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Channel: アジア映画巡礼
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第32回東京国際映画祭:DAY 4

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本日は、エリック・マッティ監督のお顔見たさに一般上映のチケットをもらい、『存在するもの』を見ました。そのほか力作だった2本と合わせてのご紹介です。

『存在するもの』(画像はいずれも©REALITY ENTERTAINMENT, INC.)

 2019年/フィリピン/フィリピン語/114分/原題:Kuwaresma
 監督:エリック・マッティ
 出演:シャロン・クネタ、ジョン・アルシラ、ケント・ゴンザレス


お話は、1965年から始まります。大きな家での幸せそうな一家のクリスマス風景で、若い両親に赤ん坊、赤ん坊の世話をしている乳母とピアノを弾いている女性がいるのを窓越しに眺め、ハイティーンとおぼしき女の子がそこから去って行きます。そしてその直後、父親が家族全員を斧で惨殺する、という事件が起きたのでした。それから20年後の1985年、高校の寮に住んでいるルイス(ケント・ゴンザレス)に夜、電話がかかってきますが、女の子を部屋に連れ込んでいたルイスは無視します。すると明くる朝、ルイスの双子の姉マヌエラが、何と寮の玄関でルイスを待ち受けていました。ところがルイスがまたかかってきた電話に出ている間に、マヌエラの姿が消えます。その電話は父(ジョン・アルシラ)からで、「帰ってきなさい、マヌエラが死んだ」というものでした。わけがわからないルイスが、長距離バスに乗って山の中にある自宅に戻ると、母(シャロン・クネタ)が涙ながらに迎えてくれますが、姉の遺体はすでに棺桶に入っていて会うことも叶わず、そのまま葬儀が執り行われました。ところが、戻った日からルイスの身辺には奇妙なことが起こり、葬儀に来た中年の女性は「中のものは外に、外のものは中に」といった、謎のような言葉をルイスに告げていきます。マヌエラの死には何か秘密があるのでは? 医師である父も母も何か隠している! 奇妙な出来事はますますひどくなり、怪しげなものたちが出現し、血まみれのマヌエラが見えたりと、家は恐怖の館と化していきます...。

まあ出るは出るは、鬼か蛇か、のヘビこそ出ないものの、鬼やら日本軍兵士やら、縊死した人々やら血まみれ傷だらけのマヌエラやら、もうホラーアイテムの大盤振る舞い。戸棚や部屋のドアを開けると何かが起きるし、ベッドは人型に盛り上がり、廊下から飛び込んでくる始末。えー、そこまでてんこ盛りにされると、ぜ~んぜん怖くないんですけど。ホラーって、出るぞ、出るぞ...と思ってる時が怖いんであって、展示会みたいにいっぱい出されても困惑するだけです、エリック・マッティ監督。葬儀に来て謎のような言葉を残していった女性も、強力なエグゾシストかと思いきや、簡単にやられてしまってお話が膨らみません。でもまあそのあたりで、家そのものが恐怖の根源という当たりがつくのでいいのですが、この家がまた「わけわからん」なのです。

山中の丘の中腹にある家なのに、部屋からはいくつも秘密の通路が延びていて、隠し部屋があり...って、いったいどうやって掘ったんだ! いくら整合性不要なホラー映画だとしても、いいかげん過ぎて白けてきます。そのおかげでホラー映画が苦手な私も、恐怖を感じずに最後まで見ていられましたが...。最後の方では衝撃的事実が明かされるのですが、これまた、じゃ、最初の寮でのナンパは何なの? ですし、あれやこれやとツッコミどころ満載の作品でした。かわいい顔のまま中年太りしてしまったシャロン・クネタを見られたのが、まあ収穫と言えるかも知れません。上映後のQ&Aで、監督の意図がよくわかったのですが、ホラー映画理論がどうも私の認識とはだいぶズレがあるようでした。そのQ&Aはまた別途アップするとして、終了後シネコン入り口広場で行われたサイン会でのショットを何枚か付けておきます。エリック・マッティ監督、ちょっと今は亡き長部日出雄さんに似てますねー。


ルイスを演じたケント・ゴンザレスは本作が映画デビューだそうですが、この大変な役をよくがんばって演じていました。甘い二枚目顔なのに、劇中ではあんなことやこんなこともされてしまって、ちょっとお気の毒。というわけで、ブロマイド風に撮ってみました。


かわいかったのは、監督がいろんな人から話しかけられているのをそばで待っている時、手に持ったサインペンをほうりあげてはキャッチする(これがなかなかうまい!)のを繰り返して遊んでいる姿。

サインペン↘


今後、ラブロマンス作品とかでも活躍しそうです。本作の根性演技を忘れずにがんばってね!


『死を忘れた男』(画像はいずれも©2018 CJHK ENTERTAINMENT, NOVEMBER FILMS, AN NAM PRODUCTIONS, ALL RIGHTS RESERVED)

 2019年/ベトナム/ベトナム語/130分/原題:Nguoi Bat Tu
 監督:ヴィクター・ヴー
 出演:クァック・ゴック・グアン、ディン・ゴック・ジェップ、ジュン・ヴー

幼い娘が病気のアン(ディン・ゴック・ジェップ)は、目覚めると海岸の岩棚の上にいたりして、自分でもなぜそこに行ったのか、どうやって行ったのかが全然わかりません。女性占い師に占ってもらうと、「あなたは、あなたに取り憑く場所に行ってしまうのだ」と言われ、その因縁をさぐっていくことに。それは、1人の男フン(クァック・ゴック・グアン)にまつわる物語でした。フンは大金持ちの息子でしたが、財産を独り占めしようとする母親違いの息子クーアンに襲われて殺されてしまいます。クーアンはフンの恋人リエンを自分の妻にし、悪知恵を授けてくれた男を執事にしていましたが、ある日屋上から飛び降りて亡くなってしまいます。それは、占い師に助けられたフンの黒魔術によるもので、戻ってきたフンはリエンと結婚、子供も生まれることになります。しかし黒魔術を使いすぎたフンの体はむしばまれ、占い師の助言で体の構造を変えることにしますが、「そのためにはお前の一番大切なものが犠牲になるが、それでもいいか」と聞かれたフンは、イエスと言ってしまいます。地中に埋められ、木から生命を取り込んだフンは不死の体になったものの、帰宅してみると身重の妻が亡くなっていました。その後フンは各地をさまよい、やがて海辺で1人暮らす若い女性ズエンのもとに。しかし、フンの不死の体に執着しているフランス人警部のために、ズエンも命を落とします...。そういったフンの3世紀にわたる生き様を記録したノートを見つけたアンは、それを読んだ後彼の居場所へと向かうのですが...。

 

何とも奇妙な物語ですが、主人公フンを演じるクァック・ゴック・グアンが、その肉体にも表情にも圧倒的な存在感を示すため、最後までだれずに見てしまいました。上の写真は放浪中のフンなのですが、大金持ちの時代のフンが悪魔的な魅力をたたえたたくましい男性なので、いくら銃で撃たれようがナイフで刺されようが死なないのも、奇妙に納得できてしまいます。女優3人もそれぞれに美しく、このファンタジーの成立に大きく貢献しています。ただ、「不死」イコール「不老」なのか、といった疑問も途中で頭をもたげ、最終的に死ぬ時に一挙に老けるのか、と期待(?)していたのですが、それはナシでした。それと、3世紀というスパンの表現が余り明確ではなくて、その点も少々残念でした。でもスケールの大きさは十分感じられて、そのためかワールドセールスを韓国のCJエンタテインメントが担当しています。日本でも、どこかの配給会社が買って下さるかも知れません。

 

 

『ミンダナオ』

 2019年/フィリピン/フィリピン語/123分/原題:Mindanao
 監督:ブリランテ・メンドーサ
 出演:ジュディ・アン・サントス、アレン・ディソン、ユナ・タンゴッグ

ブリランテ・メンドーサ監督と言えば、マニラの下町や裏社会を描く作品が有名ですが、以前2015年のTIFFで上映された『汝が子宮』(2012)のように、フィリピン南部のスール-諸島で海上生活を送るイスラーム教徒を描いた、周縁部ものとでも呼びたい作品もあります。本作も、タイトルのとおりミンダナオ島を舞台に、イスラーム教徒の夫婦と4歳の娘を主人公にして、ガンとの闘いとイスラーム教徒ゲリラとの戦いという、2つの戦いを見せてくれます。


国軍がゲリラとの戦いを繰り広げているミンダナオ島。ダバオの病院に幼い娘アイサ(ユナ・タンゴッグ)を連れて行くサイマ(ジュディ・アン・サントス)も検問にひっかかりましたが、夫マラング・タトパロ(アレン・ディソン)が軍隊にいることを話し、娘の薬の容器も開けられずに済みました。アイサは目にガンができ、それが脳にも転移して、完治は望めない体でした。サイマはガン患者の子供たちと家族が過ごす施設「希望の家」にとどまり、アイサの看病を続けます。「希望の家」では「サバイバーの日」という催しがあり、子供を亡くした親たちが経験を語るコーナーもありました。また、親たちは互いに助け合い、イベントでの民族舞踊出演も目指していたりして、ここにいるとサイマも少し気が晴れます。一方夫のマラングは衛生兵なのですが、戦闘に加わることもあり、常に危険と隣り合わせです。家族3人、それぞれに雄々しく闘っているのですが、アイサの容態がだんだんと悪くなっていきます...。

小児ガンとの闘いは、もう涙なくしては見られません。アイサ役の少女が演技とは思えぬぐらい真に迫った闘病者ぶりを見せてくれて、ひょっとしてドキュメンタリー? と思わせられてしまいました。本作の作りが素晴らしいのは、アイサにせがまれてサイマが語る民話をアニメーションで見せていく形式になっていることで、ドラゴン退治に赴くスレイマンとラジャという2人の王子の物語を随所に挟み込んで、それが最後の締めくくりへとつながっていきます。クレヨン画のようなアニメなのですが、色といい形といい味わい深くて、最後の最後まで楽しませ、感動を与えてくれました。


父親の、国軍兵士としてのイスラーム教徒ゲリラとの闘いも、同じイスラーム教徒である、ということを見せるシーンや、武器を届けてきた農民との通訳を頼まれ、同じフィリピン人でありながら民族が異なることで差別があるのを臭わせるシーンなど、とても細やかな脚本になっています。メンドーサ監督作品の中では一、二を争う出来のいい作品で、これはぜひ、日本で一般公開してもらいたいものです。今回のTIFFでこれまで見た作品の中でも、ピカイチの作品を見られて、幸せな4日目でした。



第32回東京国際映画祭:DAY 5

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今日も3本の作品を見たのですが、ちょっと変則的な見方をしてしまいました。というのも3作目の作品『サイエンス・オブ・フィクションズ』を、前半は会場で見て、後半は自宅にいてオンラインで見たのです。実は私のいただいているパスは、「プレスパス」ではなくて「ゲストパス」という種類で、それには「オンラインライブラリー鑑賞」という項目が「OK」になっています。これは主として映画を買う配給会社の人や、他国の映画祭のために作品を選ぼうとしている人向けで、時間に縛られず自由に作品を見る便宜を提供するものです。毎年ゲストパスにはこの特典が付いていたのですが、昨年はなぜかその項目が「OK」になっておらず、今年また復活した、というわけなのでした。残念なのは、アップされている映像は英語字幕のみで日本語字幕がなく、少々理解度が落ちます。でも、なるべくたくさんの作品をご紹介するために、あと3日間はこのオンライン鑑賞も使ってレポートしたいと思います。

『Sisters』(画像はいずれも©2019 SAHAMONGKOLFILM INTERNATIONAL CO., LTD. ALL RIGHTS RESERVED)

 2019年/タイ/タイ語/105分/原題:
 監督:プラッチャヤー・ピンゲーオ
 出演:プロイユコン・ロージャナカタンユー、ナンナパット・ルートナームチューサクン、ラッター・ポーガーム

ウィーナー(プロイユコン・ロージャナカタンユー)の母は漢方医で呪術師でもありました。母がそういう力を身につけたのは、母の妹スロイを守るためでした。スロイ叔母は妖怪ガスーに変身してしまう運命を持っていたのですが、ウィーナーの母おの陰で彼女を想う男性と結婚し、モーラー(ナンナパット・ルートナームチューサクン)という娘も授かったのでした。そして10数年後、母も叔母も命を落とし、今、ウィーナーはモーラーと姉妹のように暮らしながら、母がそうしたようにモーラーを守っています。ウィーナーの味方は叔父、つまりモーラーの父で、妻を亡くしたものの、何とか娘が妖怪ガスーとならぬよう、叔父はあれこれと研究を続けていたのでした。しかし高校生になったウィーナーとモーラーは、大人の体臭を発するようになり、妖怪ガスーの一味に気づかれてしまいます。自分がガスーとは知らされていないモーラーは、なぜウィーナーが自分に口うるさく注意するのか、なぜ薬を飲まないといけないのか等々、すべてが不満でした。そんな不満に付けいり、ガスーたちがモーラーを狙ってきます。叔父はウィーナーに、呪文を憶え、力を付けろと言うのですが....。

『マッハ!!!!!!!!』や『トムヤムクン』の監督、プラッチャヤー・ピンゲーオの作品、というので見に行ったのですが、出てくる妖怪ガスーが「首に内臓をぶら下げて飛び回る」と資料で説明されていて、半分ビビりながら見たのでした。確かに美女の首が胴体から離れたと思ったら、そのまま首から食道を始めとする内臓がズルズルと出てきて、それをぶら下げたままビューッと夜空を飛ぶのですから、かなりグロテスクです。下のポスターの真ん中に写っているのがそれで、美女もこうなっちゃおしまいね~、という感じでした。でも、恐怖感はあまりなく、怖いのはそれ以前に出てくる「娘を返して!」と叫ぶ女性幽霊の方で、出現が古典的ホラー・パターンなので、そこそこ恐怖心をあおられます。こういうホラー要素と、ウィーナー演じる妖怪ハンターの活躍というファンタジー要素の両方を盛り込んであるのですが、ウィーナーがまだ修行中なので、それほど目覚ましいシーンは出てこなくて不完全燃焼気味。途中でダウンしてしまう知恵袋の叔父の代わりに、もう1人強力な”道士さま”状態の人がほしかった、と思いました。

モーラーを演じたナンナパット・ルートナームチューサクンは、BNK48のメンバーのミューニックとのことですが、妖怪ガスー姿にさせられたり、理科の授業で解剖した○○○をなめさせられたりと、「えらい! よくがんばったねえ(涙)」状態でした。なお、ガスー(Krasue)については、こんな風に詳しく解説したブログもあり、タイでは有名な妖怪のようです。


『マニャニータ』(画像はいずれも©TEN17P Films (Black Cap Pictures, Inc.))

