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シャー・ルク・カーンの『ハッピー・ニュー・イヤー』本年興収No.1に

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サルマーン・カーン主演作『キック』を抜き、シャー・ルク・カーン主演の『ハッピー・ニュー・イヤー』がついに2014年興収トップに躍り出ました。まだまだ上映中ですので、歴代興収記録第3位の『きっと、うまくいく』を抜くことは確実です。その上にいるのは、第2位がシャー・ルク・カーン主演作『チェンナイ・エクスプレス』で、歴代トップがアーミル・カーン主演作『チェイス!』。この両者を抜くのは難しそうですが、とりあえず大ヒットとなりました。ムバーラク・ホー(おめでとう)・インディアワーレー!

本年は、興収30億ルピー以上が3作登場、しかし、それ以下はぐっと興収が下がって、10億ルピークラスになります。現在までのトップ3は以下の通りです。

1.『ハッピー・ニュー・イヤー(Happy New Year)』 予告編


 監督:ファラー・カーン
 主演:シャー・ルク・カーン、ディーピカー・パードゥコーン、アビシェーク・バッチャン、ソーヌー・スード
 興行収入:38億1千万ルピー(10月24日封切り)

どんな映画か知りたい方は、いちはやくマレーシアのKLで見てこられたせんきちさんのブログをどうぞ。

 

2.『キック(Kick)』 予告編

 監督:サージド・ナディヤードワーラー
 主演:サルマーン・カーン、ジャクリーン・フェルナンデス、ランディープ・フーダー、ナワーズッディーン・シッディーキー
 興行収入:37億7千万ルピー(7月25日封切り)

どんな映画かは、夏の旅行時にご紹介したこちらをどうぞ。

 

3.『バンバン!(Bang Bang!)』 予告編

 監督:シッダールト・アーナンド
 主演:リティク・ローシャン、カトリーナ・カイフ、ダニー・デンツォンパ
 興行収入:34億ルピー(10月2日封切り)

バリバリのアクション映画のようですが、詳細不明。ついこの間離婚したリティク・ローシャンと、ついにランビール・カプールと同居を開始したカトリーナ・カイフの共演です。カトリーナ、カプール家の嫁になるのでしょうか?(話がずれてる...)


あとの注目は、来月12月19日に封切られる、アーミル・カーン主演、ラージクマール・ヒラーニー監督という『きっと、うまくいく』のコンビが贈る『PK』の行方のみ。アーミルはかなり変わった役どころのようですが、昨年の『チェイス!』同様、アーミル作品が最終的に勝利を収めるのでしょうか? 


『PK』の予告編はこちら。共演はアヌシュカー・シャルマーで、「彼は私の親友。血なんて一滴も飲まないのに、”飲んでる(ピー・ケー)”って名前なの」とナレーションの最後で言っています。このヴァンパイア・ルック、耳は付け耳で、目はカラーコンタクトだそうです。『チェイス!』がヒットすれば、『PK』も追っかけてやってくる!?

 


『女神は二度微笑む』公開でインド映画冬の陣さらにパワーアップ!

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お待たせしました、いよいよ『女神は二度微笑む』の公開情報解禁です。本作は、2012年のアジアフォーカス・福岡国際映画祭において『カハーニー 物語』というタイトルで上映された作品で、強烈な個性を持ったサスペンス映画であると共に、ヴィディヤー・バーラン演じる身重のヒロインが活躍する女性映画でもあります。

舞台は東インドのコルカタ。この混沌とした街で、ベンガル地方最大のお祭りである秋のドゥルガー・プージャーを背景に展開するストーリーは、一見単純に見えて、その実あらゆるシーンが伏線となっているかのような複雑に織りなされた物語。従来のインド映画には欠けていた緻密な脚本が、一瞬たりとも気が抜けない世界へ観客を引き込みます。映画を見る歓喜を存分に味わわせてくれ、かつ画面に立ち現れるディープなインドにも酔える、極上の作品と言えるのが『女神は二度微笑む』です。

まずは基本データをどうぞ。

 

 『女神は二度微笑む』 予告編

2012年/インド/ヒンディー語・英語・ベンガル語/123分/原題:Kahaani

 監督・脚本:スジョイ・ゴーシュ
 出演:ヴィディヤー・バーラン、パラムブラト・チャテルジー、ナワーズッディーン・シッディーキー、(声の出演)アミターブ・バッチャン

 配給:ブロードウェイ
 配給協力:コビアボア・フィルム
 宣伝:メゾン

※2015年2月21日(土)よりユーロスペースにて公開、ほか全国順次公開

  

映画は、ある男がマウスで生体実験をしているところから始まります。ガスを吸い、バタバタと倒れていくマウスたち。そしてその毒ガスは、コルカタの混み合った地下鉄の中で拡散していくことになるのです....。

それから2年、コルカタ空港に若い女性ヴィディヤ(ヴィディヤー・バーラン)が降り立ちます。臨月間近いと思われる大きなお腹をした妊婦の彼女は、タクシーの運転手にカーリーガート警察署に行くよう言います。警官の前に座ったヴィディヤは、「夫がコルカタに仕事に来たまま行方不明なんです」と切り出しました。夫アルナブと彼女はロンドン在住で、2人ともITセキュリティの専門家。夫はインドの会社に呼ばれてコルカタに仕事に行ったまま連絡が途絶えてしまい、心配した彼女はロンドンから身重の体を押して飛んできたというわけなのでした。

署では若手の警官ラナ(パラムブラト・チャテルジー)を彼女に付けて、夫の足取りを追わせることにします。ところが、夫が泊まっていたというホテル・モナリザのフロントも、そして次の日に訪ねていった会社の人事課長も、そんな人は来ていない、と否定するばかり。しかし、ヴィディヤが夫から電話で聞いたというホテルの様子はそのままホテル・モナリザに当てはまり、ラナは信じざるを得ません。何とか彼女のために夫を見つけてやろうとするラナでしたが、次第にこの失跡は事件の様相を帯び始めます....。


