『めぐり逢わせのお弁当』のリテーシュ・バトラ監督が今週前半に来日しました。7月28日(月)〜30日(水)の間、インタビュー取材を受けたり、テレビやラジオへの出演、そしてこのブログでもお知らせしたティーチインへの登場など、盛りだくさんなスケジュールをこなしました。今回は正式のインタビューと共に、その前にちょっとだけお目に掛かる機会があったため、両方の印象や発言を構成して、まとめてみることにします。
実際に会ってみると、とても物静かな、しかしながらしっかりと自分らしさを持っている印象を受けるリテーシュ・バトラ監督。作品からもわかるように、食べることにも興味津々で、ある席では出てきた居酒屋風日本料理のすべてに挑戦していました。そういう冒険心にも富んだ、柔軟な精神の持ち主でもあるようです。ですが、1979年生まれの彼が作った『めぐり逢わせのお弁当』には、どちらかというと古風なムンバイの風景と、古風な主人公たちが登場します。そこにはどうやら、リテーシュ・バトラ監督自身のノスタルジアも作用しているようです。
まず、主人公サージャン(イルファーン・カーン)のオフィスが、まるで1980・90年代のオフィスのように雑然としているのに驚かされます。あれはセットなのでしょうか?
「サージャンのオフィスはコンピュータもない古めかしいオフィスですが、実はあれは実在する、政府の保険部門のオフィスなんです。少し書類の数を増やしてもらいましたが、あとはそのままです。インドは過去のものと現在とが混在しているんですよ」
”サージャン(愛しい人)”という名前にも、やはり少し古い世代のテイストが反映されているようです。
「キリスト教徒がファーストネームにヒンドゥー教徒の名前を付ける、というのは、僕の父親世代の頃にはよくありました。それも、普通のヒンドゥー教徒なら付けないような、ちょっと変わった名前を選ぶんです。確かに、映画『サージャン 愛しい人』(1991)はヒットしたし、曲も有名ですが、それを使おうと思いついたのは、主人公の名前を決めたあとでした」
映画の中ではサージャンが、妻が好きだったテレビドラマ「これが人生(Ye Jo Hai Zindagi)」(1984/上写真はベータ版ビデオ)をビデオで見るシーンがあります。
「あのシットコム・ドラマも、小さい頃にずっと見ていたものです。当時のビデオデッキはフロントローディングではなく、テープを入れるところがガチャッと上にあがる、という方式でした。ですから映画でも、フロントローディングのビデオデッキはどうもしっくりこなくて、あのビデオデッキを小道具係にわざわざ捜してきてもらいました。古いので、テープを出し入れするたびに壊れないかと、小道具係がヒヤヒヤしていました。他には、「私たち(Hum Log)」(1984)というようなドラマも懐かしいですね」
(C)AKFPL, ARTE France Cinema, ASAP Films, Dar Motion Pictures, NFDC, Rohfilm - 2013
イルファーン・カーンのキャスティングは前から頭にあったようですが、撮影ではどうだったのでしょう。
「彼に当て書きしたようなキャラクターですからね、引き受けてもらえてホッとしました。信頼してもらっている、と責任を感じましたし、彼が出演してくれるというだけで出資も見込めます。
イルファーン・カーンはサージャンの役を演じるにあたって、幼い頃一緒に住んでいたおじさんを思い出したと言っていました。そのおじさんがよく着ていたワイシャツや、使っていたカバンなどを提案してくれ、映画の中で使っています」
(C)AKFPL, ARTE France Cinema, ASAP Films, Dar Motion Pictures, NFDC, Rohfilm - 2013
ヒロインであるイラ(ニムラト・カウル)の服装も、今どきの若い女性にしては地味すぎます。
「あれも、古風な女性というのを演出するためです。イラのキャスティングは大変で、ずいぶん難航しました。
イラという女性は、一人でアパートにいる時間がすごく長いのです。それを見た観客に、彼女と寄り添って時間を過ごしたい、と思わせないといけないのですが、ひとりぼっちでコンクリートの箱の中、というとまるで囚人のようなイメージになってしまう。イラは、囚われた被害者、と観客の目に映るのではなく、彼女が一歩踏み出す時に、やっぱり、と感じさせるような何かを持っていないといけない。そういうことが表現できる人を捜すのが大変でした」
イラのパートはサージャンのパートとはまったく別に撮ったのだそうですが、ロケ場所となったマンションでもちょっとした苦労があったのだとか。
「あのアパートのオーナーは、グジャラート州出身のヴェジタリアンの人でした。住人もすべてヴェジタリアンなので、撮影には貸すけれど、肉や魚は絶対に調理してはいけない、と言われたのです。そのため、あのアパートのシーンでの料理は、すべてヴェジタリアンの料理です。私を始めとして、撮影のスタッフも全員ヴェジタリアンにならざるを得ず、2週間の間毎日ヴェジタリアン料理を食べていました」
料理と言えば、もう1人の主人公とも言えるサージャンの後任アスラム・シャイク(ナワーズッディーン・シッディーキー/下写真左)は、少々変なキャラクターです。帰宅後、妻のために料理を作るというので、通勤電車の中で野菜を刻んだりするのです。
「電車の中で野菜を刻んでいる人はよく見かけますよ。主に女性ですけどね。通勤時間が長いので、1時間半とか2時間かかるわけです。家に帰ってすぐ料理に取りかかれるよう、そうやって野菜を刻んでいる人を私も見かけたことがあります。
シャイクのキャラクターで面白いのは、妻が料理が下手で、シャイク自身が料理をしている、しかし腕前はたいしてよくない、というところですね。反対にイラの方はとても料理が上手なわけで、たまたまサージャンの人生にこの2人の料理に関わるキャラクターが現れる、というのは面白いな、と思いながら脚本を書いていました」
(C)AKFPL, ARTE France Cinema, ASAP Films, Dar Motion Pictures, NFDC, Rohfilm - 2013
そのシャイクにナワーズッディーン・シッディーキーを選んだのはどうしてでしょう? ひょっとして、イルファーン・カーンと彼が共演したアミト・クマール監督作品『バイパス(The Bypass)』(2003)を見てのキャスティングでしょうか?