 2019年/フィリピン/フィリピン語/143分/原題:Mañanita
 監督:ポール・ソリアーノ
 出演:ベラ・パディーリャ、ロニー・ラザロ

初めてコンペ作品が見られました。冒頭、遠く離れた農家を銃で狙っている女性が登場します。辛抱強く待っていたこの女性はエディベルタ(ベラ・パディーリャ)といい、軍の凄腕スナイパーでした。農家に暮らしていると思われるゲリラのメンバーが外に全員出てきたところで彼女の銃が火を噴き、全員が倒されます。顔を上げた彼女の左頬から首にかけては、大きなケロイドがありました。しかしながらそのケロイドが身体的不調を招く恐れがある、というので、エディベルタは軍を除隊するよう命じられます。銃の腕を評価してもらえなかった彼女は酒に溺れ、何もない宿舎とバーを行き来する毎日に。しかしある日、彼女はその地獄から這い上がる目標を見つけ出します。彼女は身の回りの品を持ってタクシーを呼び、Genesis(創世記)という長距離バスのステーションに行くと、田舎に向かうバスに乗り込みました。バスの中では、「この町では、警察官と人々が歌を歌い、犯罪者を改心させて自首させています」というニュースが流れていました。着いた田舎町で家を借り、銃を受け取ると、丘の上で説教をする神父と話したりしながらも、彼女は当初の目的を達すべく、ある大邸宅を望む高台に銃をかまえて潜みます...。

ずいぶん長回しが続く作品だなあ、と思っていたら、よしだまさしさんのレポートを読んで納得。なるほど、ラヴ・ディアス監督の影響を受けているのですか。私はそれほど退屈しなかったのですが、それは冒頭の軍隊関係部分を除いて、ずっと音楽が流れていたからだと思います。次々とポップスが流れ、また、主人公の行きつけのバーでは表の道にギター弾きが座りこんでいて、いつも何か歌っているのです。その後しばらく、不快感を催させるノイズ的音楽が使われ、彼女がバスに乗って田舎町に行くあたりから、また歌がいろいろ流れるようになります。このようにほぼ全編、BGMだったり、実際に画面に登場する歌い手だったりしますが、何かしら音楽が流れます。特に印象に残るのは、長距離バスを降りてすぐのあたりで出会う、男女3人の盲目の歌手。女性は知的障害もあるのか歌っていないのですが、男性2人が楽器を奏でながら歌う歌は、哀惜を感じさせ、耳に残ります。もう一つ印象に残るのはエンドクレジットで、ここはまったくの無音なのです。このあたりが、コンペに選ばれたゆえんなのでしょう。

Mañanita Poster

タイトルになった「マニャニータ」ですが、調べてみると「夜明け」、または「ベッドジャケット」(肩が寒い時に羽織るようなもの?)という意味があるそうで、途中で地名としても出てきたような気がするのですが、勘違いかも知れません。それはニュースで、「この町では、麻薬撲滅のため”犯罪者は殺してもよい”というドゥテルテ大統領の命に対し、歌を歌って犯罪者を改心させ、投降させるという作戦を実施しています」と紹介されていました。本作の主人公が最後に銃を構えた町もそうで、主人公が6歳の時に家を襲い、父母を殺して自分をレイプしたあと家に火を放った犯人がいる、というので主人公は復讐のためやってきたのですが、何とその男は警察官が彼の家を取り巻いて歌を歌うことで投降してしまうのです。これは、ビックリの結末でした。ネタバレになるのですが、ここが映画の最大の見どころなので、書いておきます。


今日はプレス上映だったのですが、コンペ作品ということでポール・ソリアーノ監督(上写真)と主演女優ベラ・パディーリャが登壇、Q&Aが行われました。このレポートはまたのちほど、ということで、お二人の写真だけ付けておきます。ベラ・パディーリャ(した写真)は、劇中のすっぴん+ケロイド姿とは打って変わった美しい女優さんでした。


 

『サイエンス・オブ・フィクションズ』(画像はいずれも©Rediance)


 2019年/インドネシア、マレーシア、フランス/インドネシア語/106分/原題:Hiruk-Pikuk Si-Alkisah
 監督:ヨセプ・アンギ・ヌン
 出演:グナワン・マルヤント、エキ・ラモー、ユディ・アフマド・タジュディン

人類が初めて月面に足を踏み出したのが、1969年の7月20日。その頃インドネシアでは、「月の石の成分がインドネシアにある石の成分と酷似している」という話が伝わり、「インドネシアに寄贈されるかも」というような噂が広まります。そんなある晩、村の純朴な男シマン(グナワン・マルヤント)は森に入っていて、森の中の広場で奇妙なことをしている外国人の撮影隊を見つけます。上のような宇宙服を着た人間が、無重力状態よろしくスローモーションのような足運びで大きな機体から出て歩いていくのです。びっくりしたシマンは撮影隊に見つかってしまい、重大秘密をしゃべらないようにと舌を切られてしまいます。村に戻ったシマンは、「こんなことやってた」と無重力状態の人の姿をジェスチャーで伝えようとしますが、人々はあざけるばかり。シマンは禁じられたことをして舌を切られたという噂は広まり、シマンの母は耐えられなくて縊死してしまいます。それから村では、共産党狩りとかいろんな出来事がありましたが、シマンはロケットのような家を作り、何事もスローモーションでこなしながら、瓦焼きの手伝いをしたり、果ては仕立ててもらった宇宙服を着て芸人一座と共にドサ回りをしたりしながら生き延びていきます...。

ストーリー紹介を読んだ時、風刺の効いた面白い作品では、と期待して見たのですが、スハルト政権が倒れるきっかけとなった1965年のクーデターとそれに続く暴動等を模してあることはわかったものの、きっかけとなる月面着陸撮影の場面がお粗末で、白けてしまいました。上の2番目の画像では、いかにも月面に着陸した宇宙飛行士のように写っていますが、本編中では光に虫がいっぱい集まり、すぐに熱帯あるいは暑い時期の林で撮影していることがバレる映像となっています。上のスチル画像にする時に虫をCGで消去したものと思われますが、1960年代にはまだCG技術はなく、あんなに虫が飛んでいる映像を公開したら、「月に生命体が! 昆虫が生息している!?」と、石よりそっちの方が大問題になったはず。アイディアが面白かったとはいえ、フェイクニュース、フェイク映像にもならない次元ですね...。また、宇宙遊泳の無重力状態を表そうと、いかに体をスローモーション風に動かしても、重力まるわかりにしかならないわけで、何だか「無知なアジア人による浅はかな模倣」という面を表しているようにも感じられて、あまりいい感じがしませんでした。

というわけで、宿題2つ(『存在するもの』と『マニャニータ』のQ&Aアップ)を抱えつつ、私のTIFFはもう少し続きます。


第32回東京国際映画祭:DAY 6

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本日は2本、1本はコンペ作品でした。オンデマンドでも作品をちょっと見て、とか思っていたのですが、昨日のレポートを読み直して手を入れたり、宿題をこなしたりしているうちにもう出勤時間が。今日は1本目のQ&Aもパス、2本目のトークショーもパスしたのですが、その代わりすでに見ていたベトナム映画『死を忘れた男』のヴィクター・ヴー監督のQ&Aを取材させてもらうことができ、とても興味深い話が聞けました。このまとめも宿題です(どんどん増えるなあ。劣等生時代に戻った気分)。

『チャクトゥとサルラ』(画像はいずれも©Authrule (Shanghai) Digital Media Co., Ltd. ©Youth Film Studio)


 2019/中国/モンゴル語、北京語/111分/原題:白雲之下
 監督:ワン・ルイ [王瑞]
 出演:ジリムトゥ、タナ、イリチ


中国の内モンゴル自治区が舞台で、草原に家とゲル(中国語:包/パオ)を持ち、遊牧で暮らしを立てているチャクトゥ(ジリムトゥ)とサルラ(タナ)という若夫婦が主人公です。サルラは草原の生活に満足しているものの、チャクトゥの方はいつもどこか他所に行くことばかり考えており、羊を売ってはその金でふらっといなくなります。今回も、親友の郵便配達人バンブラ(イリチ)にサルラへの小包をことづけたものの、本人はいまだに戻ってきません。やっと帰ってきたと思ったら、チャクトゥはサルラの機嫌を取るように、指輪や洋服などのおみやげをプレゼントします。そしてしばらくは大人しくしているのですが、友人たちと町のカラオケで酔い潰れたり、草原を出て携帯電話屋に商売替えする友人を見たりすると、またどこかへ行きたい病が頭をもたげます。それにはまずは車だ、ということで、真冬におんぼろトラックを買ったチャクトゥは友人の兄が持つ納屋で、修理に夢中になっていました。その夜、チャクトゥを心配したサルラがやって来ますが、吹雪の中をやってきたサルラは納屋で倒れ、流産してしまいます。子供ができたのを知らされていなかったチャクトゥは驚き、もう子供はできないかも、と医師から言われて呆然とします。しかしサルラが元気になり、しばらくすると、またもやチャクトゥは姿を消し、次の子供を授かっていたサルラは、やむなく町に居を移す決心をします...。


サルラは実にしっかり者の奥さんで、草原での堅実な生活が描かれるのですが、放浪癖のあるチャクトゥの方がいまひとつ魅力的でなく、お話に引き込まれません。モンゴル人と漢民族との関係や、国外に出たバンブラの叔父が病を得て帰国し、草原を再訪した時の感想など、いくつか引っかかるエピソードも登場しますが、何を描きたい作品なのかよくわかりませんでした。最後に草原から町へとカメラが移動し、町全体を俯瞰するショットが出てくるので、「草原もこのように変貌を遂げようとしている」と言いたいのであろうとは思いますが、ありきたりな印象しか残らない作品でした。

コンペ作品なので、プレス上映ながら監督を迎えてのQ&Aがその後にあったのですが、おそらく私の印象を覆してくれるような話は出るまい、と思われたのと、司会者が苦手な人だったので、パスしてしまいました。


で、夕食のお弁当を食べて次に向かったのが、一般上映の『Blinded by the Light(原題)』。最初のTIFFラインアップ紹介で「インド映画はゼロ」と書いたのですが、イギリス映画ながら、インド人監督の作品を見つけたのです。『ベッカムに恋して』(2002)の監督グリンダル・チャッダーの作品で、イギリス在住のパキスタン系住民の少年を主人公にした作品です。すでにポニー・キャニオンによる配給が決まっているため、来年には公開されるのではないかと思いますが、またまた人名表記で「あちゃー」な点が。監督の名前「Grinder Chadha」のカタカナ表記は「グリンダ・チャーダ」になっており、『ベッカムに恋して』の時に英語読みされ、誤った箇所に音引きが入れられて、それが今でも踏襲されている状態です。『ベッカムに恋して』の公開当時、演歌歌手「チャダ」さんも有名だったのに、せめて「チャダ」にできなかったものかと、今でも残念です。今度も監督名のほか、主演男優の名前「Viveik Kalra」が「ヴィヴィク・カルラ」になっているので、これも「ヴィヴェク・カルラ」に直していただきたいのですが、ポニー・キャニオン様。映画の反応の検索とかして、ぜひこのブログに来て下さい!

『Blinded by the Light(原題)』(画像はいずれも© 2019 Warner Bros. Entertainment Inc. All Rights Reserved.)


 2019年/イギリス/英語語/117分
 監督:グリンダ・チャーダ(正しくは:グリンダル・チャッダー)
 出演:ヴィヴィク・カルラ(正しくは:ヴィヴェーク・カ-ルラー)、アーロン・ファグラ、ヘイリー・アドウェル

1980年、ロンドン郊外の小さな町ルートンからお話は始まります。両親がパキスタン人移民の少年ジャベド(ジャーヴェード)は、向かいの家に住む親友マットと丘の上から「最低な町ルートン」を見ていました。マットは誕生日に買ってもらった自転車を得意げに乗り回し、いらない日記帳をジャベドにくれたので、その日からジャベドは毎日日記を付け始めます。数年後、ハイティーンになった二人は相変わらず親友同士でしたが、マットはシンセサイザーを使ったバンドに夢中で、ジャベドは時々マットに歌詞を書いてやっていました。ジャベドの父は工場勤めでしたが、ジャベドと姉(本当は従姉)と妹を抱えて家計は苦しく、母がミシで仕立ての内職をして家計を支えていました。父はカーステレオでもインド映画『サンガム(合流点)』(1964)の歌を流したりする旧弊な人物で、家計も自分が管理するワンマン亭主。高校を出てカレッジに入ったジャベドは、そこでクレイ先生という文学を教える女性教師に出会い、自分に物書きの才能があることに気づかされます。と同時に、シク教徒の学生ループスから、ブルース・スプリングスティーンの歌を聞かされ、その歌声と歌詞に衝撃を受けます。こうしてブルースはジャベドの神となり、彼は徐々に解放されていって、イライザ(ネル・ウィリアムス)という彼女もできます。ところが不況のために父が工場を首になり、家計はいよいよ逼迫します。そんな中、ジャベドの才能は学校新聞から始まって、様々なところで開花し始めるのでしたが...。


実在の人物で、ジャーナリストであるサルファラーズ・マンズールがモデルになっており、その親友でシク教徒のループスも、実在の人物がモデルです。映画の最後には、彼らがブルース・スプリングスティーンと写したツーショット写真が登場し、彼らがいかにブルースの濃いファンであるかが説明されます。また、グリンダル・チャッダー監督がブルースと写した写真も使われていて、ブルースのお墨付きも得ている作品であることがわかります。もちろんブルースの曲はふんだんに使われていて、途中ジャベドがブルースの曲の洗礼を受けるシーンでは、歌詞が画面に現れて、ウォークマンを聞いているジャベドの耳から流れたり、彼の周囲を巡ったりと、とても楽しい画面に仕立て上げられています。音楽面だけでなく、1980年代後半のイギリスの雰囲気を出すために、服装や車などの大道具・小道具の再現に加えて、移民への蔑視、差別などの社会の現実もきちんと描かれています。

Viveik Kalra in Blinded by the Light (2019)

グリンダル・チャッダー監督自身もケニアのナイロビから幼い時にロンドンに移住し、似たような経験をたくさんしてきたのでしょうが、年代が20年ほど違うためか脚本にはサルファラーズ(あちゃー、「サーフラツ」なんて表記になってる!)・マンズール本人にも参加してもらい、上手にまとめています。ちょっと主人公が幸運すぎるような気もするのですが、おそらく「盛って」はいないのでしょう。途中、ソング&ダンスシーンも入れたりするところは、グリンダル・チャッダー監督の面目躍如です。そして、何よりもブルースの歌声が、歌の歌詞が、我々に魔法を掛けてくれます。日本でもまだまだファンは多いと思うので、この映画で涙する人もたくさんいることでしょう。今日は一番大きいスクリーン7での上映でしたが、結構席がうまっていて、若いカップルとかが楽しそうに見ていました。また、笑うシーンでは私と同じくらいの年代の声がよく聞こえ、オールドファンも見に来ていることが感じられました。最後には拍手が起きましたし、公開されると人気を呼ぶのではと思います。人名表記さえ正しく直して下さったら全力で応援しますので、ポニー・キャニオン様、ぜひご検討下さい! 下に、予告編を付けておきます。「ベーター(息子よ)」等ヒンディー語というかウルドゥ語も聞こえますので、見てみて下さいね。

 BLINDED BY THE LIGHT - Official Trailer - Now Playing In Theaters


第32回東京国際映画祭:DAY 7

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本日は自宅にてオンライン鑑賞。コンペ作品のイラン映画『ジャスト 6.5』です。

『ジャスト 6.5』(画像はペルシア語ポスターを除きいずれも© Iranian Independents)

 

 2019年/イラン/ペルシア語/135分/原題:Metri Shesh Va Nim
 監督:サイード・ルスタイ
 出演:ペイマン・モアディ、ナヴィド・モハマドザデー、ファルハド・アスラニ

警察官が数人、塀に囲まれたある建物にレイド(強制捜査)をかけるシーンから、映画は始まります。何重にもなっている入り口の扉を壊して入り、捜査しようとしていると、部長刑事のサマド(ペイマン・モアディ)は屋上から飛び降りて逃げる男を発見。しつこく追跡しますが、男は工事現場の塀を乗り越えて向こう側へ。ところが、男が飛び降りた所には深い穴がうがたれており、飛び降りた男の上にブルトーザーが土を埋め立てます...。そんな苛烈な捜査が続くのは、サマドらが麻薬の密売組織を追っているからでした。時にはホームレスの人々が暮らす土管を積み重ねたスラムに乗り込み、麻薬中毒の男女多数を署に連行したり、売人の家に乗り込んで証拠の品を探したり。後者では妻が「夫は買い物に行っています。私と子供は何も知りません」としらを切っていたのが、麻薬犬が妻にほえかかり、妻の体から証拠品が、といったように、いずれの事件も一筋縄ではいきません。今回空港で逮捕したのは麻薬を飲み込んでいた男たちで、売人の元締めは高級マンションに住むナセル・ハクザド(ナヴィド・モハマドザーデ)という男でした。ナセルの超豪華なマンションに令状を持って訪れたサマドや同僚のハミドらは、テラスの湯船につかって意識をなくしているナセルを見つけます。病院で手当てした後逮捕し、留置場に連れて来られたナセルは、サマドを買収しようとしたり、こっそりと携帯電話を持ち込んでいる男から電話を借りて、「ジャパニーズ・レザー」と呼ばれる男に連絡を取ったりします。サマドらもあの手この手で応戦し、やっと罪を立証して、判事から判決を引き出します。麻薬売買の元締めであるナセルへの判決は、「死刑」でした。刑の執行前にはナセルの両親や兄弟姉妹、その子供ら一族郎党が面会に訪れ、ナセルのお金で留学できたことや、子供がいい学校に通えていることを涙ながらに感謝します。そしてある晩、刑が執行されました...。

長々とストーリーを書きましたが、日本語字幕で見たのならさらにもっと細かく書けたと思います。とても面白い作品だったのですが、ものすごい会話応酬劇で英語字幕ではとても読み切れず、ナセルが逮捕されて以降はよくわからない点が多かったのです。ナセルが警察到着直後に指紋がはっきりと出ないよう指先を傷つけようとし、それに気づいたハミドがサマドに告げた結果、そのまま指紋が採取されるのですが、記録によると同じ指紋の男がすでに死刑になっていることが判明します。その事実がその後どうなったのか等々、フォローできない点が多々ありました。ですが、非常によくできた作品で、2時間14分の映画を途中で巻き戻したりしながら、4時間ぐらいかけて楽しんでしまいました。その面白さの理由は主として、麻薬の元締めナセルを演じたナヴィド・モハマドザーデ(資料には「モハマドザデー」となっていますが、正確には「ナヴィード・モハマドザーデ」だと思います)の魅力でした。サマドを演じたペイマン・モアディ(ペイマーン・モアーディー)は、『別離』(2011)の夫役で日本でも知られていますが、彼と互角に渡り合う演技力は並のものではありません。

Farhad Aslani, Payman Maadi, Navid Mohammadzadeh, and Parinaz Izadyar in Metri Shesh Va Nim (2019)

ナヴィド・モハマドザーデはゲストとして来日したものの、写真ではいつもサングラスをかけていて残念なのですが、あの瞳が時には鋭く光り、時には涙で曇って、ものすごく雄弁なのです。1986年4月6日生まれとのことなので、まだ33歳なのですが、すでに何本もの映画に出演して多くの賞を受賞しています。この作品を見たライター仲間の友人が、「今回も主演男優賞をもらわないかしら...」と言っていましたが、確かにそれに値する演技でした。上のポスターでは、横顔が描かれているのがナヴィド・モハマドザーデです。ポスターの下部に書かれているのがタイトル「Metri Shesh Va Nim」で、「ミトリー(ちょうど?)・シーシュ(6)・ワ(~と)・ニーム(半分)」、つまり「ジャスト 6.5」となります。これはラスト近くでサマドが言う言葉、「俺が警察に入った頃に麻薬中毒者は100万人だったが、長年にわたって逮捕して刑を執行し続けてきたあげく、今じゃ650万人だ」(映画祭カタログから引用)、つまり「ちょうど6.5倍だよ」から付けられたとか。どこまで事実に沿って描かれているのかわかりませんが、拘置所の狭い房にどんどん男たちを詰め込んでいくところなど、いくつかの極端な描写にも度肝を抜かれます。