ストーリーをちょっと書いてしまいましたが、できれば予備知識ゼロで見ていただくのが一番、というのがこの作品です。コルカタの街は『バルフィ!人生に唄えば』(2012)にもちょっと登場しましたが、本作では影の主役がコルカタという街とその文化と言っても過言ではなく、さすがコルカタで生まれ育ったベンガル人監督スジョイ・ゴーシュの作品、とうならされます。路面電車(下。オープニングタイトルの背景なので人名が入っています)や文字通りの人が引く人力車、中心街の古いビルディングや下町の路地裏、そして本作のクライマックスとなるドゥルガー・プージャーの様子など、これぞまさしくカルカッタ(コルカタの旧名)、という風景がいくつも登場します。

それと共に、これぞベンガル、というアイテムもいろいろ出てきます。ベンガル・サリー、タゴール・ソング(アジアで初めてノーベル文学賞を受賞したラビンドラナート・タゴールが、自作の詩に曲を付けさせたもの。ベンガルの大衆ソング的な存在で、何かにつけてベンガル人は口ずさむ)、そしてベンガル人ヒンドゥー教徒の「ダーク・ナーム(ダク・ナム)」と呼ばれる愛称...。そのどれもがストーリーに1枚噛んでいて、実に上手な使い方がしてあるのです。中でもタゴール・ソング「独りで歩んで行け(Ekla Cholo Re)」は、アミターブ・バッチャンによって歌われており、ヒロインの心情に寄り添う使われ方がしてあります。


出演者の演技も、ヴィディヤ役のヴィディヤー・バーラン、ラナ役のパラムブラト・チャテルジー(上)、途中から登場するカーン警視役のナワーズッディーン・シッディーキー(下)はもちろん、脇役に至るまでどの人も素晴らしく、映画を見ていることを忘れてしまいそうな迫真の演技となっています。『めぐり逢わせのお弁当』(2013)で主人公サージャンの後任シャイクを好演したナワーズッディーン・シッディーキーですが、『女神は二度微笑む』では切れ者で冷徹なカーン警視をクールに演じていて、これが同一人物かと目を疑うほど。彼の作品はずいぶん見ましたが、本作の「ナワちゃん」は最高です! そんな俳優たちの魅力もまた、おいおいご紹介していきましょう。

 

12月5日(土)公開の『チェイス!』、2015年1月公開の『ミルカ』、そして本作『女神は二度微笑む』と、インド映画冬の陣も超充実。どうぞお楽しみに!


『ミルカ』萌え~<その1>ミルカ・シンって誰?

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字幕の作業をしていて、ハートを掴まれるような気分になる映画があります。最近の作品では、『きっと、うまくいく』『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』『神さまがくれた娘』など、そしてこれからの公開作では、『ミルカ』に『女神は二度微笑む』。考えてみると過去の担当作品でも、胸から手を差し込まれて心臓をぎゅっと掴まれる感覚を覚えながら、字幕翻訳をした作品がいくつもありました。そういう映画を担当させてもらえるのは、ラッキー以外の何ものでもないですね。

中でも『ミルカ』は、ハートを掴まれると共に、切ないというか痛いというか、そういう感情も味わいながら字幕を作っていった作品でした。主人公は実在の人物で、ミルカ・シンという陸上中距離のアスリート。インドのことを勉強していれば、いつの間にか知識として入ってくる名前で、日本でいえば「王・長嶋・大鵬」といった存在に匹敵する人物です。でも、この映画を見るまでは詳しい背景も知らず、シク教徒だという知識ぐらいしか持ち合わせていませんでした。というわけで「『ミルカ』萌え」シリーズの第1回は、映画の主人公モデルとなったミルカ・シンのお話です。

まずは、映画の基本データをどうぞ。

 

『ミルカ』 公式サイト 

2013/インド/ヒンディー語・パンジャービー語/153分(インターナショナル版)/原題:Bhaag Milkha Bhaag
 監督:ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ
 主演:ファルハーン・アクタル、ソナム・カプール、ディヴィヤ・ダッタ、プラカーシュ・ラージ、パワン・マルホトラ、アート・マリク、ジャプテージ・シン、ヨグラージ・シン
 提供:日活
 配給:日活/東宝東和
 宣伝:スキップ
※2015年1月全国ロードショー

いつもならここでストーリーをご紹介するのですが、今回はミルカ・シンを知っていただくために、字幕翻訳時に作った彼の個人年表を出しておきます。字幕翻訳のためのメモなので、映画に出てくる出来事が中心です。

(C)2013 Viacom18 Media Pvt. Ltd & Rakeysh Omprakash Mehra Pictures

<ミルカ・シン年譜>

・Wiki”Milkha Singh”等を参照/下線を引いたのは映画中に登場した出来事(あくまでもメモなので、ネットの記述などに従ってあります。事実と違っている箇所があった場合はご指摘下さい)

1930年頃 イギリス領インド、パンジャーブ州ゴーヴィンドプラ村生まれ(パキスタン戸籍によると、1929年11月20日生まれ。別の記録では、1935年10月17日生まれ。生地も別の村説あり)

1947年  印パ分離独立によりインド、デリーに移住

      プラーナー・キラーの難民キャンプで一時期を過ごす

      既婚者の姉Ishvarと同居する

 ?    無賃乗車で逮捕、ティハール監獄に収監

1951年  兄Malkhanの勧めにより陸軍に入隊(4度目の受験)

      中部インド、シカンダラーバード(ハイダラーバードに隣接した町)のthe Electrical Mechanical Engineering Centre勤務中に陸上と出会う

1956年  メルボルン・オリンピック出場~200400、いずれも予選落ち

     (パキスタンのアブドゥル・カーリクは100mと200mで準決勝まで進出)

