先週の土曜日、11月22日から始まった第15回東京フィルメックス。ところが、様々な仕事や用事が行く手を阻み、なかなか有楽町マリオンまでたどり着けませんでした。もう会期も後半、という26日になって、やっと2本見ることができた次第です。
見た作品は、1作目は『ディーブ』(ヨルダン、U.A.E.、カタール、UK)、2作目は『プリンス』(イラン、ドイツ)でした。両作品ともQ&Aもありましたので、その様子もお伝えしながらご紹介しましょう。『ディーブ』の会場には、審査委員長のジャ・ジャンクー監督のお姿もありました。
『ディーブ』 予告編
Theeb /ヨルダン、U.A.E.、カタール、UK//2014年/97 分
監督:ナジ・アブヌワール
時代背景は第一次世界大戦中の1916年前後。アラビア半島西部のヒジャーズ地方が舞台で、紅海沿岸のこの地方はメッカとメディナという聖地があるため巡礼ルートにもなっている土地です。当時はオスマン帝国の影響下にあり、ダマスクスからメディナまで鉄道が通されていたりしました。第一次世界大戦の時は、イギリス軍がアラブ勢力に加担してオスマン帝国に対する反乱を起こさせようとし、そのために働いたのが「アラビアのロレンス」だったりします。そういった動きがあった時代に、ベドウィンの少年ディーブに起こった物語です。
ディーブは有名な族長の3番目の息子で、父亡き後長兄と次兄に、ベドウィンの男になるべく育てられています。特に次兄のフセインはディーブを可愛がってくれて、水の汲み方から銃の撃ち方まで、いろいろ教えてくれます。彼らのキャンプに、ある夜遅く、ベドウィンの青年とイギリス人将校がやってきました。イギリス人将校が巡礼者の井戸まで行きたいので、付き添いの青年がディーブの部族に案内を頼みに来たのです。フセインが案内役として出かけることになり、兄が大好きなディーブも強引に一行に加わります。彼らは3頭のラクダに乗って、井戸の旅に出発しました。
イギリス人将校は何やら秘密めいた箱を持っていました。危険な物らしく、触ると怒ります。どうやら何か極秘任務を負って井戸まで行くようです。井戸に着いてみると中には死体が浮かんでおり、一行は銃撃に遭います。イギリス人将校と案内者、そしてついには兄も殺され、ディーブは彼らに別の井戸に突き落とされてしまいました。井戸からはあがったものの、ラクダも奪われ、1人生き延びなければならなくなったディーブ。そこへ、銃で傷を負った男がラクダの背にゆられてやってきますが、それは銃撃者の1人でした。ディーブに助けられ、男はオスマン帝国の砦にイギリス軍将校の持っていた箱を届けるのですが....。
まず、シネスコの画面に驚かされます。監督は、これが第1作というナジ・アブヌワール。まだ33歳です。上の写真からもわかるように、俳優かと思うようなイケメン(笑)ながら、落ち着いた雰囲気のある思慮深そうな人です。シネスコ画面に展開する映像だけでも迫力があるのに、その物語は緊張感に溢れ、見る人を惹きつけます。市山尚三さんの司会、そして藤岡朝子さんの通訳でQ&Aが始まりました。登壇者はナジ・アブヌワール監督と、プロデューサーを務めたナセル・カラジさんで、監督がイギリス生まれということもあり、お二人とも英語でのお話でした。
ナジ・アブヌワール監督(以下、監督):東京フィルメックスで上映されて、とても光栄です。まさか日本の観客の皆さんに見てもらえるとは思ってもいませんでした。
ナセル・カラジ・プロデューサー(以下、プロデューサー):私たちの映画を見に来て下さってありがとうございます。監督と私は、日本の映画や文化にとても興味があります。
市山:監督デビュー作ですが、なぜこの題材を?
監督:私はずっとベドウィンの文化に魅了されてきました。ですので、映画作りを始めた頃からいつか映画にしたかったのです。実際に映画にするまでには10年かかってしまいました。
観客:主人公ディーブを演じた少年のプロフィールを教えて下さい。彼を選んだのはなぜですか?
監督:映画のキャストは、イギリス人将校を演じた俳優を除いて、全員が素人です。ベドウィンの中で、ヨルダンで最後まで遊牧をしていた人たちの中からキャスティングしました。彼らは1990年代までは遊牧生活を続けていたのです。映画製作の準備をしていた時に資金集めをしなくてはならなかったのですが、そういったことの世話役をしていた人がいて、彼に「主演の少年役を、誰か探してくれませんか」と頼んだんですね。でも、彼は仕事をするのがイヤな人だったみたいで、手近なところで自分の息子を紹介してきたんです(笑)。その子にやってみてもらうととてもよかったので、彼に主演を頼んだわけです。
観客:「鉄道ができたから部族の民がバラバラになった」というセリフがありましたが、近代化がベドウィン社会を崩壊させたということでしょうか?
