはネットでの監督インタビューによると、「トラック運転手たちの多くは結婚できずにいて、結婚相手を求めてノース・イースト(インドの北東部の諸州を指し、ナガランドやアッサムなどのほか、少し離れた少し離れたシッキムも含まれる)に行くケースがある」とのことで納得。監督は、「ガーリブは父がクウェートに出稼ぎに行き、そこで生まれてその後インドに戻ったため、インドでは疎外感を感じていたし、シッキム出身の妻も、北西インドに連れてこられて疎外感を感じていた」という分析も語っています。その孤独な魂が相寄る形で仲のいい夫婦だったのでしょうが、夫を愛しているがゆえに夫の浮気を疑い、妻は一気に思い詰めて自殺に走った、というストーリーのようです。
もう一つ調べてわかったことは、ガーリブは超有名な19世紀の詩人ですが、彼が助手として同乗させる若者パーシュ(ラクシュヴィール・サラン)の名前も、また有名な詩人から取られたということでした。パーシュ(Pash)は1970年代に活躍したパンジャーブ語の詩人で、ナクサライトと呼ばれる極左運動の思想を謳う詩人だったようです。これは、ガーリブがパーシュという名前を聞いた時に微妙な反応を示したため調べてみてわかったのですが、観客の皆さんにも気づいてもらいたく、2人の初対面シーンでは字幕になるべく回数多く「パーシュ」という名前を出しておきました。でも、トラックの運転手にはちょっとそぐわない名前で、どうして主人公2人をこういうネーミングにしたのかなあ、と字幕を仕上げながらずっと疑問に思っていました。今日の監督とのオンラインQ&Aで、聞けたら聞きたいと思って出かけた次第です。
監督のイヴァン・アイル(上写真)は映画祭のカタログによると、インドで電気工学を学んだ後アメリカに留学し、カリフォルニア州の大学で英文学を学んだという変わり種のようです。ですので英語がとてもきれいで、インドなまりが全然なし。短編映画を3本撮ってから劇映画『ソニ(ソーニー)』(2018)を撮り、この作品が各地の映画祭で上映されたり、賞を取ったりして注目されました。2作目が本作で、プロデューサーのキムシー・シンは彼の奥様です(前掲の監督インタビューによる)。というわけで、市山尚三ディレクター、通訳松下由美さんでQ&Aが始まったのですが、いい質問が次々出て、監督も嬉しそうでした。私も、QRコードの読み取り(画面の左上に、質問できるサイトに行くQRコードが出るのですが、右端の前方の席に座っていた私のスマホではなかなか読み取れなくてあせりました)に苦労しながら、何とか「ガーリブとパーシュ」についての質問を送りました。このQ&Aは、後日映画祭の公式サイトに動画がアップされると思うので、見てみて下さいね(すみません、Q&Aを書き起こす余力なし、なので、アップされたらまたお知らせします)。
シク教徒のネーミングについては、以前にも書いたかも知れませんが、シク教徒特有の名前(「~ダル」が付いたものなど)のほか、他宗教の人が使う名前もよく見受けられます。インドの経済発展を主導した大蔵大臣で、のちに首相となったのはマンモーハン・シンという、ヒンドゥー教徒にもよくある名前のシク教徒でしたし、私の知人女性は「グレース」という英語名のシク教徒でした。男性のターバン&ヒゲ姿も、パンジャーブ州の田舎から出てきてトップ俳優になったダルメーンダルなど、映画界で働くシク教徒は多くが髪を切りヒゲを剃って、外見からはシク教徒とはわかりません。また1984年の、シク教徒SPによるインディラー・ガーンディー首相暗殺事件以降は、シク教徒が襲われる事件が多発したため、髪を切りヒゲを剃った人も多かったのです。『マイルストーン』でもガーリブのほか、ギル社長の息子(映画の中では呼び名は出てこなかったため、「若社長」という名で訳出しました)も外見からはシク教徒とはわかりません。こんな風に、一般的には名前から信仰する宗教がわかるインド人の世界ですが、なかなかに複雑なのです。
<TIFF>
『悪の絵』
2020年/台湾/北京語/83分/原題:惡之畫/英語題:The Painting of Evil
監督:チェン・ヨンチー(陳永錤)
出演:イーストン・ドン(東明相)、リバー・ホァン(黄河)、エスター・リウ(劉品言)
画像はすべて©Positivity Films Ltd. & Outland Film Production
「台湾電影ルネッサンス2020」の4本の内の1本です。画家のシュー・パオチン(許寶清/イーストン・ドン)は、刑務所の受刑者に絵を教えに通っています。現在は6、7人の受刑者に教えているのですが、みんななかなかいい絵を描くことから、いつか展覧会をしたいと思い、毎回指導の終了後に1人ずつをモデルにして、自分の作品も仕上げていました。受刑者たちの中でひときわ目立つ個性的な抽象画を描くのは、まだ若いジョウ・ジャンティン(周政廷/リバー・ホアン)で、シューは彼の作品に圧倒される思いを抱いていました。シューのパトロンと言えるのは画廊の女性経営者リー・シャンシャン(エスター・リウ)で、彼女はシューの作品展をさせてくれるなら、そこに受刑者たちの作品を同時展示してもいい、と提案します。こうして展覧会が実現したのですが、そこにジョウの絵とシューの描いた彼の肖像画が展示されたため、それに反対する人々が押し寄せます。実はジョウは、無差別殺人事件を起こし、何人もの人を殺傷した犯人だったのです...。
刑務所での絵画教室の様子はほほえましく、「これはずっと昔に別れた息子なんだよ」とデフォルメされた男の姿を描く中年の男などもいて、一種の受刑者セラピーになるのでは、と思わせてくれます。ですが、不気味とも言える絵を描くジョウは、自分の起こした事件を後悔や反省している様子がまったくなく、嬉々として絵を仕上げていくのです。シューは彼の絵の根源をさぐるべく、元いた家に行ってみたり、彼の起こした事件の被害者をスケッチしたり、家族と会おうとしたりしますが、その行動も何と言うか暗い意思に突き動かされている感じで、見ていてあまり気持ちのいい作品ではありませんでした。
シューは耳が少々不自由で、そのため発話にも少し難がある、という設定なのですが、演じているイーストン・ドンはデビュー作『練習曲』(2007)でもそういう設定だったので、彼自身がそうなのだと思います。シューは事件当時台湾にいなかったため、ジョウの事件のことを知らなかった、という設定になっており、シューは前述したような行動をとるのですが、それはダメでしょ的な行動もあって、脚本がいまひとつ。シューが探し出す彼の絵の根源にあったものも、「それはないんじゃない?」という光景で、差別的な感情を引き起こしそうで目をそむけてしまいました。ジョウがなぜ無差別殺人(バスの運転手を殺し、その後バスを降りてからも歩行者を襲って死傷者を出した)を犯したのかも説明されず、単なる狂気に駆られた青年、という描き方が何とももどかしく、つらい作品でした。リバー・ホアン、今度は別の作品で会いたいです。