1958年  200mと400mでインド新記録(カタック開催のインド国体にて)

1958年  東京でのアジア大会に出場~200mと400で金メダル(大会新となった200mは、パキスタンのアブドゥル・カーリクと0.1秒差)

1958年  英連邦大会で400m金メダル

1959年  パドマーシュリー勲章を授与される

1960年  フランスでの競技会の400m走で45.80の世界新記録を出す。(非公式との説もあり。また、1956年にロサンゼルスの競技会でLou Joneが出した45.20が世界記録、という説もあり)

1960年  ローマ・オリンピック出場~200400に出場。400mは決勝で4位

      この時の400mの記録45.73秒は、その後40年間にわたってインド記録となる

1960年  インド・パキスタン親善陸上試合(1960年1月とする資料もあり)~“Flying Sikh”の名称をパキスタン大統領より授けられる

1962年  ジャカルタでのアジア大会に出場~400mと4×400mリレーで金メダル

1964年  東京オリンピック出場~400m、4×100m、4×400mにエントリーしたが、出場は4×400mのみで予選落ち

?     軍隊を退役

?     パンジャービー語の伝記「空飛ぶシク ミルカ・シン(Flying Sikh  Milkha Singh)」を出版

2003年  青少年支援の慈善団体「ミルカ・チャリティ・トラスト(Milkha's Charitable Trust)」設立

2013年  娘との共著による自伝「わが人生のレース(The Race of My Life)」を出版


上の写真が実際のミルカ・シンです。(写真はWiki"Milkha Singh"より)

映画『ミルカ』はローマ・オリンピックの会場にミルカ(ファルハーン・アクタル)が姿を現すところから始まり、「ミルカ、走れ(バーグ)!」というランヴィール・シン・コーチ(ヨグラージ・シン)の言葉につい亡き父(アート・マリク)の悲痛な叫び「ミルカ、逃げろ(バーグ)!」を重ね合わせてしまい、背後を振り向いて4位に落ちてしまう、というエピソードが描かれます。シク教徒だったミルカの父は、インド・パキスタンが分離独立をした1947年、今はパキスタン領となっている故郷の村でイスラム教徒に殺されたのでした。

オリンピック後に行われるインドとパキスタンの親善陸上試合では団長を務めなければならないのに、「パキスタンには行かない」と言い出すミルカ。そのミルカを説得するため、ネルー首相(ダリープ・ターヒル)の命を受けて、スポーツ担当大臣(K.K.ライナー)がランヴィール・シン・コーチと共にミルカの家があるパンジャーブ州チャンディガルに向かいます。その時ランヴィールに頼まれて同行したのが、ミルカの軍隊時代のコーチであるグルデーウ・シン(パワン・マルホトラ)でした。グルデーウ・シンは行きの列車の中で、ミルカの生い立ちと青年時代、そして軍隊で彼が遭遇した苦難について語ります...。


(C)2013 Viacom18 Media Pvt. Ltd & Rakeysh Omprakash Mehra Pictures

こうして、映画はパキスタンとの親善陸上試合が終わるまでを描いていきます。映画的に脚色してある部分もありますが、基本的にはミルカ・シンの前半生を辿り、歴史に翻弄されたアスリートの姿を浮き彫りにします。映画を製作するにあたって、ミルカ・シン本人も全面的に協力し、ファルハーン・アクタルに走法を指導したりしたそうで、ファルハーン・アクタルが作り込んだ肉体が物語にリアリティを持たせています。

プロゴルファーであるジーヴ・ミルカ・シンのお父さん、という方がわかりやすい方もいらっしゃるかも知れませんね。この機会にぜひ、ミルカ・シンの名前を憶えて下さい。



「スクリーン」誌に『チェイス!』とアーミル、カラーで登場!

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「スクリーン」2015年1月号をご寄贈いただきました。「スクリーン」編集部のN様、ありがとうございます!

SCREEN (スクリーン) 2015年 01月号 [雑誌] クリエーター情報なし 近代映画社

P.44では、『チェイス!』がカラーページ1ページを使って紹介されています。続いてP.71「第27回東京国際映画祭レポート」でも、来日記者会見時のアーミル・カーンとヴィジャイ・クリシュナ・アーチャールヤ監督のツーショットがカラーで。そしてモノクロページになりますが、P.88にはアーミルとアーチャールヤ監督の対談インタビューが。このページのツーショット写真も素敵です~。

あと、巻頭の特集「2015年に見られる映画」には『ミルカ』もチラと登場。それにしても、来年もこんなにアジア映画が上映されるんですね....。

「キネマ旬報」でも、次号でアーミル・カーンのインタビューが掲載される予定です。こちらも、出ましたらまたお知らせします。

<オマケ>

アーミル・カーンのファンのために、彼のこれまでの出演作品リストを挙げておきます。下線は私のオススメ作品、◎はその他評価の高い作品です。YouTubeに正式アップされたりしている作品もありますので、捜してみて下さい。

 

2014 P.K. ~12月19日公開予定
2013 『チェイス!』Dhoom: 3 
2012 Talaash(捜査)
2010 Dhobi Ghat (ドービー・ガート/洗濯場)~奥さんキラン・ラーオの監督作◎
2009 『きっと、うまくいく』3 Idiots
2008 Ghajini(ガジニ)~復讐のために殺人者となる役◎
2007 Taare Zameen Par(星が地上に)~監督・主演作◎
2006 Fanaa(消滅)~テロリスト役
2006 Rang De Basanti(愛国の黄色に染めて)~『ミルカ』のラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督作品◎ 
2005 The Rising: Ballad of Mangal Pandey (蜂起:マンガル・パーンデーのバラード)~「セポイの反乱」を描く
2001 Dil Chahta Hai(心が望んでる)~『ミルカ』を演じたファルハーン・アクタルの監督作品
2001 『ラガーン』Lagaan: Once Upon a Time in India ~イギリス統治時代のラガーン(年貢)を賭けた農民VS.イギリス軍人クリケット試合の物語