監督のサイード・ルスタイは1989年8月14日生まれとのことで、まだ30歳ですが、テヘランのスーレ大学(映画祭カタログではSoore University が「ソア大学」と表記されていますが、正しくは「スーレ大学 دانشگاه سوره」です)の映画&テレビ監督学科を卒業してすぐ2011年に短編を発表、2015年には初の長編映画『Abad va yek rooz(永遠と1日)』を、今回と同じくペイマン・モアディとナヴィド・モハマドザーデの主演で撮り、ファジル国際映画祭で賞を手にしています。この作品も麻薬問題と関連しているようですが、『ジャスト 6.5』では末端の麻薬中毒者と元締めとの間にある極端な経済格差もしっかりと見せ、娯楽性の中に社会性をうまく溶け込ませています。しかしながら、この監督作品の特徴というものすごい数のセリフの応酬には、さすがに途中で疲れを感じてしまい、字幕翻訳者の方は大変だったろうなと同情してしまいました。日本での公開の可能性は低いですが、今後要注目のサイード・ルスタイ監督とナヴィド・モハマドザーデでした。


第32回東京国際映画祭:DAY 4プラス

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4日目に見たフィリピン映画、『存在するもの』のQ&Aレポートです。作品の簡単な紹介と感想はこちらですので、併せてご覧になって下さい。では、Q&Aのやり取りをどうぞ。司会はプログラミングディレクターの石坂健治さんです。


石坂:ゲストをお2人お迎えしています。エリック・マッティ監督と俳優のケント・ゴンザレスさんです。では、まずご挨拶から。

監督:こんにちは、皆さん。私の作品の上映に来て下さって、ありがとうございます。お楽しみいただけましたでしょうか。実は、今着ているこのTシャツですが、意味をよく知らないで着てしまったんです。(黒地に白で大きく”天才”と書いてある)意味を知った瞬間、脱ぎたくなってしまいました(笑)。


石坂:いえいえ、その通りですからどうぞそのままで(笑)。では、ケント・ゴンザレスさん。

ケント:皆さんこんにちは。映画はどうだったでしょうか。今回は東京に来られて嬉しいです。


石坂:今日は『存在するもの』の2回目の上映ということで、まずは監督にお聞きしたいのですが、監督はクライム・アクションから変身ものなど、様々なジャンルの映画を撮っておられますね。ホラー映画を撮る時に心がけておられることを教えて下さい。

監督:ホラーというジャンルを撮るのは、私にとっては芸術性を鍛えていく訓練みたいなものです。観客に対しては2歩先を行くように心がけるんですが、彼らが付いてこられないほどかけ離れないようにすると同時に、観客に近寄りすぎて観客の想像が追いついてしまわないよう、ほどよく間隔を保つことに気をつけています。ホラー映画に戻るのがいつも楽しみなのは、自分の職人わざを鍛えることができるからで、スタイルや構成などをいろいろ組み合わせて訓練をしている感じですね。映画の要素である美術や照明、カメラワーク、VFXなどのツールを使い、ある種のムードやトーンを作り上げていくのですが、これが自然、かつユニークなホラー映画を生み出す鍵だと思います。それにホラー映画は、現在問題となっていることやテーマをうまく伝えていくのにも適したスタイルです。娯楽性でつなげて見せることによって、本当に伝えたい社会の闇の部分や人間の本質を観客にわかってもらうことができます。


石坂:ゴンザレスさん、巨匠の撮影現場はいかがだったのでしょうか?

ケント:現場はとても楽しかったです。監督はいつも落ち着いてリラックスしていて、問題が起きても必ず解決策を見いだして最後には笑っている、という感じでした。いろいろ学べましたし、ほんとにプロフェッショナルな方だな、と実感しました。


Q1(男性):前半は『シャイニング』、後半は『エグゾシスト』を思わせるような作品で、非常に楽しく見させていただきました。いろんなジャンルでご活躍とのことですが、ホラー映画ではどういう監督、あるいはどういう作品から影響を受けた、あるいは意識した、ということがあったら教えて下さい。

監督:『存在するもの』では、家族の秘密を描きたいと思いました。ですので、もちろんウィリアム・フリードキンや日本のホラー映画にも影響を受けています。だから、ホラーというジャンルが確立している国、日本で本作を上映するのは結構恐かったですね。黒沢清監督は、私がフィルムメーカーとして最も尊敬している人なんです。私はホラー映画を撮る時に、一つのトーンに固執しないで撮ることを心がけています。一つのトーンに固執してワンパターンになると、自分自身が退屈してしまいます。それで、常に観客を驚かせ、ショックを与えることができるような作品にしました。


『シャイニング』は自分では意識していなかったのですが、面白い例えですね。ほかに私が影響を受けた作品としては、1970年代の映画、例えばロマン・ポランスキーの作品で、ミア・ファローが主演した『ローズマリーの赤ちゃん』などがあります。自分より大きい存在に対して無力でどうしようもない状態を、『存在するもの』でも表現してみました。あと、1964年の映画だと思うのですが、『イノセント』という作品があります。乳母が2人の子供を支配している存在に立ち向かう、という作品です。(調べてみたところ、1961年のデボラ・カー主演作『回転(原題:The Innocents)』のようです。ヘンリー・ジェイムズの小説「ねじの回転」の映画化だとか)本作を撮った一番の目的は、家族の物語を描きたいと思ったからで、観客を楽しませたいと思い、ホラーの要素を付け加えました。ですので、一番影響を受けたのはデンマーク映画の『セレブレーション』(1998)かも知れません。一家のメンバーが帰省して、家庭の秘密が暴かれ、父親の暴力的な一面が見えてくる、という作品です。


Q2(男性/英語):あなたは真の天才です!(監督「ありがとう」)外国映画は楽しませるものが多いのですが、あなたの作品は社会問題、たとえばDVや戦争犯罪なども入れ込んでいますね。うかがいたいのは、なぜそういう社会問題をあえて映画に取り入れているのでしょうか。

監督:ホラー映画の利点は、いろんなシンボルを織り交ぜていくことができるところです。本作は1985年の出来事を描いていますが、父親が家庭での権力をすべて握っています。実はその年は、フィリピンでは20年にわたる独裁政権が終わった年でした。フェルディナンド・マルコスの強権的政権ですね。その後1986年には、初の女性大統領が選出されました。もう一つ、この時代を選んだ理由は、その当時我が国では軍隊が大きな力を持っていて、まるで強権的な父親のようでした。我々はレストランに行って、食事をして支払いをしますが、軍人はそのまま帰ります。そういう権力におしつぶされていたような状況を、この作品では描きたかったのです。こういうテーマに関しては、フィリピンの批評家たちは理解してくれましたが、観客にはなかなか気づかれなかったと思います。ただ、見た後に暴力的な父親が人々の心に残ると思うので、それを持ち帰ってほしかったのです。私はいつも脚本を書く時、「自分はなぜこの作品を撮らなくてはいけないのか。自分はなぜチャレンジしなくてはならないのか。何が言いたいのか、何を観客に伝えようとしているのか」と問いかけながら書きます。コメディであれアクションであれスリラーであれ、私が常に社会問題を映画に入れるのはそのためです。

Q3(女性):大変面白い映画でしたし、ケント・ゴンザレスさんが美しくてステキでした。これまでの経歴を教えていただきたいのですが。

ケント:これが初めての映画出演です。こんな演技をする経験は初めてだったのですが、それまでにいくつかテレビのCFには出演しました。本作の役柄がオファーされた時は、自分にとっての大きなチャレンジだと思いましたし、トップクラスの監督や俳優と一緒に仕事をするわけですから、すごく緊張しました。


監督:今回我々が探していたのは、複雑な演技ができる俳優、そしてちょっと見には女性にも見える俳優(ラストで実は女性だったとわかる)でした。オーディションは2週間にわたって行ったのですが、そういう人を見つけることはできませんでした。当時、会社では別のオーディションも行っていて、それは歌手のオーディションだったのですが、彼も歌うためにきていたのです。たまたま私がタバコを吸うために外に出た時、彼を見かけたんですね。それで、「君、演技できるの?」と聞いたら、「できると思います」と答えたので、部屋に戻って彼のオーディションをしたわけです。そしたら私の指示を聞いても全然びびらないし、演技も自然ですごくいいんですね。それで彼に決めて、今度は彼の双子の妹役を探すことにしました。ところが彼と似た顔の女性が全然見つからなくて困っていたら、ある日彼が「そう言えば、僕、姉がいるんですけど」と言うんですよ(笑)。それで、彼のお姉さんを双子の妹役にキャスティングしたわけです。


石坂:ありがとうございました。いろいろ、映画の秘密が明かされましたね(笑)。最後に監督にご挨拶いただいて締めたいと思います。

監督:アリガトウゴザイマス。


第32回東京国際映画祭:DAY 5プラス

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本日は、フィリピン映画『マニャニータ』のQ&Aのレポートです。本作を見た時の紹介と感想はこちらにありますので、ご参照下さい。プレス向けの上映だったのですが、コンペ作品なのでQ&Aが設定されていました。登壇者は『マニャニータ』のポール・ソリアーノ監督と、主演女優のペラ・パディーリャ、司会は笠井信輔アナウンサーです。

©TEN17P Films (Black Cap Pictures, Inc.)

司会:まず、一言ずつご挨拶を。監督、お願いします。

監督:ハーイ、こんばんは。来て下さってありがとうございます。映画を見て下さって、本当に嬉しいです。そして、TIFFのコンペに選ばれて幸せですし、私自身も映画祭を楽しんでいます。ご質問をお待ちしています。

司会(英語で):ビールはお好きですか?(笑)(←この司会の方は、こういうことをなさるのが嫌いです。通訳さんがいるのですから、ちゃんと日本語で聞き、通訳してもらって、観客全体にわかるようにすべきです。あるいは英語力をひけらかしたいのなら、直後に日本語でも同じことを言うべきです)

監督:アサヒとサッポロがとてもうまいですね。

司会:Thank you very much. ベラさん、お願いします。


ベラ:私もビールが好きです(笑)。コンバンワ、皆さん、今日はお越し下さってありがとうございます。今回は、素晴らしい旅の中での、『マニャニータ』にとって最初のストップ地点でもあります。皆さんに御礼を申し上げたいです。


司会:時間軸が実際の時間軸に近づけてあるという驚きの編集でしたが、その狙いは何でしょう?

監督:私の目的は、この物語をルールや指標を設けずに撮って、撮影したもので語らせる、ということだったんです。フィルムメーカーとしては、見せるだけで十分だと感じていて、すべてを語らないやり方なので、かなり謎めいた部分があると思います。それを、皆さんに解釈していただきたいのです。彼女の旅に付き合っていただくことによって、居心地悪さを感じることと思いますし、忍耐を強いられるかもしれません。私としては観客が、彼女は何をしているんだろう、何を考えてるんだろう、と彼女に寄り添いながら見てほしいと思ったのです。


司会:歌が観客の思いを代弁しているようですね。まともに使われたのは何曲でしょう? そして、それらはフィリピンでは有名な曲なのですか?

監督:歌はそれぞれ、慎重に選びました。ストーリーに沿うような歌詞かどうか、登場人物にマッチするかなど、検討して選んだのですが、特に主人公のスナイパーは孤独な存在ですし、ほとんどセリフもありませんから、音楽で彼女の心情を語らせるようにしたのです。フレディ・アギーラの歌っているメインテーマ曲は、最後のシーンで、警察が彼女の復讐相手を逮捕する時に実際に使った曲ですが、これはどうしても使わなくてはいけませんでした。ほかの歌はその曲調に合わせるようにして、フィリピンのフォークソングとか有名バンドの曲とかから選びました。ラヴ・ディアスの作った曲も、1曲含まれています。

司会:ベラさんにうかがいたいのですが、どんな台本でした?

ベラ:非常に短い、人生で一番短い台本で、8ページだけでした。

司会:その台本でお芝居をするのに、何か不安はありましたか?

ベラ:本当に短い台本で、最初に読んだ時は、このあと92ページが続いて来るのかと思いました(笑)。でも、追加で来たのは1、2ページだけでした。私にとっては、非常に不安に思ったところと、反対に非常に冷静な部分が同居していた感じで、映画を撮っていくと、何も言っていないんですが、とても雄弁なんですね。いろんな意味が含まれていたり、何もやっていないように見えて実はいろんなことを彼女は感じている、という具合だったんです。8ページしかないことで、逆にいろんな気持ちや動きが自由にできる、という開放感がありました。


司会:すべてが集約された最後のシークエンスは見事な演技でしたが、その撮影での苦労話があれば教えて下さい。

ベラ:最後のシーンは、皆さんにとても助けてもらいました。ここ数日、日本に滞在していろんなインタビューを受けたりしているのですが、そこでも言っているように、全部順撮りだったんです。ですので最初のシーンから撮って、そして最後のシーンを最後に撮ったんです。最後のシーンの撮影終了時は、このキャラクターからすべて解放されるんだ、私自身もこの人物とお別れしてしまうんだ、と思うと涙が出てきて、旅が終わるという気持ちでいっぱいになりました。そしてここ東京で、初めてのストップ地点になると言いましたが、人間としても俳優としても解放された気分を味わっています。


Q1(男性/英語と、続いて日本語訳も):監督への質問なのですが、カメラがほとんど動かない、という撮り方の理由について教えて下さい。(←よくマナーをご存じの方です。日本語も完璧でしたが、外見は欧米人に見えたようで、司会者が「その外国の方」と言って指していました)

監督:カメラの動きを制限したのは、意図的なものです。カメラは静止しているか、ドリー(水平移動の台車)を使うかあるいはパン(カメラの首を振ること)を使うか、といったところに限られていました。スナイパーは最小限の動きしかしませんので、カメラにもそうさせました。私の今回の手法は「超越シネマ/トランセンデンタルタル・シネマ(transcendental cinema)」と呼ばれるもので、非常に長いテイク、同じシーンのロングショットを撮るのですが、カメラがずっと静止していることによって、フレーミングと構成のいろんなところに皆さんが気がつくことができる、というものです。カメラが静止しているからこそ、見えるものがあるのです。主人公が同じ部屋でずっとビールを飲んでいる、というシーンでも、主人公の空虚感とかいろいろなことを感じていただけると思います。


Q2(女性):2つ質問があります。1つは「Genesis」とうバススタンドに行く時にタクシーを家に呼びますが、そのタクシーのドアに「コリント人への書簡第4章」と入っていました。これはどういう意図があったのでしょう? それから、映画の中と、ラストのクレジット部分に流れる歌が、ラヴ・ディアス監督の歌でしょうか?

監督:先にあとの質問の方にお答えしますが、最後の歌がそうで、ラヴ・ディアスと一緒にレコーディングしました。劇中でも彼の声で歌われています。それから最初の質問ですが、もちろん意図的に入れました。神父とのやり取りの中に、「見えるものは信じるな、見えないものを信じろ」というセリフが出てきますが、あのコリント書簡には要約するとそういうことが書かれているのです。バススタンドを「ジェネシス」、つまり、第一章、始まり、としたのも、ここから彼女が新しく生まれ変わって始まる、という意味もこめて、こういうバススタンドがあったのであえて使いました。


Q3(男性):基本的なことですみませんが、舞台となったカパゴー州(?)は実際にどういう歴史を持っている町なんでしょうか。現在は歌声で投降させている、とい運動は、なぜその土地で起こったのでしょうか

監督:普通のフィリピン人は、歌うのがすごく好きなんです。毎日、いつでも歌っています。カラオケも大好きで人気があります。警官も、署での長い一日を過ごしてから、歌いにいったりします。ダバオにちかいカパーゴがある地域はフィリピンの南部なんですが、フィリピンではドラッグが大きな問題になっていることはご存じだと思います。警察ではもちろん署長の意見が一番重視されますが、ここの署長が「暴力を使って何で犯罪者を殺さなければいけないんだ」と突拍子もないことを言い出したんです。彼の意見は、「歌を使って、麻薬中毒者たちに訴えよう」というものでした。私も実際に所長に会って聞いてみたのですが、「ドラッグを使っている人は音楽を聴くと、普通の人よりも気持ちが高ぶって歌詞に敏感に反応する」と言うんですね。実際にこの手法で、千人以上逮捕できたそうです。ですから銃を使わず、暴力を使わず、このマニャニータ警察と私たちは呼んでいますが、そこは非常に平和的手法で成果を上げています。そして、彼らに更生するチャンスを与えているんです。

Q3(追加):どういう歴史がある町なんですか?