監督:オスマン帝国が鉄道を建設したため、ベドウィン社会はそれまでやっていた巡礼の案内や護衛の仕事を失ってしまいました。巡礼がみんな、鉄道を使って行くようになってしまったのです。その後は暗い時代となり、部族同士の争いも起きるようになりました。列車の到来が、まさにそういう暗黒の時代の始まりとなったんですね。
観客:監督はイギリスのお生まれとのことですが、この作品はイギリスやいろんな国の製作となっていますね。でも、この映画に描かれたような紛争のタネを撒いたのは、イギリスではと思います。これについては、監督やプロデューサーはどうお考えですか?
監督:私は半分ヨルダン人で、半分がイギリス人なので、両方の文化に出会ってきました。ここ10年はヨルダンに住んでいますが、今回の作品はヨルダンがほとんど資金を出していて、ポスト・プロダクションのお金はU.A.E.、そしてカタールやイギリスからも資金を得ています。この作品では、政治的なことを描こうとしたのではなく、少年の経験を彼の目を通して表現したいと思ったのです。地域の歴史とかを学んでもらうために作ったのではないんですよね。
プロデューサー:確かにイギリスは、中東に大きな影響を与えてきました。でも、むしろオスマン帝国の方がこの地域に亀裂を作り出したと思います。トルコにも責任があるのです。
観客:砂漠地帯の雄大な景色でしたが、撮影のご苦労があったら教えて下さい。
監督:撮影は本当に大変でした。砂漠の中では、何度も道に迷いました。砂にも埋まったりして、たびたびベドウィンの人たちに助けてもらったのです。砂嵐や洪水にも遭いました。砂漠では、重い機材は運べません。発電機も持ち込めませんし、そんな中での奥地での撮影ですから、苦労はいっぱいありました。でも、出演者のほとんどが素人の人ですから、むしろ軽い機材の方がよかったのです。大げさでない機材で撮る、という必然性もあったわけですね。
観客:「これが男の生きる道」的なセリフがありましたが、こういう男の文化を監督はどのように捉えていますか? そして、今、こういう男の文化は、戦場などでどのように表現されているでしょうか。
監督:ベドウィンの男の美学は、困難の中でも生き残ること、砂漠の中でも食料や水を探し出すこと、というものです。でも、ベドウィンの人々は定住させられて暮らすようになりました。ですので彼らは、イスラーム教原理主義に走るか、反対に酒に走るか、というどちらかになってしまっています。大変悲しいことですが。もしあなたがベドウィンで、遊牧生活はやめろ、何らかの仕事に就け、買い物は店でしろ、等々を強要されたら、とまどってしまうに違いありません。奇妙に感じて、これまでの価値観を喪失してしまいますよね。今のベドウィンの人たちは、そういう状況なのです。
観客:私は撮影カメラマンなんですが、著名なカメラマンのヴォルフガング・ターラーさんが今回の撮影監督ですね。ターラーさんとは、どのようにコンタクトを取られましたか? シネスコでここまで撮れているのは撮影監督の手腕もあるでしょうが、シネスコを意識して演出ができたという点では初監督作品としてすごいと思います。
監督:ありがとうございます。『ディーブ』は特別な撮影監督を必要としました。まず、へんぴな土地での撮影経験があり、機材が不足していても撮影ができる人でなくてはいけません。それから、外国の文化に対して、深い理解ができる人、という条件もありました。今回はスーパー16ミリのアナモルフィック・レンズで撮影しています。ターラーさんはウルリヒ・ザイドル監督の作品や、またドキュメンタリー映画の撮影も担当した方です。我々としては、この人以外にはあり得ない、という思いでした。今、CMやミュージッククリップの撮影になれている人は大勢いますが、こういう撮影のできる人はとても少ないですね。
ロビーに出ると、ナジ・アブヌワール監督の前にはサインを求める長蛇の列。ご本人はジーン・ケリーに似ていると言われたことがあるそうですが、「ジーン・ケリーよりずっとハンサムですよ」と言ったらはにかんでいらっしゃいました。
撮影監督のことで質問なさった方がプロデューサーのナセル・カラジさんに質問なさるのを聞いていたのですが、『ディーブ』の撮影期間は45日間だったそうです。そして、途中でディーブが井戸に落ちるシーンは、山からの水を集めて地下にできている割と広い水たまりがつまり井戸なので、そこで一部水をせき止めて撮ったのだとか。いわば、アフガニスタンのカレーズのようなものなのでしょうか。なお、『アラビアのロレンス』は映画としては楽しんで見られる作品だが、ロレンス自身がやったことはアラブ世界ではまったく評価されていないそうで、映画の内容を素晴らしいという人はいない、とのことです。確かに、アラブ分断の一端を担った人ですものね。
『ディーブ』は素晴らしい作品なので、どこかの配給会社が買って下さることを祈っています。
(つづく)