2000 Mela(祭) 

1999 Mann(心)
1999 Sarfarosh (命を賭けて)
1998 『1947年・大地』Earth ~ディーパー・メーヘター監督作品。2007年アジアフォーカス・福岡国際映画祭で上映
1998 Ghulam (奴隷)~「カンダーラーへ行こう」の歌が大ヒット
1997 Ishq (恋)
1996 Raja Hindustani(インドのラージャー)


1995 Akele Hum Akele Tum (僕も君も1人)
1995 Rangeela (ギンキラ)~映画のダフ屋というチンピラ役を好演
1995 Aatank Hi Aatank(恐怖がいっぱい)
1995 Baazi(賭け)
1994 Andaz Apna Apna(それぞれのスタイル)
1993 Hum Hain Rahi Pyar Ke(僕らは愛の旅人)~”愛は富に勝つ”ストーリー
1992 Daulat Ki Jung (富の戦い)
1992 Isi Ka Naam Zindagi(これこそが人生)
1992 『勝者アレキサンダー』Jo Jeeta Wohi Sikandar ~福岡アジア映画祭で上映
1992 Parampara(伝統)
1991 Dil Hai Ki Manta Nahin(納得しない心)
1991 Afsana Pyar Ka (恋の物語)
1990 Awwal Number (ナンバー・ワン)
1990  Deewana Mujh Sa Nahin (僕ほど君に夢中な男はいない)
1990  Jawani Zindabad (青春万歳)
1990  Dil (心)~相手役はマードゥリー・ディークシト
1990 Tum Mere Ho(君は僕のもの)
1989 Love Love Love
1989 Raakh(灰)~芸術系作品。殺し屋修業をする青年役
1988 Qayamat Se Qayamat Tak(破滅から破滅へ)~初の主演作品でロメ・ジュリもの
1985 Holi(ホーリー祭)~芸術系作品。学生のうちの1人
1974 Madhosh(酔いしれて)~子役出演
1973 Yaadon Ki Baaraat(思い出の花婿行列)~子役出演


タミル語映画『Kaaviya Thalaivan』上映会

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1週間後になってしまいましたが、タミル語映画の上映会があります。今回の『叙事詩劇の王者』(私が勝手に付けた邦題です。違ってるかも...)は、シッダールトにプリトヴィーラージという若手名優同士の一騎打ち的作品で、いかにも見応えがありそう。両イケメン俳優のファンの皆様はお見逃しなく。情報を下さったのは、いつものようにPeriploさんです。

 

『叙事詩劇の王者』 予告編

(2014/タミル語/150分/原題:Kaaviya Thalaivan/英語字幕付)
 監督:ヴァサンタヴァーラン
 主演:シッダールト、プリトヴィーラージ、ヴェーディカー、ナーサル

 

■日時:2014年11月30日(日)午後2時~
■会場:千葉県市川市イオンシネマ市川妙典 
■料金:大人2,500円
■主催者公式FB(英語)
 Periploさんの詳しい紹介ページ 予約方法などもこちらで



プリトヴィーラージの役は女形もやる役者のようですね。Periploさんのサイトによると、1930年代のタミルナードゥ州(当時はマドラス管区の一部)の南の方、マドゥライ地方の劇団がお話の舞台になっている模様。1930年代だとちょうどトーキー映画が広まりつつあった頃で、北インドではパールシー演劇が衰退しつつあった時代です。

Periploさんのサイトには、「カンパニー・ドラマ」と呼ばれたその頃の演劇の解説も掲載されています。以前見たマラーティー語映画『Natrang(舞台俳優)』(2010)は現代のお話でしたが、やはり大衆演劇を扱っていて、アトゥル・クルカルニーが演じる女形役者の芸と人生が壮絶でした。『叙事詩劇の王者』はどんな感じなのでしょう? 楽しみですね。


先日親族の介護に西葛西に向かう時、東西線にそのまま乗って東に向かえば妙典という駅があるのを発見。意外と近い!と喜んだのですが、西葛西から先に行けるのはいつの日か...。インド人人口が多い西葛西でやってくれればいいのですが、あそこはいい上映場所もないようです。でも、妙典までなら行きやすいので、イオンシネマ市川妙典が上映会場に選ばれたのでしょうね。きちんと本国に上映権料を払っての上映会なので、料金がちょっとお高いですが、それだけの価値は十分あり! どうぞお運び下さいませ~。


『女神は二度微笑む』の迷宮<1>ヒンディー語とベンガル語

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『女神は二度微笑む』のマスコミ試写が本日から始まりました。初回の試写にもかかわらず、20人を超えるマスコミ関係者や映画評論家の方がいらしていて、ちょっとびっくり。なかなか期待値高いです。まだあまり露出してないのに、面白そうな映画には皆さん敏感でいらっしゃいますね。今週末にはチラシもできるとのことなので、12月にはこの赤色が鮮やかなチラシが皆様の手にも届くことでしょう。


実は私、大きなスクリーンでこの作品を見たのは初めてで、カメラワークとか、全体の構図とか、DVDで見ていると気が付かなかった驚きがいっぱいありました。字幕の最終チェックも兼ねて見たのですが、字幕の方は反省しきりで、特に冒頭部分、もっと字幕をそぎ落とせばよかった、と落ち込んでいます。結構あわただしく字幕を読んでいただくことになりそうで、申し訳ない限りです。セリフにいっぱい情報が盛り込まれていると、つい全部入れたくなっちゃうんですよねー。うう、未熟...。(どよ~ん↓)

あと、作業用DVDでは聞こえなかった音がはっきり聞こえたり(字幕入れてない!)、その反対だったりと、青くなったり赤くなったりしながら試写を見終えました。でも、今日見て下さった皆さんは、まずい字幕にもかかわらず映画に引き込まれていらした様子で、途中笑いも起きたりしてちょっと安心しました。いやー、大画面で見るとよけいに『女神は二度微笑む』のすごさが実感できます。それにしても、主演女優ヴィディヤー・バーランの美しいこと! ファンが一挙に増えそうです。