司会:「この町は闇を抱えている」と神父が言いますね。主人公もそこで悲惨な事件に遭っているわけですが....。

監督:それは単なる映画の中のセリフで、実際の町のことを言ったわけではありません。神父の言葉は国全体という意味で言っています。

司会:この地域の歴史的背景とかあるのでしょうか。

監督:ドラッグが問題になっているたくさんの町の一つではありますが、それだけです。

Q4(男性):どのような気持ちで、このヒロインを演じられましたか?

ベラ:毎日、疑問が山のように出てきました。セリフがないので、自分の頭でシナリオを作り、いっぱい考えないといけなかったのです。もちろん監督ともいろんな話をしましたが、毎回長回しなので、その中で彼女がどう考えて、何をしなければいけないのか、というのを自分で考える必要がありました。ですが、最後の方になると主人公の気持ちがよくわかって、ビールを飲むにしても、彼女だったらこうする、というのができるようになってきました。今まで私は、フィリピンの娯楽映画とテレビに出ていたのですが、今回の役はこれまで自分が演じてきたキャラクターとはまったく違っていました。監督に全信頼を置いて、その中に溶け込んだという作品になったので、かなり不安や緊張があったものの、どこかに冷静な気持ちもあって、その両方を行き来して演じました。


でもやってみて、とても充実感を感じます。人間としても女優としても、成長したと思います。あと、撮っている時は主人公の気持ちに同調して落ち込み、誰にも話せなくてよく泣きたくなったんですが、監督には「ここで泣いちゃダメだよ」と言われて、感情を抑えることがたびたびでした。「泣くのは楽しい時だ。君はスナイパーなんだから、感情をあらわにしちゃいけない」と言われました。


というわけで、Q&Aは終了しました。この作品の中で使われていた、警察官が歌って自首を促すシーンの映像が面白かったので、YouTubeにないかと思って探したのですが、見つかりませんでした。DJポリスならぬカラオケ・ポリス(?)、歌の上手な人が多いフィリピンならですね。

 

第32回東京国際映画祭:DAY 6プラス

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TIFFの宿題がまだ残っていました。Q&Aレポート、最後は11月3日(日)の上映後に行われたベトナム映画『死を忘れた男』のヴィクター・ヴー監督です。ヴィクター・ヴー監督は、一昨年公開された『草原に黄色い花を見つける』(2015)の監督なのですが、こんな文芸作品の映画化を作る一方で、『ソード・オブ・アサシン』(2017)というような時代劇アクションも撮っています。それで、一体どんな監督なのかなあ、と興味があったのと、『死を忘れた男』の主人公が結構悪魔的な雰囲気を身にまとっていたため、どのような意図であの作品を作ったのか知りたい、と思ったからでした。登場したヴィクター・ヴー監督は、物静かな感じの人でした。アメリカで生まれ育ち、現在はアメリカとベトナムを行き来して映画制作をしているヴィクター・ヴー監督なので、Q&Aも英語で行われました。司会は石坂健治プログラミングディレクターです。


石坂:皆様、お待たせしました。東京国際映画祭クロスカット・アジア部門、ベトナム映画『死を忘れた男』でした。監督がいらしてますので、早速お迎えしたいと思います。ヴィクター・ヴー監督です。英語と日本語で進めて参りたいと思います。監督、ようこそお越し下さいました。ひと言ご挨拶をお願いします。


監督:お招き下さいまして、ありがとうございます。皆さん、こんばんは。私が『死を忘れた男』の監督ヴィクター・ヴーです。東京というか、日本に来たのは3度目ですが、また来られて嬉しいです。

石坂:アメリカとベトナム、両方をベースにしてのご活躍ですが、ベトナムはホーチミン市の方ですか?

監督:ホーチミン市です。実は今は、ホーチミンでの仕事の方が多くなっています。私はアメリカで生まれて大きくなったのですが、12年ぐらい前に映画を作るためにベトナムに戻って、今ではホーチミンがベースになってしまいました。


石坂:それでは、皆さんからご質問を受けたいと思います。

Q1(男性):監督の『草原に黄色い花を見つける』という作品が大好きで、あの作品には泣かされました。今回も、タッチは全く違いますが素晴らしい作品で、女優さんがきれいな人ばかりというのが印象的でした。今回の物語は、どうやって考えられたんでしょうか?


監督:ありがとうございます。実は今、『草原~』と同じ作者の小説を原作にした作品を撮っていて、目下仕上げを行っている最中です。今回はロマンスがテーマです。『死を忘れた男』についてお話ししますと、私はもともと超常現象とかホラー映画などにとても興味を持っていました。ベトナムにおいては、日々の文化のありようにスピリチュアルなものが大きな役割を担っています。ですので私は以前から、生と死に関する大きな疑問に心を引かれていたんです。本作では、主人公が死に直面した時に、自分を不死身にしてもらう、という機会を得るわけですが、このような形で自然に反することをしてしまうと、その結果がどんなものになるのか、という点にとても興味がありました。人間はずっと昔から、死にどう対するのか、ということに関して、様々なスピリチュアリティ、様々な精神性、あるいは魔術のようなものも使って対処してきました。もちろんそれは、よりよく生きるためのものであったと思うのですが、本作の場合は、主人公がそういった力を借りて不死身になるわけですね。ですがそのように自然に反することをした場合、特に黒魔術を使った場合、その結果はどうなるのか。その答えは、今日の映画でご覧いただけたかと思います。

Q1(追加):監督の次の作品をお待ちしています。

Q2(女性/英語での質問):監督に御礼を申し上げたいと思います。というのは、この作品を通じて、生と死は人間に対する贈り物だとわかったからです。本作を拝見できて、とても嬉しかったです。それで質問なんですが、本作を作られるに当たって、一番大変だったのはどの部分だったのでしょうか?


監督:大変な部分はいっぱいあったんですが(笑)、技術的な挑戦を強いられた点で、これまで作った映画の中で一番難しかったです。2点あるのですが、誰にとってもすごく大変だったのは洞窟の場面でした。皆さんが映画でご覧になった洞窟に行くためには、山を登り、ほかの洞窟を流れている水の中を泳いだりして、1時間半かけて行かないといけないんです。それを毎日やるわけですが、朝着くまでに1時間半、帰り道も1時間半かかるので、12日間の撮影中には1日6時間ぐらいしか撮れない時もありました。あのサンドン洞窟群というのは世界で最も大きな洞窟群で、風景が非常に美しいのです。ですから、それぐらい苦労してでもあそこで撮る意味がある、と思いました。そんな風に大変だったので、私は10ポンド(約5㎏)痩せましたし、監督助手は22ポンド(約11㎏)体重を減らしてしまったほどです。まあ、健康のためにはよかったんですが(笑)、本当に大変でした。というわけで本作は、サンドン洞窟群で初めて撮影された作品となりました。あの現場はその入り口にあたる部分です。奥に入るためには、1週間ぐらいかかってしまう場所です。


もう一つ大変だったのは、主人公がトラックの上で争うシーンです。主人公が強い酸のようなものを使って拘束を解き放ちますが、あれを撮るのに5日間かかりました。あのシーンを撮ったのは1年の内で最も暑い時期で、連日の気温が46、7度ありました。おまけに主演男優は特殊メイクをしていて、かつらをかぶり、顔も濃いメーキャップをしていました。その格好で炎天下の撮影ですから、スタントマンを2、3人用意していて、交替してもらいながらでないと無理でした。

Q3(男性/英語):美しい作品をありがとうございました。演出が素晴らしかったと思います。ベトナムの風景がとてもきれいでしたし、その時々のシーンが、主人公が感じているモラルであったり、精神性などを表していると思いました。質問は、ロケ地はどのようにして選ばれたのか、ということと、特に主人公の心情に即して選ばれているのでは、ということについて、お話いただけたらと思います。


監督:とても興味深いご質問をありがとうございます。私の前の作品『草原に~』もそうなんですが、私にとってロケ地は、映画のキャラクターそのものなんです。どのロケ地にいる登場人物を見るかによって、観客の受け取る印象が大きく変わってくるからです。この映画は何十年にもわたってお話が続いていくこともあって、ロケ地を探すのはとても大変でした。ロケ地を探すのに私たちは、1年半近くの日数を費やしました。でもこの経験は私にとって、ベトナム中を旅して回るという、素晴らしい体験ももたらしてくれました。美しい場所はいっぱいあったのですが、残念ながら全部を映画の中で使うことはできませんでした。


そして、主人公の心情が変化していくのと場所が連動している、というご指摘はまさにその通りで、そう意図して作りました。たとえば主人公が、ズエンと出会って再び愛をはぐくむ場所は、静かな海辺です。そういう人気のない場所にすることによって、主人公が平穏な気持ちになっていること、再び愛する感情を持って再生した、ということを示したかったのです。それから、もちろん洞窟もそうです。本作は、最初のシーンも最後のシーンも洞窟ですが、私にとって洞窟は、人間の原始の状態を表している場所だと思えるからです。本作では主人公が再生する場所として、そして最後に本当に死んでしまう場所として、洞窟を使いました。


Q4(男性):不死と輪廻転生というテーマは、日本映画にとってなじみ深いものだと思います。ですので映画を見ていて、手塚治虫の「火の鳥」を読み返したいなと思ったりしました。監督がこれまでお作りになった作品で、影響を受けた映画や監督がいたら教えて下さい。

監督:ご質問ありがとうございます。私はアメリカで育ちましたので、映画学校に行く前は、ヒッチコック、黒澤明、スコセッシといった監督作品から影響を受けました。ですが映画学校に入ると、いろいろ異なった世界中の作品をたくさん見せられました。フランス映画、イタリア映画等々ですね。ですので、映画学校で私は多くのことを経験し、成長したと言えます。とはいえ、成長する過程で影響を受けたのは、さっき言った3人の監督です。


石坂:ちなみに、黒澤明の一番好きな映画は?

監督:私が好きな作品はいろいろありますが、『羅生門』『影武者』『乱』は何度も何度も見た作品です。特に『乱』はスケールの大きさに圧倒されました。

石坂:ありがとうございました。そろそろ時間が来たようですので、最後にひと言お願いします。

監督:私の映画を見て下さって、遅い時間までお付き合い下さり、本当にありがとうございました。楽しんでいただけたことを願っています。また別の作品を持って、もう一度ここに戻ってきたいです。今回は、素晴らしい体験をさせていただきました(拍手)。

最後のフォトセッションでは、監督は眼鏡を取って下さったのですが、私は眼鏡を掛けたお顔の方が好きなので、お願いしてまた眼鏡を掛けていただきました。まだまだ新しい分野を開拓して下さりそうな、才能の底が見えない監督さんでした。



 

『ロボット2.0』対談@BANGER!!! が面白い!

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現在公開中のインド映画『ロボット2.0』。いろんなご紹介がいろんな所に出ていますが、昨日映画紹介サイト「BANGER!!!」にアップされたトーク「インド映画とアメコミ映画の共通点とは? 映画ファンこそ観るべき『ロボット2.0』」が本音トークでとっても面白いです。トークを繰り広げてらっしゃるのは、アメキャラ系ライター・杉山すぴ豊氏と、『ロボット2.0』の配給会社アンプラグドの加藤武史社長。「BANGER!!!」の記事はこちらです。


お話が面白かったせいか、記事がとてつもなく長くなっています。記事のライターは「BANGER!!!編集部」になっているのですが、カットしようにもあちこちに飛び散りまくる杉山すぴ豊さんのお話と、裏話も入った加藤社長のお話はどこにもはさみを入れられず、そのまま全編収録となった模様です。何せタイトルに入っているアメコミ映画がいろいろ引用されているのはもちろんのこと、インド映画も『バーフバリ』は出てくるは、『バジュランギおじさんと、小さな迷子』にも触れられているはで、ハリウッド映画ファンからインド映画ファンまでが楽しめる内容になっています。


特に杉山すぴ豊さんは女性ロボット役のエイミー・ジャクソンが大のお気に入りで、フィギュアを作ってほしいという発言まで飛び出す始末。確かに、ちょっと手元に置いておきたい美しさですよね、エイミー・ジャクソン。杉山すぴ豊さんの発言に「TVドラマ『SUPERGIRL/スーパーガール』(2015年~)でサターンガールを演じている女優さん」というくだりがあったので、早速チェックしてみましたら、日本版Wikiには、「サターンガール:土星の衛星「タイタン」出身のテレキネシスの能力を持つスーパーヒーロー」役と説明してありました。杉山すぴ豊さんが「すごく綺麗な女優さんだなって思ってたんですが、まさかインドの女優さんだと思ってなくて」と言うと、加藤社長が「インド映画で活躍していますが、イギリス人の女優さんですね」とすぐに夢を破る(笑)という、わははの対談です。


エイミー・ジャクソンの「サターンガール」姿は、IMDbの「Amy Jackson」で見られます。一つだけ画像をいただいて貼り付けておきましょう。ずいぶん感じが違いますね(お化粧が違うから?)。

Amy Jackson Picture

そんなこんなで、いろんなファンが注目している『ロボット2.0』、まだご覧になってない方は、すぐに劇場へGO! 公式サイトはこちらです。最後に予告編(Web限定版!)を付けておきますね。

映画『ロボット2.0』web限定予告編



『天気の子』in India

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先月、いろんな人から、「『天気の子』がインドでヒット中なんだって?」と尋ねられました。それで、『天気の子』の英語題名『Weathering with You』で検索してみたところ、国際交流基金(Japan Foundation/以下JFと略)の映画祭で上映されたことがわかりました。続いて日本語のサイトでもいろいろ調べてみたら、まずJFのプレスリリースが見つかりました.下にコピペしておきます。

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「インド日本映画祭」が 9 月 27 日開幕
~インド公開が決定した『天気の子』の上映&新海誠監督ご登壇も決定~

国際交流基金は、2019 年 9 月 27 日から、インドで同国最大規模の日本映画イベント「インドにおける大型日本映画祭」の一環として「インド日本映画祭」(英:Japanese Film Festival in India)を開催し、インド全国 7 都市で 25 作品の日本映画を上映します。
日本国内興行収入 121.8 億円(9 月 8 日時点)を突破した『天気の子』の上映と、同作の監督・新海誠氏のデリー会場への登壇も決定。『天気の子』は 10 月 11 日にインド公開を控えていますが、日本のオリジナルアニメ映画がインドで一般公開されるのは史上初。インドでの『天気の子』の劇場公開を強く求める署名活動に応える形で、現地では新海監督とファンとの交流も予定しています。
国際交流基金は、インドでの日本映画の認知度を高め、日本映画のファン層を拡大するため、2017 年度から「インド日本映画祭」を実施してきました。本年度は、過去 2 回の映画祭の実績を踏まえ、より多くのインドの方に日本映画を楽しんでもらうために規模を拡大しました。また、映画祭に続き、日本映画が恒常的に鑑賞できる環境を映画館に期間限定で設け、少しでも多くの方に日本映画の魅力を伝えていきます。

 記

 事業名称: インド日本映画祭(英:Japanese Film Festival in India)
 主 催: 国際交流基金ニューデリー日本文化センター
 開催日程: 2019 年 9 月 27 日(金)~2020 年 2 月 16 日(日)
 場 所:デリー 9 月 27 日~10 月 6 日 PVR Cinemas, Select City
     グルガオン 9 月 27 日~10 月 6 日 PVR Cinemas, Ambience Mall
     チェンナイ 11 月 8 日~17 日 PVR Cinemas, VR Mall
     グワハティ 11 月 15 日~17 日 PVR Cinemas, Dona Planet Mall
     バンガロール 12 月 6 日~15 日 PVR Cinemas, Forum mall, Koramangala
     ムンバイ 1 月 17 日~26 日 PVR Cinemas, Maker Maxity Mall, BKC
     コルカタ 2 月 7 日~16 日 PVR Cinemas, Mani Square Mall

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ニューデリーのラージパト・ナガルにある国際交流基金の事務所

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日本ではたくさんの媒体に「『天気の子』のインドプレミアが現地時間9月27日に開催され、監督の新海誠が出席した」という報道が出ていました。たとえば、こちらとかこちらです。同じ内容の記事なので、どこかから配信されたもののようです。また、YouTubeには観客が撮ったらしいQ&Aの動画もアップされています。素人さんの撮影ではあるのですが、Q&Aの内容や観客の反応がバッチリ捉えられていて、とても興味深いです。日本語の通訳をしたインド女性もとてもお上手で、また、新海監督の場の仕切りもうまくて、引き込まれて見てしまいました。

で、その後10月11日(金)から公開というのが上記のJFの報道にもあるのですが、公開されたのかどうかがわかりません。時間ができた先週にインドでの公開作品サイトを検索してみたのですが、上映情報がありませんでした。ということは、短期間の上映で終わったのでしょうか? インドの各ニュースをチェックしてみたのですが、「公開予定」という記事ばかりで、観客の反応や映画評が載ったりしているものがありません。インド在住の方で、ご存じの方はコメントで教えていただけると嬉しいです。日本映画はずっと以前、今村昌平監督の『楢山節考』(1983)がインド国際映画祭で上映されたあと一般公開され、インド人に深い印象を残したことがあるのですが、もし、『天気の子』の公開状況がわかると、とても助かります。インド在住の皆様、よろしくお願いします。

