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やっと東京フィルメックスにたどり着く<2>『プリンス』

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昨日のつづき、26日(木)に東京フィルメックスで見た2本目の作品『プリンス』のレポートです。 

『プリンス』
The Prince/イラン、ドイツ/2014年/92 分
監督:マームード・ベーラズニア
主演:ジャリル・ナザリ

映画は、高架電車が走る港町から始まります。大型のリムジンが通り過ぎてゆくリッチな街。ここハンブルクのピザ屋で働く青年が、この作品の主人公です。名前はジャリル・ナザリ。彼はかつてイランでハッサン・イェクタパナー監督作品『ジョメー』(2000)に主演し、この作品がカンヌ国際映画祭でカメラドール(新人監督賞)を受賞したり、東京フィルメックスで審査員特別賞を獲ったりしたので、一躍有名になりました。その彼がどうしてピザ屋の店員に? そもそもハンブルクにいるのはなぜ? そう観客が思っていると、それまで流ちょうなドイツ語でウェイターとやりとりしていたジャリルが、ペルシャ語で画面に語りかけ始めます。

そして画面は、『ジョメー』のメイキング映像に。イランの片田舎でのロケ風景です。主人公はアフガン難民のジョメーですが、ジャリル自身もアフガン難民。イランでいろんな仕事に就いた後、映画の主演に抜擢されて、俳優として認められますが、最初にカンヌ国際映画祭でこの作品が上映された折には、正式なパスポートがなくて映画祭に参加すらできませんでした。その後しばらくたってハンブルク映画祭で上映された折も、ジャリルはイラン出国はできたものの、再入国ヴィザがもらえず、やむなくハンブルクにとどまることになったのです。

ハンブルクで難民申請をし、ドイツ社会で働いて生きていく--それがジャリルの決心でしたが、ケムニッツにある収容施設に入ったまではよかったものの、以後難民認定が済むまで長い間待たされることになります。そんな彼を当初から助けてくれたのは、長くドイツに住んでいるイランの映画人で、『ジョメー』ではジョメーを雇ってくれる行商人を演じたマームード・ベーラズニアでした。彼は収容施設までの行き方をジャリルに教え、さらに何度も施設を訪ねてくれました。そして、ジャリルのドイツでの姿を記録し始めたのです。そのマームード・ベーラズニアの映像がまとめられて、『プリンス』が誕生したのでした。

やっと難民認定されたジャリルはハンブルクに落ち着き、その後2010年に初めてアフガニスタンに里帰りします。イランに行った時からずっと会っていなかった両親や兄弟、年老いた大叔父らは、ジャリルを見て涙にむせびます。この里帰りでジャリルは結婚し、妻をアフガニスタンに残して再びハンブルクへ戻って一生懸命働きます。女の子も誕生したジャリルは、2013年に妻子をドイツに呼び寄せる準備を整え、アフガニスタンに旅立ちます。ジャリルが妻子を連れてハンブルク空港に姿を現す所で、映画は終わります。

途中には、ベルリン国際映画祭で韓国のキム・ギドク監督が受賞し、短いお礼のスピーチをしたあと、突然「歌を歌います」と言い出して「アリラン」を朗々と歌うおまけ映像も。13年の月日をかけて、まだ少年っぽさが残るアフガン難民の青年が、外見は洗練されたヨーロッパ人になっていくまでを辿る『プリンス』。『ジョメー』を見ていた人には、感激も一入の作品だったのでは、と思います。

 

上映後のQ&Aに現れたベーラズニア監督は、ひょろりと背の高い、ちょっと神経質そうなおじ様でした。通訳のショーレ・ゴルパリアンさんと共に舞台の席に座った後、林加奈子ディレクターから「まずひと言ご挨拶を」と促されたベーラズニア監督(以下、監督)は、やおら立ち上がってみんなを驚かせます...。

 