本作の基本情報は先日のブログ記事をご覧いただければと思いますが、今日はそれに加えて、この映画の言語のお話をちょこっとしておこうと思います。


この映画はヒンディー語映画なのですが、舞台は全編がコルカタ(旧名カルカッタ)となります。コルカタと言えば、ハウラー橋にフーグリー河、カーリー寺院にマイダーンと呼ばれる中心街の広場、ニューマーケットにゴリアハト市場...。あるいは、マザーテレサ(上のタイル絵)を思い浮かべる人もいるかも知れませんし、文学者タゴールや映画監督サタジット・レイを思い出す人もいるでしょう。そのコルカタは西ベンガル州の州都であり、基本的にはベンガル語の街です。

「基本的には」というのは、大都会コルカタには西ベンガル州に近いビハール州やウッタル・プラデーシュ州から出稼ぎに来ている人も多く、タクシーの運転手はかなりの人がそうだと言われています。この出稼ぎ組の人たちの言語はヒンディー語なので、コルカタ市内でもヒンディー語が飛び交っているのです。私もコルカタに行ったのは数度だけなのですが、毎回ヒンディー語がよく通じるのでずいぶん助かりました。


『女神は二度微笑む』では、ロンドンからコルカタにやって来たヒロイン、ヴィディヤはヒンディー語を話します。警官のラナとその同僚たちは、時にはベンガル語、時にはヒンディー語で話します。ベンガル語を話されるとヴィディヤは理解できないため、字幕ではベンガル語の部分に< >の記号を付けてあります。

ヴィディヤはもうひとつ、ベンガル語の壁に直面します。「v」と「b」の発音が同じだと言われてしまうのです。ベンガル語とヒンディー語には同じ単語もたくさんあるのですが、その場合音韻が変化することがあります。例えば、短母音の「a」は「o」の音になり、「s」音は「sh」音に変化し、挨拶言葉の「ナマスカール」は「ノモシュカル」になります。そして「v」音は、「b」音になるのです。

字幕では、「ヴィディヤ」ではなく「ビディヤ」と呼ばれる、という形で出してありますが、実はこれは確信犯的に不正確な表記になっています。「ヴィ」→「ビ」以外にも、「ディヤ」という二重子音も音が変化し、正しく書くと「ビッダ」になってしまうのです。でも、映画の中では、ヴィディヤは「”b”じゃないの、”v”よ、”v”」と抗議しているので、「ビッダ」と字幕に出すと、「vがbになることより、後の部分の変化の方がすごいじゃないの。なんでそれを抗議しないわけ?」と観客に思わせることになるのでは、と危惧したのでした。


また、ヒンディー語の長母音はベンガル語では短くなってしまうことが多いのですが、字幕では一部こちらの表記の方がわかりやすいのでは、という固有名詞は音引きを入れてあります。まあ、ヒンディー語映画なので、ヒンディー語発音に倣った、ということでもあるのですが、この単語はやっぱりベンガル語発音の方が、というので、「ドゥルガ・プジャ」(上写真)のようにベンガル語発音を採用したものもあります。不統一な点、あまり気にしないで見ていただけるといいのですが。

気にしないで、と言えば、この映画の主人公たちの使用言語も、ちょっと変と言えば変です。ヒロインのヴィディヤは、実はタミル・ナードゥ州出身の女性。コルカタに仕事に来て失跡することになる夫から、「泊まっているホテルのエレベーターの脇には、君の故郷の孔雀がいるよ」と告げられるのですが、孔雀はタミル人の間で信仰あついムルガン神の乗り物なのです。映画の中ではヴィディヤが一度だけタミル語をしゃべるため、そこの字幕は《 》の記号を付けてあります。ヴィディヤを演じたヴィディヤー・バーランは南インドの出身なので、彼女とも二重写しになるヒロインなんですね。


で、ヴィディヤの夫で失跡したアルナブ・バグチはベンガル人という設定になっています。うーむ、ベンガル人とタミル人の家庭なら、共通言語はやっぱり英語でしょう。しかもロンドン住まいなんだし。まあそうなんですが、そこはそれ、ヒンディー語映画という大前提があるため、彼ら2人が話す時もヒンディー語なんですね。というわけで、非常にリアリティ溢れる作品ではあるのですが、小さな「?」も潜んでいます。


言語はヒンディー語寄りになっていますが、風景はディープなコルカタそのもの。夜のハウラー橋(上写真)など、さりげなく名所も登場します。ヒンディー語とベンガル語の響きの違いを楽しみながら、ぜひコルカタのベンガル世界を覗いてみて下さい。『女神は二度微笑む』の公式サイトはこちらです。 


やっと東京フィルメックスにたどり着く<1>『ディーブ』

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先週の土曜日、11月22日から始まった第15回東京フィルメックス。ところが、様々な仕事や用事が行く手を阻み、なかなか有楽町マリオンまでたどり着けませんでした。もう会期も後半、という26日になって、やっと2本見ることができた次第です。

見た作品は、1作目は『ディーブ』(ヨルダン、U.A.E.、カタール、UK)、2作目は『プリンス』(イラン、ドイツ)でした。両作品ともQ&Aもありましたので、その様子もお伝えしながらご紹介しましょう。『ディーブ』の会場には、審査委員長のジャ・ジャンクー監督のお姿もありました。

 