「いいえ、違います。『バイパス』の話は他の人からも聞かれましたが、私がナワーズッディーン・シッディーキーを選んだのは『ピープリー村より(ライブ放送)(Peepli(Live))』(2010)を見たからです。コメディで知られている俳優ではないのですが、ユーモラスな役もできる人だと確信しました。そして、コメディだけではない、深さや切なさも表現できる人だと思い、そういった役柄を演じるのを見てみたいと思ったのです。ですから、シャイク役もほぼ当て書きでした」
お弁当配達人、ダッバーワーラーもノスタルジーを感じさせる職業ですね。
「こういう大規模なお弁当配達システムはムンバイだけですが、インドのどの地域でも、お弁当を出前する、というシステムはあると思います。
ムンバイのダッバーワーラーたちは、郊外に約5,000人がコミュニティを作って暮らしています。125年もの間続いているシステムですが、月収は8.000ルピー(約14,000円)ぐらい、それにきつい肉体労働でもあるので、彼ら自身は子供たちに跡を継がせたくない、と思っている人が多いようです。
朝の集荷と配達は時間に追われ、息つく暇もありません。その代わり、きつい労働が終わった帰途の電車の中ではリラックスするのか、空のお弁当箱の脇で映画の中に見られるような宗教歌をみんなで歌います。今回映画の中で使ったのは、彼らが好んで歌う歌です」
映画の中で何度か流れる歌は、大阪大学でヒンディー語を教えている小磯千尋先生に教えてもらったところによると、「♪ ニャノーバー・マウリー、ニャノーバー・マウリー、トゥカーラーム ♪」と繰り返しているそうで、これは「ニャーネーシュヴァルは母も同然とトゥカーラームは申します」というような意味だとか。ダッバーワーラーたちはヒンドゥー教徒のワールカリー派で、ワールカリー派(またはヴァールカリー派)に関しては、小磯先生の論文や、金沢大学の井田克往先生の論文に説明が出ています。トゥカーラームの生涯は映画にもなっていて、『聖人トゥカーラーム(Sant Tukaram)』(1936/下写真)はマラーティー語映画の名作です。
National Film Archive of India
彼らが運ぶお弁当箱の中に手紙を潜ませる、というのも、メールやSMS、SNSの時代には古風なやり方ですね。
「ダッバーワーラーの人たちは正直者だ、という定評があります。ですからかつては、お弁当の中に現金を入れて届けてもらったりもしていました。また、朝ケンカをした奥さんに対し、映画のチケットを空のお弁当の中に忍ばせておく、ということもやったりとかね。それを知っていたので、今回手紙を入れてみようと思ったわけです。
実はこの作品は、うまくいっていない結婚をおいしいお料理によって修復しようと考える女性の話、というのを最初に思いついたのです。そして、結果的に修復するのは自分の結婚ではなく、他人の人生になる、ということを考えていたらサージャンのキャラクターが生まれ、サージャンからまたシャイクのキャラクターが生まれました。どのキャラクターもノスタルジアを感じさせるキャラクターなので、イラとサージャンが連絡を取り合うとすれば手紙だろう、ということになりました」
それにしても、とても緻密な脚本で、細部にまで神経が行き届いています。どんな背景から、こういう上質な脚本が生まれたのでしょう。
「小さい時から物語を語る、というのが好きだったんです。映画監督になる、なんていうことは全然考えていなかったんですが、とにかくいっぱい物語を作っていました。それで、学校新聞や雑誌に寄稿していたんです。
大学時代には演劇の脚本を書いたこともありましたが、その後20代半ばで映画学校に入るにあたって、短編映画の脚本を書かなくてはいけなくなって。それで取り組んでみたら、脚本という形態にすっかり惚れ込んでしまいました。僕の場合、脚本の段階で演出とかを細かく書き込んでしまうのです。ですから、これを自分以外の人に監督してほしくないな、と思い、自分で監督するようになりました」
これまで公開された作品とは一味違う、とても繊細なインド映画『めぐり逢わせのお弁当』。さらに詳しい監督インタビューは、一緒にインタビューをさせてもらった「アジアン・クロッシング」のサイトに来週早々掲載される予定です。
いよいよ公開まであと1週間となった『めぐり逢わせのお弁当』。公式サイトや公式FBをご参照の上、ぜひ足をお運び下さいね。
<追伸>夏目深雪さんによる、もっと深いリテーシュ・バトラ監督インタビューがこちらに。こちらもぜひご覧下さい!