珍しく、シンガポール映画が一般公開されます。昨年の東京フィルメックスで上映された、アンソニー・チェン(陳哲芸)監督作品『イロイロ ぬくもりの記憶』です。フィルメックスでの上映時に簡単にご紹介しましたが、心にしみる秀作で、アジア映画ファンの皆さんにはぜひ見ていただきたい作品です。まずは、作品のデータからどうぞ。
(C) 2013 SINGAPORE FILM COMMISSION, NP ENTERPRISE (S) PTE LTD, FISHEYE PICTURES PTE LTD
『イロイロ ぬくもりの記憶』 公式サイト
2013年/シンガポール/華語(北京語/普通話)・英語・タガログ語/99分/原題:爸媽不在家/英語題:ILO ILO
監督・脚本:アンソニー・チェン(陳哲芸)
出演:コー・ジャールー(許家楽)、ヤオ・ヤンヤン(楊雁雁)、チェン・ティエンウン(陳天文)、アンジェリ・バヤニ
配給:日活、Playmate
宣伝:菅野祐治、佐々瑠郁
※12月13日(土)より新宿K’s cinema 他全国順次公開
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1997年のシンガポール。映画は、何やら耳障りな音から始まります。 そしてだんだん、主人公である10歳の小学生ジャールー(コー・ジャールー)の問題行動が明らかになっていきます。ジャールーは授業に集中せず、熱意を注ぐのは宝くじの当選番号集めだけ。新聞に発表された当選番号を切り抜き、それをノートに貼るのがジャールーの生きがいなのですが、それを授業中にやっては見つかり、母親(ヤオ・ヤンヤン)が呼び出されるというのが毎回のパターンでした。フルタイムの仕事を持ち、現在妊娠中で大きなお腹をした母は、ジャールーの頑固さにもううんざり。ジャールーの送り迎えと家事のために、フィリピン人のメイドを雇うことにします。
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ジャールーの父親(チェン・ティエンウン) に連れられてやってきたのは、テリーことテレサ(アンジェリ・バヤニ)でした。彼女も一児の母親なのですが、赤ん坊をフィリピンの家族に預け、経済的な理由からシンガポールにアマさん(家政婦)としてやってきたのです。そのテレサに、ジャールーはことごとく反発します。自分の部屋に彼女が一緒に寝ることになったのも気に入らなければ、かわいがってくれた祖父の遺影をまっすぐにしようとさわるのもしゃくにさわるジャールー。学校に迎えに来る彼女からは徹底的に逃げ回り、一緒に買い物に行けば未精算の品物を彼女の袋に入れて万引き者と店の人に思わせる始末。テレサはそれに対してまっすぐに怒り、ジャールーは初めて自分を対等に見てくれる人と出会った思いがします。やがてジャールーは、テレサと心を通わせ合うようになります。
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そんなジャールーとテレサの関係を、複雑な思いで見つめる母。ジャールーに手を煩わされずに済むのはありがたいことながら、2人の親密な様子を見ていると面白くない思いが湧いてくるのです。しかしながら母には、職場でのストレス以外にも、父の離職、株での損失など、次々と問題が降りかかってきます。父もストレスを抱えており、結婚時に約束した禁煙をこっそり破ってしまって、それがまた問題を引き起こします。バラバラになりそうな危うい家族関係の行く末は、そしてテレサの運命は....?

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1997年は、香港が中国に返還された年(中国側から言うと、香港が中国に回帰した年)として記憶されていますが、その直後に起こったアジア経済危機、正確に言うとアジア通貨危機の年として、東南アジア諸国には忘れられない年でした。タイを震源地とした通貨下落は、タイ、韓国、インドネシアの経済に大きな打撃を与え、さらにマレーシア、シンガポール、フィリピンなどにも影響を与えました。そういった厳しい経済状況の中、母親の職場では解雇される人が続出、一方で強化ガラス会社の営業マンだった父はクビになり、再就職もままなりません。母も父も神経をすり減らし、追いつめられた気分で毎日を過ごしており、とても息子のことにまで思いを巡らせることができない状況なのです。
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映画には当初登場人物たちの不機嫌さが充満し、特に父と母には笑顔のシーンがまったくありません。そこへテレサという異物が混入されることで、少しずつ登場人物たちの気持ちに変化が起きてくるのが、この作品の見どころとなっています。とは言っても、テレサが天使のような存在として描かれるのではなく、彼女自身も「はい、奥様」と作り笑いを浮かべながら裏では勝手に女主人の化粧品を使ったり、こっそりアルバイトをしたりと、二面性を持つ普通の人間として描写されています。それでもテレサは、「こういうのって、おかしい」というフェアなモラル感覚を持っており、それが登場人物たちを徐々に変えていくのです。
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一番の変化を見せるのがジャールーで、最初、こんなどうしようもない子が主人公なの?と思わせられたその顔が、だんだん可愛く見えてくるからあら不思議。10ヶ月かけて2,000人の候補者の中から選ばれたというコー・ジャールー君、なかなかの役者です。テレサ役のフィリピン女優アンジェリ・バヤニもさすがベテラン女優だけあって、安定したテレサ像を作り上げています。さらに素晴らしいのが母親役のヤオ・ヤンヤンで、『881 歌え!パパイヤ』(2007)のビッグ・パパイヤとは全く違う顔を見せて、不機嫌な妊婦を好演。それもそのはず、実は彼女は実際に妊娠している時にこの映画に出演、ラストの出産シーンは彼女のリアルの出産を撮ったものだそうです。しんどそうな表情は、演技ではなかったのかも知れません。
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本作の脚本も担当したアンソニー・チェン監督ですが、自分の子供時代の体験が元になっているそうで、4歳から12歳までの8年間家にいたフィリピン人のメイドさんがフィリピン中部パナイ島のイロイロ市出身だったことから、英語題名を「ILO ILO」にしたのだとか。チェン監督は1984年4月18日生まれですから、1997年の経済危機当時は13歳。ジャールーよりちょっぴり年上だったわけですが、当時流行ったゲーム「たまごっち」など、各所に自身の記憶が再現されているようです。これが長編劇映画第1作というチェン監督、初監督作品でカンヌ国際映画祭新人監督賞を筆頭に、台湾金馬奨の作品賞・新人監督賞など4部門、東京フィルメックスの観客賞等々、様々な賞を受賞しており、今後の活躍が最も期待されるシンガポール人監督となりました。
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シンガポールが舞台となっていますが、世界中の家族に通じる普遍的な物語『イロイロ ぬくもりの記憶』。「人生には、あなたを救ってくれる出会いがある」というキャッチコピーそのままに、この作品も誰かを救う存在となるに違いありません。