『ディーブ』 予告編 
Theeb /ヨルダン、U.A.E.、カタール、UK//2014年/97 分
監督:ナジ・アブヌワール


時代背景は第一次世界大戦中の1916年前後。アラビア半島西部のヒジャーズ地方が舞台で、紅海沿岸のこの地方はメッカとメディナという聖地があるため巡礼ルートにもなっている土地です。当時はオスマン帝国の影響下にあり、ダマスクスからメディナまで鉄道が通されていたりしました。第一次世界大戦の時は、イギリス軍がアラブ勢力に加担してオスマン帝国に対する反乱を起こさせようとし、そのために働いたのが「アラビアのロレンス」だったりします。そういった動きがあった時代に、ベドウィンの少年ディーブに起こった物語です。

ディーブは有名な族長の3番目の息子で、父亡き後長兄と次兄に、ベドウィンの男になるべく育てられています。特に次兄のフセインはディーブを可愛がってくれて、水の汲み方から銃の撃ち方まで、いろいろ教えてくれます。彼らのキャンプに、ある夜遅く、ベドウィンの青年とイギリス人将校がやってきました。イギリス人将校が巡礼者の井戸まで行きたいので、付き添いの青年がディーブの部族に案内を頼みに来たのです。フセインが案内役として出かけることになり、兄が大好きなディーブも強引に一行に加わります。彼らは3頭のラクダに乗って、井戸の旅に出発しました。

イギリス人将校は何やら秘密めいた箱を持っていました。危険な物らしく、触ると怒ります。どうやら何か極秘任務を負って井戸まで行くようです。井戸に着いてみると中には死体が浮かんでおり、一行は銃撃に遭います。イギリス人将校と案内者、そしてついには兄も殺され、ディーブは彼らに別の井戸に突き落とされてしまいました。井戸からはあがったものの、ラクダも奪われ、1人生き延びなければならなくなったディーブ。そこへ、銃で傷を負った男がラクダの背にゆられてやってきますが、それは銃撃者の1人でした。ディーブに助けられ、男はオスマン帝国の砦にイギリス軍将校の持っていた箱を届けるのですが....。


まず、シネスコの画面に驚かされます。監督は、これが第1作というナジ・アブヌワール。まだ33歳です。上の写真からもわかるように、俳優かと思うようなイケメン(笑)ながら、落ち着いた雰囲気のある思慮深そうな人です。シネスコ画面に展開する映像だけでも迫力があるのに、その物語は緊張感に溢れ、見る人を惹きつけます。市山尚三さんの司会、そして藤岡朝子さんの通訳でQ&Aが始まりました。登壇者はナジ・アブヌワール監督と、プロデューサーを務めたナセル・カラジさんで、監督がイギリス生まれということもあり、お二人とも英語でのお話でした。


ナジ・アブヌワール監督(以下、監督):東京フィルメックスで上映されて、とても光栄です。まさか日本の観客の皆さんに見てもらえるとは思ってもいませんでした。

ナセル・カラジ・プロデューサー(以下、プロデューサー):私たちの映画を見に来て下さってありがとうございます。監督と私は、日本の映画や文化にとても興味があります。


市山:監督デビュー作ですが、なぜこの題材を?

監督:私はずっとベドウィンの文化に魅了されてきました。ですので、映画作りを始めた頃からいつか映画にしたかったのです。実際に映画にするまでには10年かかってしまいました。


観客:主人公ディーブを演じた少年のプロフィールを教えて下さい。彼を選んだのはなぜですか?

監督:映画のキャストは、イギリス人将校を演じた俳優を除いて、全員が素人です。ベドウィンの中で、ヨルダンで最後まで遊牧をしていた人たちの中からキャスティングしました。彼らは1990年代までは遊牧生活を続けていたのです。映画製作の準備をしていた時に資金集めをしなくてはならなかったのですが、そういったことの世話役をしていた人がいて、彼に「主演の少年役を、誰か探してくれませんか」と頼んだんですね。でも、彼は仕事をするのがイヤな人だったみたいで、手近なところで自分の息子を紹介してきたんです(笑)。その子にやってみてもらうととてもよかったので、彼に主演を頼んだわけです。


観客:「鉄道ができたから部族の民がバラバラになった」というセリフがありましたが、近代化がベドウィン社会を崩壊させたということでしょうか?

監督:オスマン帝国が鉄道を建設したため、ベドウィン社会はそれまでやっていた巡礼の案内や護衛の仕事を失ってしまいました。巡礼がみんな、鉄道を使って行くようになってしまったのです。その後は暗い時代となり、部族同士の争いも起きるようになりました。列車の到来が、まさにそういう暗黒の時代の始まりとなったんですね。


観客:監督はイギリスのお生まれとのことですが、この作品はイギリスやいろんな国の製作となっていますね。でも、この映画に描かれたような紛争のタネを撒いたのは、イギリスではと思います。これについては、監督やプロデューサーはどうお考えですか?

監督:私は半分ヨルダン人で、半分がイギリス人なので、両方の文化に出会ってきました。ここ10年はヨルダンに住んでいますが、今回の作品はヨルダンがほとんど資金を出していて、ポスト・プロダクションのお金はU.A.E.、そしてカタールやイギリスからも資金を得ています。この作品では、政治的なことを描こうとしたのではなく、少年の経験を彼の目を通して表現したいと思ったのです。地域の歴史とかを学んでもらうために作ったのではないんですよね。

プロデューサー:確かにイギリスは、中東に大きな影響を与えてきました。でも、むしろオスマン帝国の方がこの地域に亀裂を作り出したと思います。トルコにも責任があるのです。

 

観客:砂漠地帯の雄大な景色でしたが、撮影のご苦労があったら教えて下さい。

監督:撮影は本当に大変でした。砂漠の中では、何度も道に迷いました。砂にも埋まったりして、たびたびベドウィンの人たちに助けてもらったのです。砂嵐や洪水にも遭いました。砂漠では、重い機材は運べません。発電機も持ち込めませんし、そんな中での奥地での撮影ですから、苦労はいっぱいありました。でも、出演者のほとんどが素人の人ですから、むしろ軽い機材の方がよかったのです。大げさでない機材で撮る、という必然性もあったわけですね。