スペース・アーナンディ/インド映画連続講座第Ⅳ期<2>「衣服を知る!」

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スペース・アーナンディ/インド映画連続講座もⅣ期目に入っています。Ⅳ期目第1回「格差を知る!」は先週土曜日に開催したのですが、初めての方がたくさん来て下さり、とても嬉しかったです。皆さんからは鋭いご質問も出て、充実した講座になりました。「格差を知る!」の2回目、11月30日(土)はすでに満員でキャンセル待ち状態なのですが、その次のテーマ「衣服を知る!」のご案内をアップしておきます。


スペース・アーナンディ/インド映画連続講座第Ⅳ期

「映画で知る! インド人の生活」

<第2回>衣服を知る!~衣服のTPOと意味

スペース・アーナンディでは、毎年1つのテーマで行う「インド映画連続講座」を開催中ですが、第Ⅳ期は「映画で知る! インド人の生活」と題して、現在のインドの生活がよくわかるパートを映画から拾ってみようと思います。映画はフィクションですが、多くが現実をもとに作られており、今のインド人のライフスタイルや考え方が映画に色濃く反映されています。実際には「お邪魔しま~す」とずかずか入り込むのが難しい場所でも、映画なら見せてくれるシーンも多く、インド人の生活の一端を知るには、映画は最適のツールです。

今回取り上げるのは「衣服」。インド人は今でも、民族衣装をよく着ます。それはどんな時に? 着るのはどんな人が? そしてどんな民族衣装を? インドでも、都会では男女ともに洋服が日常着になりつつありますが、それでも民族衣装を着る割合の高い場所や場合も多く、映画の中にもそれが反映されています。また、ある記号性を持った衣服--例えば、イスラーム教徒男性のイスラーム帽、女性のブルカーやヒジャブ、そして男性がまとうサリーなど、何かの意味を表すものもあります。結婚衣装も、宗教や地方によって様々に違いがあるなど、衣服は実に雄弁です。それがわかる実例を様々な作品から取り上げて見ていく予定ですが、これら衣服の知識は、次にインド映画をご覧になる時の大きな助けになることと思います。

なお、メインの講座と抱き合わせで開催してきた「映画で学ぶヒンディー語塾」では、実際に映画で使われた会話を学びます。ほんの1、2分の会話ですが、今回は『PK/ピーケイ』から。ヒンディー語が初めての方でも大丈夫、カタカナ書きの通り読めば意味が通じてしまいます。30分間の濃密なヒンディー語学習体験をどうぞ。

 

 日時:2019年 12月14日(土) 15:00~17:30
    2020年1月18日(土) 15:00~17:30
 場所:スペース・アーナンディ(東急田園都市線高津駅<渋谷から各停18分>下車1分)
 定員:20名
 講座料:¥2,500(含む資料&テキスト代)
 講師:松岡 環(まつおか たまき)

 

ご予約は、スペース・アーナンディのHP「受講申し込み」からどうぞ。ご予約下さった方には、ご予約確認と共に、スペース・アーナンディの地図をメール送付致します。床におザブトンをひいて座っていただく形になりますので、楽な服装でお越し下さい(申し訳ないのですが、スペースの関係上イス席はご用意できません。悪しからずご了承下さい)。皆様とお目にかかれるのを楽しみにしております。(松岡 環) 

[講師紹介]1949年兵庫県生まれ。大阪外大(現大阪大)でヒンディー語を学び、1976年からインド映画の紹介と研究を開始。1980年代にインド映画祭を何度か開催したほか、様々なインド映画の上映に協力している。『ムトゥ踊るマハラジャ』『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』『きっと、うまくいく』『パッドマン 5億人の女性を救った男』など、インド映画の字幕も多数担当。著書に、「アジア・映画の都/香港~インド・ムービーロード」「インド映画完全ガイド」等。

Gully Boy poster.jpg

衣服の記号論は、これまでもいろいろお話してきたのですが、最近の作品でも衣服が雄弁な作品がいろいろあるため、「読み解き」を少ししてみたいと思います。また、アクセサリーの解説も欠かせませんね。下のように、花嫁衣装も各土地や宗教によっても違いますし、「衣服を知る!」ためのお話は尽きそうにありません....。

明日から始まる瞠目サスペンス『盲目のメロディ』に注目!

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今年は月イチ公開状態のインド映画。11月はコレです、『盲目のメロディ』。タイトルは、わかるようなわからないような日本語ですが、原題の直訳なのでしょうがないですね。原題は『Andhadhun』で、「アンダー」が「盲目の」、「ドゥン」が「メロディー、旋律」という意味です。すでに映画サイト「BANGER!!!」には紹介文を書いたのですが、そこに書き切れなかったことも含めてこのブログでもまとめてみました。それでは、まずは基本データから。

 

『盲目のメロディー~インド式殺人狂想曲~』 公式サイト
 2018年/インド/ヒンディー語/138分/原題:Andhadhun
 監督:シュリラーム・ラガヴァン
 出演:アーユシュマーン・クラーナー、タブー、ラーディカー・アープテー
 配給:SPACEBOX
※11月15日(金)、新宿ピカデリーほか全国順次公開


 ©Viacom 18 Motion Pictures  ©Eros international all rights reserved

冒頭に登場するのはキャベツ畑。食い荒らされたキャベツに囲まれ、銃を持った男が睨みつけているのは野ウサギです。銃を構えた男から逃げるように跳ねた野ウサギは、道路に跳びだし「プネー」と書かれた道路標識脇で止まります。と、その時銃声が。何のこっちゃ? と思えるこのプロローグが、のちのち大事な意味を持ってきますので、しっかりと見ておいて下さいね。そして、タイトルのあと、カメラはプネーのプラバート・ロードへ。主人公のアーカーシュ(アーユシュマーン・クラーナー)がピアノに向かい、作曲をしている姿が映し出されるのですが、途中まで来ると手が止まってしまいます。どうやら彼の作曲は、そこでひっかかって先に進めない様子です。愛猫が甘えてきますが、不機嫌なアーカーシュは外出します、サングラスと白杖を持って。ん、視覚障害者だったの? 実はアーカーシュ、自分の芸術的センスを高めるため、視覚障害者のふりをしているらしいのです。周りの人はてっきり本物の視覚障害者だと思って親切にしてくれるのですが、隣人の子供である男の子だけは、アーカーシュを疑っています。

一方こちらは、金持ちが住む地区マガルパッター・シティに居を構えるプラモード(アニル・ダワン)。往年の映画スターで、今は引退し、3年前に再婚した若くて美しい妻シミー(タブー)と悠々自適の生活を送っています。台所で料理をするシミーとイチャイチャするプラモード。その頃アーカーシュは、道路を横断していてソフィ(ラーディカー・アープテー)のバイクに轢かれそうになりました。ソフィは平謝りし、アーカーシュをお茶に誘って彼がピアニストだとわかると、父のレストランに連れて行きます。アーカーシュの演奏を気に入ったソフィ父娘は、彼にレストランでの演奏を頼むことに。さらに、レストランでアーカーシュの演奏を聴いたプラモードは、結婚記念日に自宅に来て演奏してくれ、と言います。妻シミーへのサプライズにしたいというプラモードの意をくんで、当日指定された時間にアーカーシュはプラモードの豪華マンションに出かけていきますが、出てきたシミーは「夫は留守よ」と彼を追い返そうとします。押し問答の結果、向かいの主婦が不信顔をのぞかせたこともあって、シミーはアーカーシュを家に入れます。そして、「眼、見えないのよね?」と確認しますが、それもそのはず、ピアノの先には血を流したプラモードの遺体がころがっていたのでした...。

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これが映画の3分の1で、実はここまでは、この映画の元になったフランス短編映画『L'accordeur(The Piano Tuner/ピアノ調律師)』(2010)から基本的アイディアを借りています。YouTubeにアップされている映像はこちらです。

The Piano Tuner (french short film,must see,english subtitles)

この部分もいろいろと改変がなされて映画化されているのですが、さらにその後、「『盲目のメロディ』は見事な変調を展開していきます。変調後もストーリーを全部書いてしまいたいぐらい、サスペンスの構造が素晴らしいのですが、それはご覧になってのお楽しみ。そして、オチのシーンで冒頭シーンの意味がわかったところでジ・エンドとなります。最後まで見たら絶対、もう一度見直したい! と思うこと必至の極上サスペンスなので、楽しみにしていて下さい。

ちょっとだけヒントを差し上げておくと、下の写真の右側に写っているのが当地の警察署長なのですが、殺人事件後はこの人も活躍します。演じているのはマーナヴ・ヴィジュという、パンジャービー語映画でデビューし、現在はヒンディー語映画の脇役俳優として活躍している人です。彼の実生活の奥さんはメヘル・ヴィジュ、つまり、『バジュランギおじさんと、小さな迷子』(2015)や『シークレット・スーパースター』(2017)でお母さん役を演じた彼女なんですね。両方の映画をご覧になっている方は、要注目!です。また、『シークレット・スーパースター』で弟を演じたカビール・サージドも、重要な役で出ていますので気をつけて見ていて下さい。

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ついでにちょっとキャストの紹介をしてみますと、主演のアーユシュマーン・クラーナーとタブーは「BANGER!!!」の記事でもご紹介しましたし、ラーディカー・アープテーと共に公式サイトでも紹介されているので置いておくとして、そのほかの人について書いておきましょう。

まずは、往年のスターであるプラモード役のアニル・ダワン。本作中で紹介されている過去の映画のクリップは、すべてアニル・ダワン自身の出演した映画から取ってあります。アニル・ダワンは、1970年代から80年代にかけて、甘いマスクの主演男優として活躍した人です。残念ながら、作品はいずれも大ヒット作とは言えないのですが、ヒンディー語映画ファンにはお馴染みの顔です。今回は、『Honeymoon(新婚旅行)』(1973)から「♫Mere Pyaas Man Ki Bahaar(僕の渇望する心の春)」(お相手はリーナー・チャンダーワルカル)などのクリップが紹介されています。また、プラモードのお葬式シーンでは、アーカーシュがピアノで「♫Ye Jeewan Hai Is Jeewan Ka (これが人生、人生の姿は)」というアニル・ダワンとジャヤー・バッチャン(当時はジャヤー・バードゥリー)が主演した『Piya Ka Ghar(夫の家、婚家)』(1972)のヒット曲を演奏しており、つい一緒に歌いたくなって困りました。このアニル・ダワン、何とヴァルン・ダワンの伯父さんなんですね。アニル・ダワンの弟が人気監督デヴィッド・ダワンというわけなのでした。2005年頃からはほとんど映画に出ていなかったアニル・ダワンですが、本作で久しぶりに注目されたので出演意欲に目覚めたのか、来年公開の作品にもキャスティングされています。

Piya Ka Ghar, 1972.jpgHoneymoon73.jpg

それから、警察署長の妻ラシカー役のアシュヴィニー・カルセーカルは、後半部に重要な役割を果たす医者スワミ役のザーキル・フセインと共に、本作の監督シュリラーム・ラガヴァン(正確に音引きを付けると「シュリーラーム・ラーガヴァン」)監督のお気に入りのようで、他の作品にも出ています。後半部はちょっとヒントをもらしておくと、臓器移植と脅迫がお話の核となり、シミー役のタブーが演技力を十二分に発揮して観客を興奮させてくれます。タブー姐さん、日本人女優なら『極道の女たち』にキャスティングしたいぐらいです。

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シュリラーム・ラガヴァン監督は1963年生まれの56歳。2004年に『Ek Hasina Thi』で監督デビューし、以後、『Johnny Gaddar』(2007)、『エージェント・ヴィノッド 最強のスパイ』(2012)、『復讐の町』(2015)と撮っていて、本作が5作目です。『エージェント・ヴィノッド』の時は、ソング&ダンスシーンではうまいと思った(特に、エンドロールのシーン)ものの、肝心のストーリーが散漫で、それほど感心しませんでした。しかしながら『復讐の町』では、そのハードな演出に凄みを覚え、同じ監督とは思えない!とゾクリとしたのでした。『復讐の町』はラーディカー・アープテーが注目されるきっかけともなった作品ですが、監督とは相性がいいようだったので、本作でも彼女が起用されたのでしょう。本作では前2作からまた変貌を遂げて、娯楽作品として十分に評価できるサスペンス映画を作り上げたシュリラーム・ラガヴァン監督。今後の活躍も期待できそうです。

©Viacom 18 Motion Pictures  ©Eros international all rights reserved

なお、エンドロールにもちょっとしたおまけがありますので、最後までたっぷりお楽しみ下さいね。あ、もう一つ、ロケ地のご案内で、プラモードの家があるマガルパッター・シティは、このブログでもチラとご紹介しています。興味がおありの方はこちらをどうぞ。アーカーシュの家があるプラバート・ロードも、プネーに行ったことのある人にはお馴染みの通りで、この通りとロー・カレッジ・ロードが交差する角に、インド国立フィルム・アーカイブがあるのです。プネーを舞台にした名作映画が、また1本増えました。

 

『マニカルニカ ジャーンシーの女王』チラシが届きました

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来年1月3日(金)から公開される『マニカルニカ』のチラシをいただきました。実は今、この映画の宣伝のお手伝いをしていて、それもあってブログ更新が滞っている(と、言い訳^^)のですが、その関連でツインさんが送って下さったものです。『マニカルニカ』のお仕事では、インドの歴史をあれこれ勉強し直す場面も多く、久しぶりに学生時代に戻ったかのような気分になっています。それはさておき、まずはチラシの両面を付けておきましょう。

この副題の「ジャーンシーの女王」なのですが、原題は「Manikarnika  The Queen of Jhansi」で、副題はインドでのヒンディー語表記「Jhansi Ki Rani(ジャーンシー・キー・ラーニー)」の英語訳が使ってあります。「キー」は「~の」、「ラーニー」は「Queen」と同じく、「女王、王妃」のどちらにも使える単語です。それで、訳語をツインの担当者の方(ものすごく熱心な勉強家!)と相談したのですが、マニカルニカの年譜を見てみると次のようになります。

Rani of jhansi.jpg

マニカルニカ/ラクシュミー・バーイー略年表(上の画像はWiki「Rani of Jhansi」より)

1828年11月19日 ヴァラナシで僧侶の娘として誕生(=バラモン階級の娘)
          イギリス軍により、ビトゥールに逼塞させられていたマラーター王国の宰相
           バージーラーオ2世にかわいがられて育つ
          剣や弓矢、乗馬などを習い、武士階級の男性のような力をつける
1842年5月    藩王国ジャーンシーの王ガンガーダル・ラーオと結婚
          名をラクシュミーと改める(ラクシュミー・バーイーと呼ばれる)
?         王子を出産するが死亡する
1853年      養子アーナンド・ラーオを迎え、ダーモーダル・ラーオと命名
1853年      夫ガンガーダル・ラーオ病没
1854年3月    イギリスが藩王国ジャーンシーを併合、城を明け渡すよう命じられる
1857年3月29日  マンガル・パーンデー、バィラクプルで蜂起(のちにイギリス軍により処刑)
1857年5月10日  メーラトでも蜂起、「インド大反乱」全土に広がる
1858年6月18日  ラクシュミー・バーイー、グワーリヤル近郊での戦いで戦死

映画の中にも描かれているのですが、ジャーンシーの藩王が亡くなったあと、ラクシュミー・バーイーは寡婦として生きることよりも、養子ダーモーダルの後見人として王国を統べることを選び、寡婦の装いを拒否します。その後ジャーンシーはイギリスに併合されて王宮を追われるものの、ずっと藩王国のトップとしてイギリスとも交渉していきます。また、以前は日本で「セポイの反乱」と呼ばれていた「インド大反乱」に際しては、ジャーンシーで女子軍を含む軍隊を組織し、最高司令官として戦うわけで、これは、「王妃」というよりも実質的な「女王」であろう、ということから、日本語の副題は「ジャーンシーの女王」となりました。「王妃」とすると、どうしても「王あっての王妃」というイメージになりますからね。このあたり、ぜひ予告編でご確認下さい。 

インド史上最も有名な”戦う王妃”映画『マニカルニカ ジャーンシーの女王』予告編

また、何度か紹介記事をアップする予定ですが、新宿ピカデリーでの上映は、上のチラシ裏にもあるように2週間限定の予定です。お正月早々に見るには、戦闘場面が少々血なまぐさいのですが、なるべく早くご覧になって下さいね。

 

『燃えよスーリヤ!!』が燃え上がる!<2>魅力的な出演者たち

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『燃えよスーリヤ!!』公開まであと5週間、書きたいことがいっぱい出てきました。ステキな公式サイトも絶賛公開中です。それにしてもこの映画宣伝のデザイナーさん、センスいいですよねえ。この前ご紹介したプレスもそうなんですが、公式サイトも基本アメコミ・センスに日本の劇画調も入っていて、何度でも覗きたくなります。公式サイトには出演者の紹介もしてあるのですが、このブログでちょこっと付け足しをしておこうと思います。ではまず、基本データをどうぞ。

『燃えよスーリヤ!!』 公式サイト
 2018/インド/ヒンディー語、英語、マラーティー語/138分/原題:Mard Ko Dard Nahi Hota
 監督:ヴァーサン・バーラー
 出演:アビマニュ・ダサーニー、ラーディカー・マダン、グルシャン・デーヴァイヤー、マヘーシュ・マーンジュレーカル
 配給:ショウゲート
※12月27日(金)よりよりTOHOシネマズシャンテほか全国公開(公開劇場がどんどん増えています。こちらで要チェック!!)