監督:挨拶の前に、大切なお話があります。2011年3月の地震と津波についてです。私はヨーロッパにいて、日本から発信されてくる映像を見ていたのですが、すごく心が痛みました。特に津波の映像は、海が人々の生活を飲み込んでいく様が生々しく映し出されていて、本当にショックでした。波の中を冷蔵庫や車が運ばれて流れていく映像は、世界中の人々が一生忘れないと思います。イランでも地震はよく起きますが、地震から起きた津波の映像というのは初めてでした。

そういう悲惨な状況の中で、被災者の日本の人たちがどうしているかという映像も流れてきました。国の援助もあったりはするものの、普通はこういう状況だと盗みも頻発するし、お互いを踏みつけ合ったりするものなのに、日本の皆さんは思いやりや心を分け合っている。その映像にも驚かされました。物資をもらう時もみんな行儀よく並んでいて、列もきちんとして乱さず、食べ物を分け合ったりしている。これは本当に驚きでした。

私はその時の日本人から多くを学びました。お互いを守り、助ける優しさ、暖かさがよく伝わってきました。今日私は小さな映画を持ってきて、日本で上映することができました。大変光栄です。ホントニ ダイスキデス!(大きな拍手)

 

林ディレクター:ベーラズニア監督、ホントに気合いが入っていらっしゃいますね。実は先週盲腸の手術をしたばかりで、まだ痛みがあるそうなんですが、どうしても日本に行きたい、ということで来ていただいたのです。今日のお客様の中で、『ジョメー』をご覧になった方は? (20人ほどの手が挙がる)こんなにたくさんの方に見ていただいていたのですね。ですから、キム・ギドク監督の「アリラン」のオマケが付いていたりするこの作品を、ぜひ上映したかったのです。

 

観客:ドイツにはトルコ人移民が多いですよね。アフガン難民の彼は、たまたま映画祭で来たから、というのでハンブルクに住むようになったのですか? 映画の最後で妻子を連れに行く時の航空会社がトルコ航空でしたが、それは意図的に選ばれたのですか?

監督:まずトルコ航空ですが、ジャリルはアフガニスタンからドイツに飛ぶのにはトルコ航空が一番便利なので、利用したに過ぎません。特に意味はないのです。それから、ドイツには1960年代からトルコ人が移民としてたくさん入ってくるようになりました。アフガニスタン人は移民ではなく難民としてドイツにやってくるわけですが、トルコ人に比べて人数は少ないものの、結構ドイツに住んでいます。

 

観客:今回のフィルメックスでは、『数立方メートルの愛』もアフガン難民を扱っています。アフガンの人のプライドの高さを描いた作品ですが、本作でもジャリルが里帰りした時に乗ったタクシーの運転手が、自分の国のことを誇りを持って語っていますね。監督から見たアフガン人というのはどういう人たちですか? それと、なぜジャリルさんを描こうと思ったのですか?

監督:私は、アフガンの人たちと接する機会がたくさんありました。アフガニスタンの人々は、他人の起こした戦争で25年間ずっと苦しんでいます。彼らはとても誠実で、暖かい人たちです。イランにも労働者としてたくさんのアフガン人が働いていますが、苦労はたくさんしていると思うものの、彼らと仲良く暮らしているイラン人もいますよ。

 

観客:アフガニスタンでの撮影時にはいろいろ苦労があったのでは、と思うのですが。

監督:ちょっとエピソードをお話ししたいのですが、アフガニスタンでのジャリルの結婚式シーンがありましたね。あの結婚式の場は、見ず知らずの男性が入って行ってはいけない場なのです。ですので私は撮影することができず、ドイツでカメラを買ってジャリルに渡し、彼に獲ってもらいました。

 

観客:ジャリルのお母さんのセリフに「戦争が続いている」というものがありましたが、アメリカ軍が撤退することになっていたのも先週延期されました。監督はそれについてどう思われますか。