 

観客:「これが男の生きる道」的なセリフがありましたが、こういう男の文化を監督はどのように捉えていますか? そして、今、こういう男の文化は、戦場などでどのように表現されているでしょうか。

監督:ベドウィンの男の美学は、困難の中でも生き残ること、砂漠の中でも食料や水を探し出すこと、というものです。でも、ベドウィンの人々は定住させられて暮らすようになりました。ですので彼らは、イスラーム教原理主義に走るか、反対に酒に走るか、というどちらかになってしまっています。大変悲しいことですが。もしあなたがベドウィンで、遊牧生活はやめろ、何らかの仕事に就け、買い物は店でしろ、等々を強要されたら、とまどってしまうに違いありません。奇妙に感じて、これまでの価値観を喪失してしまいますよね。今のベドウィンの人たちは、そういう状況なのです。

 

観客:私は撮影カメラマンなんですが、著名なカメラマンのヴォルフガング・ターラーさんが今回の撮影監督ですね。ターラーさんとは、どのようにコンタクトを取られましたか? シネスコでここまで撮れているのは撮影監督の手腕もあるでしょうが、シネスコを意識して演出ができたという点では初監督作品としてすごいと思います。

監督:ありがとうございます。『ディーブ』は特別な撮影監督を必要としました。まず、へんぴな土地での撮影経験があり、機材が不足していても撮影ができる人でなくてはいけません。それから、外国の文化に対して、深い理解ができる人、という条件もありました。今回はスーパー16ミリのアナモルフィック・レンズで撮影しています。ターラーさんはウルリヒ・ザイドル監督の作品や、またドキュメンタリー映画の撮影も担当した方です。我々としては、この人以外にはあり得ない、という思いでした。今、CMやミュージッククリップの撮影になれている人は大勢いますが、こういう撮影のできる人はとても少ないですね。

 

ロビーに出ると、ナジ・アブヌワール監督の前にはサインを求める長蛇の列。ご本人はジーン・ケリーに似ていると言われたことがあるそうですが、「ジーン・ケリーよりずっとハンサムですよ」と言ったらはにかんでいらっしゃいました。


撮影監督のことで質問なさった方がプロデューサーのナセル・カラジさんに質問なさるのを聞いていたのですが、『ディーブ』の撮影期間は45日間だったそうです。そして、途中でディーブが井戸に落ちるシーンは、山からの水を集めて地下にできている割と広い水たまりがつまり井戸なので、そこで一部水をせき止めて撮ったのだとか。いわば、アフガニスタンのカレーズのようなものなのでしょうか。なお、『アラビアのロレンス』は映画としては楽しんで見られる作品だが、ロレンス自身がやったことはアラブ世界ではまったく評価されていないそうで、映画の内容を素晴らしいという人はいない、とのことです。確かに、アラブ分断の一端を担った人ですものね。

『ディーブ』は素晴らしい作品なので、どこかの配給会社が買って下さることを祈っています。 

(つづく)

やっと東京フィルメックスにたどり着く<2>『プリンス』

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昨日のつづき、26日(木)に東京フィルメックスで見た2本目の作品『プリンス』のレポートです。 

『プリンス』
The Prince/イラン、ドイツ/2014年/92 分
監督:マームード・ベーラズニア
主演:ジャリル・ナザリ

映画は、高架電車が走る港町から始まります。大型のリムジンが通り過ぎてゆくリッチな街。ここハンブルクのピザ屋で働く青年が、この作品の主人公です。名前はジャリル・ナザリ。彼はかつてイランでハッサン・イェクタパナー監督作品『ジョメー』(2000)に主演し、この作品がカンヌ国際映画祭でカメラドール(新人監督賞)を受賞したり、東京フィルメックスで審査員特別賞を獲ったりしたので、一躍有名になりました。その彼がどうしてピザ屋の店員に? そもそもハンブルクにいるのはなぜ? そう観客が思っていると、それまで流ちょうなドイツ語でウェイターとやりとりしていたジャリルが、ペルシャ語で画面に語りかけ始めます。

そして画面は、『ジョメー』のメイキング映像に。イランの片田舎でのロケ風景です。主人公はアフガン難民のジョメーですが、ジャリル自身もアフガン難民。イランでいろんな仕事に就いた後、映画の主演に抜擢されて、俳優として認められますが、最初にカンヌ国際映画祭でこの作品が上映された折には、正式なパスポートがなくて映画祭に参加すらできませんでした。その後しばらくたってハンブルク映画祭で上映された折も、ジャリルはイラン出国はできたものの、再入国ヴィザがもらえず、やむなくハンブルクにとどまることになったのです。

ハンブルクで難民申請をし、ドイツ社会で働いて生きていく--それがジャリルの決心でしたが、ケムニッツにある収容施設に入ったまではよかったものの、以後難民認定が済むまで長い間待たされることになります。そんな彼を当初から助けてくれたのは、長くドイツに住んでいるイランの映画人で、『ジョメー』ではジョメーを雇ってくれる行商人を演じたマームード・ベーラズニアでした。彼は収容施設までの行き方をジャリルに教え、さらに何度も施設を訪ねてくれました。そして、ジャリルのドイツでの姿を記録し始めたのです。そのマームード・ベーラズニアの映像がまとめられて、『プリンス』が誕生したのでした。

やっと難民認定されたジャリルはハンブルクに落ち着き、その後2010年に初めてアフガニスタンに里帰りします。イランに行った時からずっと会っていなかった両親や兄弟、年老いた大叔父らは、ジャリルを見て涙にむせびます。この里帰りでジャリルは結婚し、妻をアフガニスタンに残して再びハンブルクへ戻って一生懸命働きます。女の子も誕生したジャリルは、2013年に妻子をドイツに呼び寄せる準備を整え、アフガニスタンに旅立ちます。ジャリルが妻子を連れてハンブルク空港に姿を現す所で、映画は終わります。