©2019 RSVP, a division of Unilazer Ventures Private Limited

アビマニュ・ダサーニー(スーリヤ役)

1990年生まれということで、間もなく30歳ですが、とてもそうは見えない童顔です。純真無垢なスーリヤにぴったり。身長は公称5フィート8インチ (173 ㎝)とのことですが、足がすっごく長いせいか、もっと背が高く見えます。以前こちらでもご紹介したとおり、彼の母親はかの有名な『Maine Pyar Kiya(マィンネー・ピャール・キヤー/私は愛を知った)』(1989)でサルマーン・カーンと共演し、映画を大ヒットさせた女優バーギャシュリー。以前にもその映画の製作会社ラージャシュリー社から当時いただいたスチールを付けましたが、もう1枚付けて、アビマニュ君と顔を見比べていただきましょう。


©2019 RSVP, a division of Unilazer Ventures Private Limited

う~ん、やっぱり、テルグ語映画の俳優であるお父さんの血が色濃く入っているみたいですね。両親の写真がこちらのサイトに出ているのですが、アビマニュ君、両方のいいとこ取りで生まれ育ったようです。彼のインスタグラムを見ると妹がいるみたいであるものの、まだ彼自身のWikiページもできておらず、詳細は不明。ま、できるのも時間の問題で、と言うのは『燃えよスーリヤ!!』で大注目を浴び、マカオ国際映画祭で最優秀新人男優賞を獲得したこともあって、早々に次作が決まっているのです。監督は何と、シャッビール・カーン。『スタローンinハリウッド・トラブル』なんて変なソフト邦題になってしまった『Kambhakkt Ishq』(2009)のほか、タイガー・シュロフを主演に『ヒーロー気取り』(2014)、『Bhaaghi』(2016)、『Munna Michael』(2017)と勢いのある作品を作ってきた人です。アビマニュ君の主演作のタイトルは『Nikamma(ニカンマー/ろくでなし、役立たず)』で、どんな映画になるのか楽しみですね。相手役はシャーリー・セティアというニュージーランド出身の歌手で、現在ボリウッド音楽界で活躍している女性のよう。また、かつての人気女優で、最近はボリウッド・セレブとしての活躍が主だった美人女優シルバー・シェーッティーの名も上がっています。アビマニュという名前の通り(アビマニュは「マハーバーラタ」に出てくるアルジュナの息子。勇者として知られている)、親をしのぐぐらいの活躍を見せてほしいですね。オマケにもう1枚、「ボク、脱いでもすごいんです」写真を付けておきましょう。タイガー・シュロフに続くアクション・スターとして活躍してほしいものです。


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ラーディカー・マダン(スプリ役)

本作で難しい役をこなし、見事なアクションも披露したラーディカー・マダン。1995年5月1日生まれの24歳です。テレビドラマ出演からキャリアをスタートし、出演者(素人ではなく、タレントやその卵的存在の人が選ばれる)がペアで踊って見せて点数を競うショー番組「Nach Baliye(ダンス・パートナー)」で名を馳せ、2018年に映画デビュー。デビュー作は、シェークスピア作品の映画化で知られる大物監督ヴィシャール・バールドワージの『Pataakha(爆竹)』(2018)で、『ダンガル きっと、つよくなる』の妹役サニヤ・マルホートラーと姉妹役を演じました。ですが、この作品はいまひとつ話題にならなかったので、実質的なデビュー作は『燃えよスーリヤ!!』と言ってもいいようです。相当長期間、アクション演技の訓練を施されたようですが、それによく応えています。特に、ロングスカーフを使ってのアクションはお見事! インドではドゥパッターやオールニーという名前で、上着とズボンの民族衣装クルター・パジャマやサルワール・カミーズには欠かせないアイテムとなっているロングスカーフですが、それを使ってこれだけのことができるのなら、「女性向け、スプリのスカーフ護身術」とか銘打って教室を開いてほしいぐらいです。ラーディカー・マダンも本作の演技によってすぐに次回作が決定、イルファーン・カーンとカリーナー・カプールという大物2人と共演する『Angrezi Medium(英語ミディアム)』が来年3月20日に公開される予定です。『ヒンディー・ミディアム』の続編的作品のようですが、楽しみですね。

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グルシャン・デーヴァイヤー(空手マニ/ジミーの二役)

©2019 RSVP, a division of Unilazer Ventures Private Limited 

さてさてお次は、達者な二役演技を披露してくれたグルシャン・デーヴァイヤーです。上の2枚の写真、1枚目右側の空手マニと下のジミー、同一人物だとわかる人が何人いるでしょうか? 私も別人が演じている、とばかり思っていました。長髪&ヒゲの空手マニは、脚技がすごくて目が醒めるようなんですが、本人の性格はどちらかというと控え目で根暗。しゃべり方もボソボソした感じです。一方のジミーは、外見は洒落者、ジミー警備保障の社長らしい威風をたたえ、”オレ様”感いっぱいの大きな態度。しゃべり方もそれにピッタリの、押しつけがましさ満載トークなんですね。よくまあ、これだけ演じ分けられたものだ、と、グルシャン・デーヴァイヤーという俳優にすっかり心酔してしまいました。ベンガルール出身のカンナダの人のようで、1978年5月28日生まれの41歳。国立ファッション工科大を卒業し、ファッション業界で働いていた、という経歴は、ジミーのファッションセンスを見るとうなづけます。映画デビューは、アヌラーグ・カシャプ監督がカルキ・ケクラン主演で作った『イエロー・ブーツの娘』(2010)。その後様々な作品に出演し、本作が12本目です。ヴァーサン・バーラー監督の第1作『Peddlers(行商人たち)』(2012)にも出演していたのですが、この作品はインドではきちんと公開されておらず、今回の『燃えよスーリヤ!!』で注目されることになりました。すでに次作もあり、ヒロインの恋人となるジャーナリストを演じたZee5作品『Cabaret(キャバレー)』(2019)はすでにネット公開中で、ヴィドゥユト・ジャームワールと共演した『Commando 3(コマンドー3)』は11月29日から公開される予定です。『Commando 3(コマンドー3)』でのグルシャン・デーヴァイヤーは悪の総元締めのようで、やっぱり悪役が一番似合う気が...。

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マヘーシュ・マーンジュレーカル(スーリヤのじいちゃん役)

スーリヤがかわいく「アージョーバー(じいちゃん)!」と呼びかける祖父役を演じているのは、日本でもお馴染みのマヘーシュ・マーンジュレーカル監督。そうなんです、この人、監督としてもすごいんです...いや、すごかったんです、と言うべきか。1999年にサンジャイ・ダット主演の『Vaasutau:The Reality(真実)』が現れた時は、また力のある監督が出てきたぞ、と思わせられたものでした。その後、ヒンディー語とマラーティー語で作られた『Asthitva(存在)』(2000)もなかなかのもので、その頃ある雑誌の編集部の人から、「インドに取材に行くんですが、どんな監督がいいでしょう?」と聞かれて、マヘーシュ・マーンジュレーカルとマドゥル・バンダールカル監督を挙げたこともあったぐらいです(ホントよ)。しかし、マヘーシュ・マーンジュレーカルはその後俳優としての活動の方が忙しくなり、監督業も続けてはいるのですがいまひとつの状態です。近年はヒンディー語映画ではなく、母語のマラーティー語映画を撮っていて、ヒンディー語映画には俳優出演ばかりとなりました。とはいえ、『スラムドッグ$ミリオネア』(2008)のラティカの雇い主のヤクザや、『ダバング 大胆不敵』(2000)のヒロインの父親役、『SANJU/サンジュ』(2018)の監督のチョイ役など、日本で見られる作品もあるため、本作がとどめになって日本でもお馴染みの顔になることでしょう。本作では『スター・ウォーズ』のヨーダみたいな感じで、いい線いってます、じいちゃん。

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というような面々が、『燃えよスーリヤ!!』には登場します。予告編を最後に付けておきますので、顔を目に焼き付けて下さいね。

映画『燃えよスーリヤ!!』12/27(金)公開/本予告60秒


 

インド映画公開情報!『CHHICHHORE(原題)』が来ます!!

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ファインフィルムズさんから、公開情報をいただきました。今年の9月6日にインドで公開されたばかりの『CHHICHHORE』です。「チチョーレー」は「チチョーラー」という形容詞の複数形で、軽薄な、生意気な、というような意味です。さて、どんな邦題になるんでしょうね。すでにティーザーチラシができていて、その画像も送って下さいました。


ヨコ位置で、上の図はチラシの表と裏を一緒にしてあるのですが、これで大体の映画のセッティングはおわかりでしょう。上は、青春真っ盛りのカレッジ時代の主人公たち、下は、それから2、30年後の中年の彼らですね。さてさて、どんなお話が展開するのか楽しみです。主演は、スシャーント・シン・ラージプート(『PK/ピーケイ』(2014)のパキスタン人の彼、サルファラーズ役、あと映画祭上映で『わが人生3つの失敗』(2013)も)と、シュラッダー・カプール(『愛するがゆえに』(2013)、『SAAHO(原題)』(2019))。あと、名女優スミター・パーティルの遺児(となったのは32年前)、プラティーク・バッバルも出ていますね。画像の7人にはいないのですが、どんな役なのかしら? 『ムンバイ・ダイアリーズ』(2011)以降あまり役に恵まれていないので、今度はいい役であることを期待しましょう。なお、このチラシは上映予定の映画館に、今日ぐらいから置いてあるそうですので、早めにいらしてゲットして下さいね。

なお、本作はチラシにもあるように、『ダンガル きっと、つよくなる』(2016)の監督ニテーシュ・ティワーリー作品です。9月6日に公開されてたちまち大ヒット、現在世界興収212.67カロール・ルピー、つまり21億2670万ルピー(約34億円)で、今年の興行成績第9位に付けています。ニテーシュ・ティワーリー監督の奥さんは、以前日本でも映画祭上映された『ニュー・クラスメート』(2016)や『バレーリーのバルフィ』(2017)のアシュヴィニー・アイヤル・ティワーリー監督なのですが、ご夫妻揃ってヒット作を作っているわけですね。一度ぜひ、ご夫妻で来日してほしいものです。

下に、インド版の予告編を付けておきます。詳しいご紹介はまた試写で拝見してからやりますので、しばらくお待ちください。

Chhichhore | Official Trailer | Nitesh Tiwari | Sushant | Shraddha | Sajid Nadiadwala | 6th Sept


第20回東京フィルメックス:Day 1

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雨の中、始まりました第20回東京フィルメックス。今年はメインのスポンサーが再び変更になり、映画製作等の活動をしているシマフィルム株式会社となりました。京都が本拠地で、社長が志摩さんとおっしゃるからシマフィルムのようです。フィルメックスを応援して下さるなんて、心意気のある会社ですね。


開会式で挨拶したディレクターの市山尚三さんも、感謝の言葉を述べておられました。今回の英語通訳は、『バーフバリ』来日ゲストでお馴染みの松下由美さんです。


今回はもう一つ変更がありまして、審査員長で来日する予定だった香港の映画評論家舒琪(シュウ・ケイ)さんが、香港の厳しい情勢のため来られなくなってしまったのです。それで急遽市山ディレクターが白羽の矢を立てたのが、すでに一度審査員長をやったことのあるロンドン在住映画評論家のトニー・レインズさん。「ほんとについ2.3日前にお話があって、今朝ロンドンから着いたところなんです。時差ボケで、前回やったような安倍首相を揶揄した政治ギャグ挨拶も思い浮かびません(笑)」と笑わせてくれます。そうなんですよ、トニー、まだ安倍首相が続投してるんですよ~。彼が審査員長の時に私も審査員をやらせていただいたのですが、あれが2016年、3年前でした。


他の審査員の皆さんは、イラン女優のべーナズ(「ベフナーズ」の方がいいと思いますが...)・ジャファリさん、カザフスタン女優のサマル・イェスリャーモワさん、そして日本からは写真家の操上和美さん、監督の深田晃司さんという顔ぶれです。女優のお二人は、おきれいでチャーミングでした。ベーナズ・ジャファリさん主演のイラン映画『ある女優の不在』は12月13日(金)から公開予定ですが、今回のフィルメックスでも1回だけ上映されます。


トニー・レインズさんは市山さんとツーカーの仲なので、きっと上手に審査員の皆さんをまとめてくれることでしょう。


開会式のあとは、オープニング作品婁燁(ロウ・イエ)監督の『シャドウプレイ』が上映されました。作品データは下の通りです。すでにアップリンクの配給により、明年2月の公開が決定しています。今日の会場には、アップリンクの浅井社長のお姿も見えました。

 

『シャドウプレイ』
 2018/中国/中国語/125分/英語題:Shadow Play/原題:風中有朵雨做的雲
 監督:ロウ・イエ(婁燁)
 主演:ジン・ポーラン(井柏然)、ソン・ジア(宋佳)、チン・ハオ(秦昊)、ミシェル・チェン(陳妍希)、マー・スーチュン(馬思純)

開始早々、画面には朝靄が立ちこめたような川縁が映ります。2000年の中国・広州市。若い男女が林の中でセックスをしているのですが、何かを見つけて半裸のままあわてて逃げていきます。どうやら、遺体のようです。と、カメラはドローン撮影となり、異様な光景を映し出します。近代的な高層ビルが林立する手前が、廃墟のような低いビル群なのです。スラム化し、汚水がたまり、すでに廃墟と化したビルもいくつかあるようですが、住人がいます。2012年4月、そこにやってきた建設委員会トップのタン(唐奕傑)は、途中から広東語で、「私も皆さんと同じくここにルーツがある人間です」と、立ち退きを拒んでいる人々に訴えます。そして、電気も切られた各家庭を回って説得にあたりますが、屋上に出たと思ったら、部下が続いて屋上に上がった時には姿が見えませんでした。タンはビルの真下、がれきの上に墜落して死亡していました。

この事件を担当したのが、若い警察官のヤン(楊家棟/ジン・ポーラン)でした。ヤンはタンの妻リン(林慧/ソン・ジア)や娘のヌオ(小諾/マー・スーチュン)から話を聞きます。その過程で、リンの昔の恋人が実業家のジャン(姜紫成/チン・ハオ)だったこと、二人の関係はまだ続いているらしいこと、もう一人、台湾から来てジャンの右腕のような仕事をしていた女性アユン(連阿雲/ミシェル・チェン)がいたものの、彼女は数年前から姿を消していること等がわかってきます。タンの死は他殺なのか、だとすると誰が突き落としたのか、アユンの行方は...とヤンがいろいろ嗅ぎ回っている時に、タンの部下から「実は、話したいことが」と言って呼び出されたヤンが彼に会いに行ってみると、部下は殺されており、それを見た女性がヤンを指して「人殺し!」と叫びます。ヤンは警察に追われ、香港に逃亡することになってしまいます....。


最初から、めまぐるしくシーンが変わり、それが何年何月どこでの出来事である、というテロップが重なって、観客はかなりの理解力を要求されます。1989年広州のダンスホールで美男美女のジャンとリンが踊っていて、そこにダサいタンがやってくるものの、結局リンはタンと結婚、というのが一番古い時代の記憶で、それからヌオが生まれ、ハイティーンになるまでの約20年間があっちこっちに回る走馬灯のように描かれていく作品です。言葉は普通話と広東語、それから台湾のクラブで歌っていたアユンとジャンが出会う場面では台湾語も出てきます。3人の男女の人生を、ヤンが万華鏡で見ているようでもあり、とても疲れる作品ながら、疾走感に引き込まれる作品でもありました。

キーワードというか、キーミュージックになっているのが、アユンが台湾のクラブで歌い、エンドロールにも流れる「一場遊戯一場夢」という曲と、タイトルにもなっている「風中有朵雨做的雲」という曲で、前者は台湾の男性歌手王傑(ワン・チェ/ウォン・キッ)が1987年に出したもの、後者はやはり台湾の女性歌手孟庭葦(マイ)が1994年に歌った歌です。これに関しては、Q&Aでロウ・イエ監督が面白いエピソードを語っていましたので、またのちほどお伝えします。ジン・ポーランが狂言回し的役割だけだったのがちょっと残念ですが、ロウ・イエ監督のまた新たな面が見られた作品でした。

 


第20回東京フィルメックス:Day 2

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今日は2本見るはずが、気がつけば3本見てしまっていました。いずれもコンペティションの作品です。我々ライターは取材ということでプレスパスを申請し、毎回パスを見せてチケットをいただいているのですが、カウンターで応対して下さるフィルメックス事務局の方が本当に皆さん親切で、今日も11:30の回と17:50の回のチケットをお願いしたら、「14:40の『静かな雨』はよろしいのですか?」と言って下さったのでした。今回の上映では、人気作は事前に予約しないとダメで『静かな雨』もそのカテゴリーだったため、「予約をしていないんです」とお返事しました。日本映画はいつも多彩なゲストが来ることもあって、大人気でチケット売り切れが多いため、毎年遠慮してパスしていたのです。すると、「チケットがまだございますので、大丈夫ですよ」と言って下さり、ありがたく頂戴したのでした。おかげで、今上映中の『わたしは光をにぎっている』が話題になっているという中川龍太郎監督の作品を初めて見ることができました。というわけで、3本簡単にご紹介します。