監督:これは私の見方ですが、我々はスーパーパワー(頭越しの権力)にやられることがあるのです。イランでは以前、モサデク大統領の時代にアメリカのCIAがクーデターを起こしたことがありました。デモクラシーを推進しているアメリカが、我々のような国でクーデターを起こして、デモクラシーを圧殺してしまっているのです。

 

観客:監督はアッバース・キアロスタミともお親しいですが、こんなに長いおつきあいになると思っていらっしゃいましたか? おつきあいが長くなった理由は?(監督の代表作に、キアロスタミ監督を扱った『クローズアップ、キアロスタミ』(1999)がある)

監督:昔の話になってしまいますが、ある日、ハンブルクに住んでいた自分の所にキアロスタミ監督から電話がかかってきて、留守電にメッセージが入っていました。「今、手に持っている物をその場に置いて、すぐイランに来てくれ」というものでした。『桜桃の味』の助監督だったイェクタパナー監督が自分の作品『ジョメー』に私を使いたいと相談したらしいのですが、キアロスタミ監督が「私が電話してやるよ。君が言っても彼は承知しないかもしれないから」というので電話をかけてきたのでした。

で、私は留守電を聞いてから48時間後にはイランに到着していました。空港ではキアロスタミ監督が待っていて、そのままカスピ海に連れて行かれました。そこでは『ジョメー』の撮影が始まっていて、「すでに1週間撮影が済んでいるけれど、すぐに役者として加わってくれ」と言われました。

その時、映画にはジャリルともう1人のアフガン人が出演していたのですが、昼休み、2人はみんなとは離れた場所でランチを食べていました。そこで私は監督に、「彼らと一緒に食べないのなら、私はすぐにドイツに帰る」と言ったのです。それからは、みんなで一緒に食事をするようになりました。
私は長い間外国に住んでいます。ですので、他国にたった1人、という状態がよくわかっていたのです。彼らがアフガン人だというだけで遠ざけられているのを見て、どんなに寂しいことだろう、とすぐに思ったのです。ジャリルとはそれ以来の付き合いで、今日までずっと続いています。アフガニスタンに関する映画もいっぱい撮りましたが、そろそろ次はアフガニスタンとは関係のない、別のことを獲ろうかと考えています。

 

観客:この映画を見て、ジャリルさんは何とおっしゃいましたか? また、キアロスタミ監督や、イェクタパナー監督は?

監督:この『プリンス』は長い期間をかけて作りましたが、撮っている間、ジャリルはこのドキュメンタリー映画にまったく興味を示しませんでした。彼が関心を持っていたのは、お金を稼いで妻子を呼び寄せたい、ということだけでした。今年の2月、イランの映画祭で『プリンス』が上映され、その時ジャリルが見てくれたんですが、そのあとで彼は「本当にごめん。感謝しています」と私にハグしてきたんです。イェクタパナーもその時に見てくれて、「本当にいい作品だ」というので、「ウソじゃないよね?」と言い返しました。

キアロスタミ監督に対しては、ちょっといたずらをしています。「キアロスタミ監督に捧げる」という献辞は入れてはいないのですが、最後にペルシャ語で「To Dear Abbas」という文字が入っているのです。これは実は、キアロスタミ監督が以前、「To Dear Mahmoud」と書いてくれた文字を元に、「マームード」を似せた字で「アッバース」と書き変えて入れてあるのです(会場どよめく)。キアロスタミ監督は、「映画の始まりの部分は重すぎるが、流れていくに連れてハッピーになってくるね」と言ってくれました。

 

最後に林ディレクターが、「最後に何かおっしゃりたいことがあれば」と水を向けると、ベーラズニア監督は、「フィルメックスの皆さんに心から感謝しています。心を込めて、代表として林さんをハグしたい」と言い出し、林さんをがっちりとハグ。深々とお辞儀をして舞台から姿を消しました。

このほか、フィルメックスではあと3本の作品を鑑賞。いずれも素晴らしい作品でしたので、後日また紹介をアップします。



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