『つつんで、ひらいて』 
 2019/日本/日本語/94分/英語題:Book-Paper-Scissor/ドキュメンタリー
 監督:広瀬奈々子


昨年のフィルメックスで、『夜明け』(2018)がコンペのスペシャルメンションを獲得した広瀬奈々子監督のドキュメンタリー映画です。是枝裕和監督や西川美和監督の助監督を務め、『夜明け』で一本立ちした監督なのですが、だから見たかった、というより、題材に興味があったのです。『つつんで、ひらいて』という面白いタイトル(「♫むすんで ひらいて」を連想しますね)から、一体何の映画だろう? と思わせる本作は、著名な装幀者(と自ら名乗っている)菊池信義さんの仕事ぶりを追ったものなのでした。本作は12月14日(土)からの公開が決まっていて、マスコミ試写が先日まで行われており、そこですでに見ていたのですが、本好き、印刷好き(そんな人、いるかな? でも、本ができあがる印刷・製本工程が途中に出てくるのですが、そこ、もっと詳しく見せて~、と絶対思ってしまうはず)には応えられない映画で、もう一度ぜひ見たかったのでした。見た人は誰でもが、冒頭菊池さんが題字見本をいくつか印刷した紙をくしゃくしゃに丸め、伸ばしてみては上から紙でこすり、といった作業を繰り返して、趣のある題字を作る作業に驚くと思いますが、そのほかにもいろんな作業とそこに至る菊池さんの発想が驚きの連続です。また、作家の古井由吉さん始め、菊池さんの助手さん、お弟子さん、出版社の人、書店の人のお話も拾ってあって、それにも「あ、菊池さんのお話と重なる!」とか、発見がいっぱいあるとても面白い映画です。

監督のQ&Aも聞きたくて参加したのですが、広瀬監督(上は、終了後にロビーで撮らせていただいたお写真です)のお話は意外なこともバラしてあり、会場の質問もユニークなものがあったりして、大いに参考になりました。菊池さんとは小さなご縁もありますので、この映画に関しては別途きちんと紹介したいと思い、今、画像をいただくべく宣伝担当の方に依頼中です。というわけで、フィルメックスが終わるまで待っていて下さいね。監督のQ&Aもその時にご紹介します。なお、『つつんで、ひらいて』の公式サイトはこちらです。


『静かな雨』

 2019/日本/日本語/99分/英語題:It Stopped Rining
 監督:中川龍太郎
 主演:仲野太賀、衛藤美彩、三浦透子、村上淳、河瀬直美、萩原聖人、でんでん


主人公の行助(仲野太賀)は多摩地区の某大学で、ある教授(でんでん)の助手を務める青年。左足が不自由で、ひきずって歩いています。彼はある日、パチンコ屋の前の広場にたい焼きの小さな店があるのを見つけ、そこを一人で切り盛りしている若い女性こよみ(衛藤美彩)と知り合いになります。熱々のおいしいたい焼きとこよみの笑顔に癒やされ、一人暮らしの一軒家に帰って満ち足りて眠る行助。こよみは店の常連である酔っ払いの中年男(村上淳)の心配をしたりと、誰にでもやさしいのですが、やがて行助とも親しくなり、「ユキさん」と呼ぶようになります。ある晩、思い切って行助はこよみに電話番号を渡し、こよみがそっと行助の額にキスしてくれて、行助は有頂天になりますが、彼のところに初めてかかってきた電話は、こよみが頭を打って入院し、意識不明であることを知らせるものでした...。


上映前に舞台挨拶があり、中川龍太郎監督と主演の仲野太賀さん、衛藤美彩さん、そして高木正勝音楽監督が登壇。仲野太賀さんはひげ面のお顔を先に見たので、『静かな雨』の本編を見たら印象が全然違うのでびっくり。上のスチールと見比べてみて下さいね。


衛藤美彩さんは乃木坂46のメンバーだったそうですが、大人の雰囲気をまとった女優さんで、本編中でも魅力を放っていました。こよみはとても難しい役で、以前のことは記憶にあるのですが、頭を打ってからの記憶はどれも短時間しか頭にとどまらない、という設定です。毎朝起きて同じ事をユキさんに尋ねるので、ユキさんもだんだんイラつく、というシーンなどは、とても自然でこよみ側に気持ちが行ってしまいました。


細田守監督のアニメ作品の音楽監督で知られる高木正勝さんは、「この映画、音楽は要らないのでは、と監督にお話したんですが」とのことで、確かに本編を見ると、音楽はまったく付けないか、あるいは今回のようにずっと音を流して、それによって救われるという風にするか、All or nothingだな、と思いました。


中川龍太郎監督はとても愛想のいい方で、作品とのギャップが大きいです(笑)。余裕があれば、Q&Aも文章化したいと思います。本作では、多摩地区のあの丘陵感覚と、住宅区の棲み分け風景(マンション区、戸建て区とハッキリ分かれているのが、多摩モノレールなどに乗るとよくわかります。ある種壮観です)がよく捉えられていて、ランドスケープが見えている監督だなあ、と感心しました。


公式サイトはこちらですので、公開されましたらぜひ劇場に足をお運び下さい。明年2月7日(金)から、シネマート新宿ほかでロードショー公開の予定です。原作は宮下奈都『静かな雨』(文藝春秋刊)ですので、関心のある方はそちらもどうぞ。

 

『春江水暖』


 2019/中国/中国語/154分/英語題:Dwelling in the Fuchun Mountains/原題:春江水暖
 監督:グー・シャオガン(願暁剛)
 主演:チェン・ヨウファ(銭有法)、ワン・ホンチュエン(王風娟)、スン・チャンジェン(孫章建)

浙江省杭州市の富陽区を舞台に、4兄弟の1年間を追ったものです。富陽区は昔の名前を富春と言い、その名を冠した富春江という川が流れています。もうすぐ地下鉄が通り、杭州市の中心部まですぐ行けるようになる、と映画の冒頭でも説明される土地です。そこに長らく暮らしている一家の4兄弟が主人公で、母親の誕生日から映画は始まります。祝宴を開いているレストランのオーナー兼コック長が長男で、妻も店を切り盛りし、学校の先生をしている娘グーシーがいます。次男夫妻は川で魚を捕る漁師で、年頃の一人息子がいます。三男は借金まみれの生活をしているヤクザな男ですが、ダウン症の息子カンカンを可愛がるいい父親です。末っ子はまだ独身で、のんきな生活をしています。そんな一家に起こる、金がらみ、恋愛がらみ、老人問題がらみ等々のいろんな出来事を、ゆったりとしたカメラで描いていくため、154分という長さになっています。


最初は、誰が誰だかよくわからず、30分ぐらい見ていてやっと人間関係がわかりました。長回しが特徴で、例えばグーシーが同僚の教師ジャンと恋愛関係になり、ジャンがフェリーの運転士である父に紹介しようと川辺の道を連れて行くシーンがあるのですが、途中ジャンが「僕は川を泳いでいくから、君は服を持って歩いてきて」と言い出す場面があります。カメラはその会話から、ジャンが水に入り泳いでいく姿をずーっと捉えます。そして、フェリーの運転士室に二人がはいって出てくるまで、延々と長回しが続くのです。というわけでかなり疲れる作品ですが、途中でジャンとグーシーが両親に結婚を反対されるエピソードや、いかさま賭博で稼いでいた三男が警察に踏み込まれるエピソードなど、いくつか起伏に富んだストーリーになっているため、最後までお付き合いできます。ただ、最後に「巻一 完」と出てくるのには、のけぞってしまいました。このあたりのことは、Q&Aで問いただされていましたので、またのちほどの報告で。


監督のグー・シャオガン(願暁剛)は1988年生まれだそうで、この童顔ですが、粘り腰の映画作りはまるで老成した人のよう。中国古典の絵巻物をイメージして作られたようで、この時間軸になったと思われます。Q&Aでは、出演者は親類縁者がほとんどというビックリ発言なども出たほか、市山さんへの上手な売り込みもあったとかで、そのあたりは現代青年っぽいエピソードが語られました。28日(木)にもう一度上映されますので、中国古典の魅力がわかる方、辛抱強い方(笑)はぜひどうぞ。 


第20回東京フィルメックス:Day 3

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本日は1本のみ、フィリピン映画です。

『評決』


 2019/フィリピン/フィリピノ語/126分/原題:Verdict
 監督:レイムンド・リバイ・グティエレス
 主演:マックス・アイゲンマン、クリストファー・キング、ジョーデン・スアン、レネ・ドゥリアン


ジョイ(マックス・アイゲンマン)は夫のダンテ・サントス(クリストファー・キング)から絶えず暴力を受けていました。その日は酒を飲んで帰ってきたダンテから、「メールを寄こさなかった」というので執拗な暴力を受け、6歳の娘エンジェル(ジョーデン・スアン)まで突き飛ばされて血を流すに及んで、ついにジョイは包丁で応戦、ダンテを傷つけたあとエンジェルを抱いて家を飛び出し、保護局に駆け込みます。ジョイとエンジェルがけがの手当をしてもらっている間に、保護局の警官たちがダンテ確保に向かい、近くの実家に帰って寝ていたダンテに手錠を掛けて警察署まで連れてきます。ダンテは手を挙げたことは認めますが、エンジェルはかわいいようで、何とかエンジェルとは離れないですむようにあれこれ画策します。やがてジョイの訴えでダンテの裁判が始まり、双方の弁護士がやり合いますが...。


裁判の場はまるでインド映画『裁き』のようで、いくつもの案件が次々と処理されていくため、どっかと座った判事の前で流れ作業で裁きが行われていきます。その前のジョイとダンテを巡るDVのやり取りから始まって、監督はまるで記録映画のようにこの三人の親子と、その周囲にいる人々をじっくりと描いていきます。細かいカットの積み重ねは時には冗長に思えるほどで、ジョイやダンテのアップされた表情から何かを読み取ろうとしているうちに、だんだんと疲れてきてしまいました。レイムンド・リバイ・グティエレス監督は、ブリランテ・メンドーサ監督の主宰するワークショップで学んだ後、メンドーサ監督の助監督も務めていたそうで、題材の選び方や絵の撮り方には師匠の影響が感じられるものの、メンドーサ監督の編集リズムとは異質なものをグティエレス監督は追求しているようです。ラストは意外な終わり方で、説明が極端に少なく、置いてけぼりをくらったような感じが残りました。


終了後のQ&Aに登場したグティエレス監督は、まるでその辺のストリート少年、といった感じの青年でした。調べてみると、1992年マニラのマカティ地区生まれとのことで、まだ20代なんですね。下の写真は、終了後ロビーで撮ったものです。


Q&Aの簡単な記録も付けておきます。


市山:初監督作品で、こんなすごい出来なので、見てすぐにご紹介させていただきました。最初に僕から一つ質問を。この作品はDVという問題と、もう一つフィリピンの司法組織というか司法手続きの問題を扱った社会的な作品だと思いますが、これは何か事件が元になっているのでしょうか。


監督:実は、DVに関する映画を作ろうと考えていたわけでは全然なくて、これは偶然の産物なんです。私自身が近所のトラブルに巻き込まれたんですが、あるカップルが助けを求めて私の家に来たんです。こういったDVの状況というのは初めて目にしたので、すごくショックでした。自分に何かできることはないのか、と思い続けていたんですが、被害を受けた女性に初めて話を聞いたところ、裁判に持ち込みたいという意向を持っていました。それで助けたいと思っていたところ、何と数日後にこの二人はまた元の鞘に戻ってしまいました。なぜだろう、と不思議で、あんなことがあったのにそれを忘れて元に戻れるのか、と彼女に聞いたところ、法に訴えるには余りに不都合で煩雑なことがありすぎるから、という話でした。


Q1(男性):衝撃的を受けました。メンドーサ監督と関わりがあるとのことで、こういったテーマはメンドーサ監督作品でもよく見かけますが、DV問題は我々にも身近だと思います。驚いたのは警察のずさんな扱いで、怪我をした被害者に簡単な手当をしただけで手続きに引き回したり、被害者と加害者をずっと同行させたりと、日本では考えられないと思います。フィリピンでは実際に、ああいう状況なんでしょうか?


監督:この映画ではまず、法のプロセスがフィリピンではどのように行われているのかを見せたいと思いました。実は政府の方針としては「家族優先」、家庭を壊さないために自分たちで解決してほしい、というのが大前提です。それからご覧いただいたように、法的手段というのは機能してはいます。ただそれが、本当に有効なのかというと、そうとは限りません。人間誰でも落ち度があり、法を遵守できるとは限らない。そして、法にも抜け穴があります。私はこの映画で解決法を示すのではなくて、映画監督としてはカードを並べて見せて、皆さんにまずは問題に気づいてもらい、そこから批判をしていこう、ということでした。政府がこういう問題を解決してくれることはありません。やはり、我々自身がそれをしなくては、と思います。


Q2(外国人の男性)【以下ネタバレがあります。ご注意ください】:ダンテが最後に殺されるのは、法廷では実現できなかったのとは別の正義が他の手段によって与えられた、ということでしょうか? 別の正義もありうる、ということを提示したかったのでしょうか?


監督:そこはぜひ、観客の皆さんに決めていただきたい。そこで皆さんの考える正義というものを自由に解釈してもらいたいと思います。先ほど述べたように、法は機能してはいるのですが、事実をどうプレゼンテーションするかということであって、そこに提示された事実に基づいて審議されるわけですから、その結果が私たちが望むものになるかどうかはわかりません。そしてもう一つの正義というか、ここでは死が与えられたわけですが、それはダンテが犯した罪に対して、妥当な罰なのだろうか、ということがあります。法的な手続きの結果は違っていたのに、ここで彼に下されたのはもっと暴力的な裁きということですよね。

Q3(女性):監督第一作とのことですが、非常に力強くて驚かされました。最初に映画を作る時のメンターがメンドーサ監督であったということは、非常にラッキーだったのではと思います。メンドーサ監督のプロデュースの力というのはどういうものであったのか、教えて下さい。


監督:メンドーサ監督にこのテーマでやりたいとアプローチした時、メンドーサ監督は「DVって、ありふれたテーマだね。君はあえてそれをやりたいの?」と聞かれました。でも、それをやりたかったのでそう言ったら、メンドーサ監督は、この長編の脚本を書き終えられたらぜひ読んで、自分の視点からアドバイスしたいと言って下さいました。それで脚本を書き上げ、脚本の先生であるビン・ラオ(?)監督にも見てもらいました。実はビン・ラオ監督は、メンドーサ監督が恩師ともあおいでいる人なんです。ラオ監督は私が書いた脚本に手を入れてくれ、メンドーサ監督は撮影段階になると私に十分な自由を与えてくれて、好きに撮ることができました。でも、この作品がメンドーサ風というのは否定できないかも知れません。美的感覚とかそういったところは、メンドーサ監督と近い所があるかも知れないと思うからです。ただ私がメンドーサ監督から教わったことは、観客がもうすべて知っている、という風に思わず、自分のストーリーをきちんと仕上げて提示する、ということでした。とにかくストーリーテリングの部分では常に自分に問いかける、自分を疑う、といったプロセスを経ることによって撮っていくこと、というのを教わりました。と同時に、何か欠点、間違いがあっても、それも含めて自分のものであるとして次に進む、ということも教わりました。


Q4(男性):ジョイの最後の表情が、安堵しているようにも見えるし、悲しいようにも見えるし、自分を戒めているようにも見えます。司法の煩雑さといったものに巻き込まれていく中で、自分が一体何を求めているのかがわからなくなっているように見えます。あの彼女の表情について、教えていただければと思います。


監督:監督はマジシャンのようなものです。何らかのトリックを持っていて、自分のヴィジョンを持ってそれをスタッフやキャストに伝え、どれだけ触発して映画を作っていけるか、ということですね。女優さんに関しては、まず初めて会った時にどんな人かということをよく観察しました。考えすぎてほしくなかったので、話はしなかったのですが、自然に反応してほしいと思いました。私も初めての長編作品ということでいろいろ難しいこともあったのですが、まず彼女のリアクションを見てみたいと思いました。一番難しかったのは、夫の遺体を見た時の演出で、彼女に解釈をゆだねようと、とにかく外へ出て歩いてくれ、と言いました。だから、自動車にぶつかりそうになるとか、彼女は全然知りませんでした。どこでもいいから歩いて行ってくれ、と言って2テイクぐらい撮ったのですが、彼女も考えすぎてしまうところがあって、自分の中にシナリオを持っています。それを消化したうえで、自然に演じてほしかった、ということでそうしてもらったわけです。ただ、映画は、最後のシーンを撮って終わりではなく、編集があります。それでガラッと変わる可能性もあるわけです。ですから編集の前に、どういう選択でつなげていくか、と言うのを考えないといけません。例えば、映画の中でグサッと刺さってくるシーンがありますが、それはショックを受けたシーンであるからではなくて、編集のやり方でそうなるのだと思います。そこへ観客をどう引き込むかが大切ですね。

第20回東京フィルメックス:Day 4

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本日は、コンペ部門作品2本を見せていただきました。どちらも、すでにフィルメックスでお馴染みの監督作品で、ミディ・ジー監督とペマツェテン監督の作品です。

『ニーナ・ウー』


 2019/台湾、マレーシア、ミャンマー/中国語/102分/英語題:Nina Wu/原題: 灼人秘密
 監督:ミディ・ジー(趙徳胤)
 主演:ウー・カーシー(呉可熙)、ヴィヴィアン・ソン(宋芸樺)、シャ・ユーチャオ(夏于喬)、シー・ミンシュエイ(施名師)


台湾中部の町から台北にやってきて、女優を目指しているニーナ・ウー(ウー・カーシー)。すでに8年、台北でがんばっているのですが、何本かの短編映画やCFに出演した以外には、オーディションに落ちてばかり。仕方なくネット配信で自分の動画を見せたりしていました。そんな時、マネージャーが大きな役のオーディション情報を取ってきてくれます。ヌードシーンもあるとのことでちょっと大変そうでしたが、ニーナはオーディションで見事役を勝ち取ります。ですが撮影に入ってみると、監督からはイジメか、と思うような演出をされ、ニーナの心はささくれ立っていきます。正月休みで故郷に帰ってみると、実家も父の事業の失敗とか問題ばかり。母も心労の余り心臓発作を起こしてしまいます。故郷には、かつて一緒に小さな劇団で切磋琢磨した友人のキキ(ヴィヴィアン・ソン)がいました。実は、二人は女性同士で愛し合っていたのです。ニーナは今や有名女優になろうとしているのですが、その陰には監督らによるオーディションとは別の、陰のオーディションがあったのでした...。


主演女優のウー・カーシー(上写真)が書いた脚本をもとに作られた作品とのことですが、夢落ちが多用されていて、「またか」という感じでした。熾烈な映画界の内幕を描いているようにも見えますが、どこか血の通っていない描写が続き、ミディ・ジー監督のこれまでの作品とは全然違うテイストです。在ミャンマーの台湾系住人を演じて、アジアを結ぶ糸のようなものをリアルに見せてくれたこれまでの作品とのギャップがあまりにありすぎて、作品の中に入って行けませんでした。『マンダレーへの道』のウー・カーシーも、お化粧のせいか、あの素朴な若い女性とはまるで別人でした。ミディ・ジー監督の来日は、今回ありませんでした。


『気球』


 2019/中国/中国語、チベット語/102分/英語題:Balloon/原題:気球
 監督:ペマツェテン
 主演:ソナム・ワンモ、ジンパ、ヤンシクツォ、ワンチョク、ダンドゥル

こちらもフィルメックス常連のペマツェティン監督作。これまで『オールド・ドッグ』(2010)、『タルロ』(2015)、『轢き殺された羊』(2018)といずれもコンペ部門に選ばれています。今回の主役たちは、チベット高原で遊牧を行っている一家です。たくさんの羊を育てているダルゲ(ジンパ)と妻のドロルカル(ソナム・ワンモ)には、3人の男の子がいました。学校に通う長男は宿舎住まいで、下の男の子2人が両親と暮らしています。この子たちがいたずらっ子で、両親が避妊に使っているコンドームを見つけるや、風船のように膨らませる始末。ダルゲは怒ってタバコの火でその「風船」を割りますが、子供たちに「風船じゃないの、これ」と聞かれても、それが何かはとても説明できるものではありません。近くで一人暮らしているダルゲの父にも、「それは何だね?」と言われてしまいます。ダルゲは子供たちに、「今度、町へ行ったら風船を買ってきてやる」と約束します。ドロルカルの妹で、今は尼になっているシャンチェ(ヤンシクツォ)はある時、頼まれて学校に長男を迎えに行って、昔の恋人だった青年教師と再会します。彼はシャンチェに自分が書いた小説「気球」を渡しますが、それを読むうちにシャンチェには、彼と別れて尼僧になったのは早計だったのでは、という思いが沸き起こります。そんな妹をふがいなく思ったドロルカルは、その本を火に投げ入れます。そんな時、ダルゲの父が急死、同じ頃ドロルカルの妊娠がわかります。4人目を産むには罰金を払わなければならないので、選択肢は中絶しかありません。でも、その子は亡くなった父の生まれ変わりかも、と思うダルゲと長男は、ドロルカルの中絶をやめさせようとしますが...。


今回の作品は、とてもわかりやすい内容でした。コンドームを子供たちが風船と思って膨らませる、という描写は別の作品でも何度か見かけましたが、今回はそれが「一人っ子政策」にも引っかけて出てくるのがミソ。さらに、亡くなった祖父の生まれ変わり、という発想もチベットならではで、「生まれ変わりには早すぎる」とかいう議論も興味深かったです。最後には赤い風船が登場するのですが、中国語では風船は「気球」と言うので、原題のままの邦題になったのだとか。今回はペマツェテン監督ではなく、主演男優のジンパさんが来日し、Q&Aがありました。珍しくチベット語の通訳の方がついて、チベット語-日本語のやり取りになったのですが、途中で中国人女性の方が「中国語で質問してもいいですか?」と日本語で訊ねてから質問し、ジンパさんも中国語で答えたものの、通訳の方は中国語の通訳まではできない、とのことで質問者に日本語に訳してもらうなど、微笑ましいやり取りのパートがありました。


市山:主演のジンパさんをお招きしてあります。(盛大な拍手の中、ジンパさん登場)皆さん、覚えていらっしゃいますか? 去年、やはりペマツェテン監督の『轢き殺された羊』という作品を上映しました。主人公がジンパと言って、これが主演の方のお名前だったんですが、今回も引き続き主演されて、今回初めて日本に来られました。去年の作品も、多分見てらっしゃる方があると思いますが、『轢き殺された羊』を見た方、どれぐらいいらっしゃいますか? (会場の半分以上が挙手)あ、ほとんどの方が去年見てらっしゃるんですね、ありがとうございます。2年連続で素晴らしい演技を見せていただきまして、今回は来て下さってすごく嬉しいです。では、最初にジンパさんから皆さんにご挨拶を。


ジンパ:日本の観客の皆様、今日は私が主演をつとめました『気球』という映画を見て下さってありがとうございます。


市山:それだけで大丈夫ですか? はい、では、会場からのご質問を。

(ちょっと時間切れで、続きはあとで追記します、すみません、チベット語映画ファンの方。お待ちの間、昨年の『轢き殺された羊』のジンパさんなどご覧下さい)


 

ラジニカーントの新作でちょっと休憩

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明日はフィルメックスとは別の仕事があるので、今日も2本見たのですがレポートはお休みです。これから、明日の仕事の準備をしなくては、というわけで、いつものYahoo!IndiaとYouTubeのチェックだけしていたら、ラジニカーントの新作のソングMVを見つけました。ラジニSir、曲の収録に立ち会っているので素顔ですが、若いですねー。間もなく(12月12日)69歳とはとても思えません。

Darbar (film).JPG

来年1月10日に公開される(タミルの人々のお正月ポンがルに向けての公開ですね)今回の作品『Darbar(ダルバール/宮廷)』は、『ガジニ』(2005)や『サルカール 1票の革命』(2018)のA.R.ムルガダース監督作なので、期待が高まります。そうそう、全国の有権者必見!の『サルカール 1票の革命』は、12月6日(金)から1週間、新宿ピカデリーで開催される「インディアン・ムービー・ウィーク2019」で再上映されます。ご興味がおありの方はこちらをチェック! では、『Darbar』の挿入曲収録風景をどうぞ。

DARBAR (Tamil) - Chumma Kizhi (Lyric Video) | Rajinikanth | A.R. Murugadoss | Anirudh | Subaskaran


第20回東京フィルメックス:Day 5(上)

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11月27日(水)に見た2本のご報告です。両方ともコンペ作品で、Q&Aがあったため、2回に分けてレポートします。 

『水の影』


 2019/インド/マラヤーラム語/116分/英語題:Shadow of Water/原題:Chola
 監督:サナル・クマール・シャシダラン
 主演:ニミシャ・サジャヤン、ジョジュ・ジョージ、アキル・ヴィスワナット


冒頭、祖母が孫娘におとぎ話を語っている声が聞こえてきます。悩みを抱えた王子が森の乙女と出会うお話です。そして、山の中の道をジープが走るところから本編が始まります。高校生のジャヌーことジャナキ(ニミシャ・サジャヤン)は、ボーイフレンドと一緒に都会に遊びに行く約束をします。ところが待ち合わせ場所の山道に行ってみると、ジープが止まり、大柄な中年男が一緒にいるではありませんか。ボーイフレンドは彼を「ボス」と呼び、親しそうですが、中年男は無愛想で不気味です。ジャヌーは尻込みしますが、都会に行く誘惑には勝てず、ジープに乗り込みます。途中食事休憩をしたりしながら、海辺にある都会コチに着いて、3人はショッピングモールに行ったりします。そこでジャヌーに新しいクルター・パジャマとベールのセットを買ってやったボーイフレンドは、ジャヌーを海に連れて行き、大いにはしゃぎます。そしてボスに連絡して車に乗せてもらい、帰途につきますが、その頃にはもう夕闇が迫る頃になっていました。山道を走るのは危険だとして、「それならバスで村に帰る」とべそをかくジャヌーを説得し、3人は安ホテルに泊まることになります。ボスに「酒と食べ物を買ってこい」と追い出されたボーイフレンドが戻ってみると、ジャヌーが一人、浴室で泣いていました...。


2年前に東京国際映画祭で上映された『セクシー・ドゥルガ』もそうだったのですが、「なぜ、そこで逃げない!」というイライラが募る作品でした。上記のストーリーの後、翌日山道を帰るシーンが途中からまたすごいことになっていくのですが、ヒロインに全然共感できず、「この人、いくら高校生だからって脳ミソがなさすぎる!」と監督のキャラクター作りに疑問満載。あとでサナル・クマール・シャシダラン監督とちょっと話した時に言ってみたのですが、「現実にそんな目に遭うと、なかなか逃げられないんだよ」とのことでした。でも、ヒロインには逃げてほしい! 逃げないのなら、それなりの論理がほしい。と、フラストレーションのたまる作品でした。私と近い気持ちになった観客もいたようで、Q&Aではそんな質問も出ました。

市山:この作品はある事件が元になっている、とお聞きしたんですが、どういう事件だったのでしょうか。そして、事件そのままではないと思うのですが、どういう形で映画にしようと思われましたか?

監督:本作は、その事件をそのまま描いたわけではないんですが、長い間気になっていた事件があって、それがきっかけでできました。その事件は1996年に起こった、16歳の少女が40人ほどの男性にレイプされた、というもので、しかも彼女がボーイフレンドらしき人物と出かけていてそういうことになった、というものです。それに基づいています。


Q1(男性):予想できない展開で、最後まで釘付けでした。私が感じたのは、ボスがむき出しの自然の本能で、ボーイフレンドが理性というか文明というかそういう存在、という構図として捉えました。ファーストシーンについてうかがいたいのですが、霧の中の情景が出てきて、ジャヌーが丘を歩いて行く時、犬が付いていき、その犬が三度振り返ってこちらを見ます。どうやって演出したのか、不思議でした。その後も霧が晴れたりするのが絶妙のタイミングだったりして、あれはどの程度演出があったのか、知りたいです。

監督:私にとって映画を撮るのは、人生で起きる事件をそのまま捉えている、という感じです。確かに、予想できないことが起きてほしい、と思ったら来たりします。あの時は、2つの幸運に恵まれたのですが、一つは犬が振り返ってカメラを見てくれたこと、そしてしかもそれを偶然撮れたということです。あの霧に関しても、あの時は長いショットを撮ったんですが、急に霧が晴れるということが起きました。もっと霧が続いてほしいと願っていて続く時もあるし、続かない時もあります。つまり、映画を作っているのは自分ではなくて、自分は単なる道具に過ぎない。そういったものを多くはらんでいるのが映画作りではないでしょうか。


Q2(男性):観客の不安をかき立てるような展開が面白かったです。それと、水の映像表現がすごく迫力がありました。最後の方で少女が石を積む場面がありましたが、あれには何か宗教的な意味があったのでしょうか?

監督:少女はちょっと不思議な行動をとりますよね。それが何なのかと言うことを私はあえて言いたくないんですが、ただ彼女は一度失ったバランスを取り戻すための行動をしている、という風に私は考えています。石を積む、というのは調和のシンボルであって、あとは皆さんが自分自身で意味をくみ取ってくださればいいと思います。特に宗教的な意味というのはありません。でも、彼女が心を取り戻す、という意味にはなっています。


Q3(男性):最初の質問者がおっしゃった3人の関係性のお話がありましたが、1人の女性を2人の男性が取り合う、という構図からいくと、黒澤明監督の『羅生門』を想起してしまいます。実際に起こった事件にインスパイアされて作られた、とのことですが、シナリオにするのにどういったプロセスを辿って作られたのか、参考になさった作品があったのか、お聞きしたいです。

監督:黒澤明監督という巨匠の名前を出して下さって、とても光栄に思います。いくつかの作品を参考にはしましたが、『羅生門』はその中には入っていません。でも、友人の旦匡子さんは、「『羅生門』を思い起こさせる」と言ってくれました。1人の女性と2人の男性という関係からも見て取れるように、人間関係、主従関係というものは、幾世代にもわたって続く伝統であって、歴史によってそれが築かれています。またこの3人の関係性は、性的な関係、性欲を介した関係とも見て取れます。ただ性欲と言っても、愛を使う、愛を餌にする、というのもあります。どのように考えるかは皆さんの見方次第で、どこかの瞬間でこの映画をパッと思い起こして下さる、ということがあれば、嬉しく思います。


Q4(女性):判断は見た人に委ねたい、とおっしゃるので聞きにくいのですが、女性として本作を見ていて、最後の方は彼女の感情に寄り添い切れなかった感じがあります。一つわからなかったのは、森に連れて行かれる時、彼女もボーイフレンドも殺されちゃうのかな、と思ったんですが、そこで彼女は逃げることもせず、大人しくボスに付いていく。ボーイフレンドを拒否して、当たり前のようにボスに付いていく。ボスの方も何をするわけでもなく、彼女と川遊びをする。また、「ボスを殺してきた」とボーイフレンドが戻ってきた時も、彼に駆け寄るのではなく、ボスの遺体に駆け寄っていく。その行動を見ていると、彼女は嫌がりながらもボスに惹かれていた、ということなのかとも思うのですが...。日本人である私と、インド人である彼女は全く考え方が違うのかも知れないし、男が2人いてどちらかを選ばないといけない時は、強い男を選ぶのでしょうか。レイプされているわけだから、本来なら逃げるのでは、と思います。なのにボスに付いていく、というのがわからなくて、うかがいたいと思いました。

監督:まず、この映画の冒頭に出てきたお話を思い起こしていただきたい。あれは、祖母が孫娘に聞かせる、という形を取っています。ある男が女性の宝物を奪う、という話なんですが、その話がこの映画の中に要約されていると思います。多くの文化圏では、女性は男性のために生きている、男性のために存在する、という見方があるのですが、それと同時に、処女性がタブー化されています。つまり、処女性はなくすともう終わりというか、処女を奪った男性に囚われてしまうところがあると思います。例えばインドでは、レイプが起きたとしても、その女性がレイプした男性と結婚すると男性は罪に問われないのです。これがもし他の犯罪だとすると、誰かを殺した人と一生の伴侶になるということは考えられるでしょうか。それが、レイプの場合は問題ない、とされてしまうのです。そこで家族という絆を築くと、結婚後も続く様々なDVも、処女性を奪った男性なので罪に問われない。冒頭にあったような話が頭にすり込まれているので、そういうものだと思っているわけですね。これはインドだけではないと思いますが、そして、処女至上主義というのは薄れつつあると思いますが、まだまだ存在しているのです。


あと付け加えたいのが、ボーイフレンドが酒を買いに行かされるシーンで、ホテルの門口に女性が出てきます。この人は性産業に従事している人です。こういう人がいたり、道ばたで寝ている人がいたりする大都会の生活ですが、一度犯罪の被害者になるともう選択肢がない。ゴミとして扱われる。自分の村に帰って何事もなかったように生活する、というのはあり得ない。つまり、自分が一度壊されてしまうわけですね。この映画のジャヌーは14歳か15歳という設定でまだ幼いので、自分の頭の中でこれを処理できません。解決策を見つけられない、という形です。結婚にしても、普通は親が勝手に決めて、自らの意思は存在せずに決められてしまうのですが、行く先はそこしか思い浮かばないわけです。



観客の質問もそれぞれ長かったのですが、監督もよくしゃべり、たちまち時間切れ。その後ロビーでサイン会となったのですが、観客にとっては疑問点いっぱいの映画だったようで、サインを依頼する人が次々に監督に質問していって、しかも答えに納得せずまた次の質問を、という形で、Q&Aと同じぐらいの時間がかかっていました。


でも、どの質問にも監督は丁寧に、かつ嬉しそうに答え(自分の作品に観客が反応してくれるのがとても嬉しかったようです)、通訳の松下由美さんにはお気の毒だったのですが、Q&AパートⅡになったのでした。私としては先に書いたような質問をちょこっとしたのと、劇中の都会のシーンでメトロの駅と高架線路が出てきたので、「あれはケーララ州のコチ(旧名コーチン)ですか?」という質問をしたのでした(乗りに行きたい、コチのメトロ♥)。次からは作風を変えてほしいなあ、と思った、ケーララの映画でした。

(『熱帯雨』につづく) 


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