途中には、ベルリン国際映画祭で韓国のキム・ギドク監督が受賞し、短いお礼のスピーチをしたあと、突然「歌を歌います」と言い出して「アリラン」を朗々と歌うおまけ映像も。13年の月日をかけて、まだ少年っぽさが残るアフガン難民の青年が、外見は洗練されたヨーロッパ人になっていくまでを辿る『プリンス』。『ジョメー』を見ていた人には、感激も一入の作品だったのでは、と思います。

 

上映後のQ&Aに現れたベーラズニア監督は、ひょろりと背の高い、ちょっと神経質そうなおじ様でした。通訳のショーレ・ゴルパリアンさんと共に舞台の席に座った後、林加奈子ディレクターから「まずひと言ご挨拶を」と促されたベーラズニア監督(以下、監督)は、やおら立ち上がってみんなを驚かせます...。

 

監督:挨拶の前に、大切なお話があります。2011年3月の地震と津波についてです。私はヨーロッパにいて、日本から発信されてくる映像を見ていたのですが、すごく心が痛みました。特に津波の映像は、海が人々の生活を飲み込んでいく様が生々しく映し出されていて、本当にショックでした。波の中を冷蔵庫や車が運ばれて流れていく映像は、世界中の人々が一生忘れないと思います。イランでも地震はよく起きますが、地震から起きた津波の映像というのは初めてでした。

そういう悲惨な状況の中で、被災者の日本の人たちがどうしているかという映像も流れてきました。国の援助もあったりはするものの、普通はこういう状況だと盗みも頻発するし、お互いを踏みつけ合ったりするものなのに、日本の皆さんは思いやりや心を分け合っている。その映像にも驚かされました。物資をもらう時もみんな行儀よく並んでいて、列もきちんとして乱さず、食べ物を分け合ったりしている。これは本当に驚きでした。

私はその時の日本人から多くを学びました。お互いを守り、助ける優しさ、暖かさがよく伝わってきました。今日私は小さな映画を持ってきて、日本で上映することができました。大変光栄です。ホントニ ダイスキデス!(大きな拍手)

 

林ディレクター:ベーラズニア監督、ホントに気合いが入っていらっしゃいますね。実は先週盲腸の手術をしたばかりで、まだ痛みがあるそうなんですが、どうしても日本に行きたい、ということで来ていただいたのです。今日のお客様の中で、『ジョメー』をご覧になった方は? (20人ほどの手が挙がる)こんなにたくさんの方に見ていただいていたのですね。ですから、キム・ギドク監督の「アリラン」のオマケが付いていたりするこの作品を、ぜひ上映したかったのです。

 

観客:ドイツにはトルコ人移民が多いですよね。アフガン難民の彼は、たまたま映画祭で来たから、というのでハンブルクに住むようになったのですか? 映画の最後で妻子を連れに行く時の航空会社がトルコ航空でしたが、それは意図的に選ばれたのですか?

監督:まずトルコ航空ですが、ジャリルはアフガニスタンからドイツに飛ぶのにはトルコ航空が一番便利なので、利用したに過ぎません。特に意味はないのです。それから、ドイツには1960年代からトルコ人が移民としてたくさん入ってくるようになりました。アフガニスタン人は移民ではなく難民としてドイツにやってくるわけですが、トルコ人に比べて人数は少ないものの、結構ドイツに住んでいます。

 

観客:今回のフィルメックスでは、『数立方メートルの愛』もアフガン難民を扱っています。アフガンの人のプライドの高さを描いた作品ですが、本作でもジャリルが里帰りした時に乗ったタクシーの運転手が、自分の国のことを誇りを持って語っていますね。監督から見たアフガン人というのはどういう人たちですか? それと、なぜジャリルさんを描こうと思ったのですか?

監督:私は、アフガンの人たちと接する機会がたくさんありました。アフガニスタンの人々は、他人の起こした戦争で25年間ずっと苦しんでいます。彼らはとても誠実で、暖かい人たちです。イランにも労働者としてたくさんのアフガン人が働いていますが、苦労はたくさんしていると思うものの、彼らと仲良く暮らしているイラン人もいますよ。

 

観客:アフガニスタンでの撮影時にはいろいろ苦労があったのでは、と思うのですが。

監督:ちょっとエピソードをお話ししたいのですが、アフガニスタンでのジャリルの結婚式シーンがありましたね。あの結婚式の場は、見ず知らずの男性が入って行ってはいけない場なのです。ですので私は撮影することができず、ドイツでカメラを買ってジャリルに渡し、彼に獲ってもらいました。

 

観客:ジャリルのお母さんのセリフに「戦争が続いている」というものがありましたが、アメリカ軍が撤退することになっていたのも先週延期されました。監督はそれについてどう思われますか。

監督:これは私の見方ですが、我々はスーパーパワー(頭越しの権力)にやられることがあるのです。イランでは以前、モサデク大統領の時代にアメリカのCIAがクーデターを起こしたことがありました。デモクラシーを推進しているアメリカが、我々のような国でクーデターを起こして、デモクラシーを圧殺してしまっているのです。

 

観客:監督はアッバース・キアロスタミともお親しいですが、こんなに長いおつきあいになると思っていらっしゃいましたか? おつきあいが長くなった理由は?(監督の代表作に、キアロスタミ監督を扱った『クローズアップ、キアロスタミ』(1999)がある)

監督:昔の話になってしまいますが、ある日、ハンブルクに住んでいた自分の所にキアロスタミ監督から電話がかかってきて、留守電にメッセージが入っていました。「今、手に持っている物をその場に置いて、すぐイランに来てくれ」というものでした。『桜桃の味』の助監督だったイェクタパナー監督が自分の作品『ジョメー』に私を使いたいと相談したらしいのですが、キアロスタミ監督が「私が電話してやるよ。君が言っても彼は承知しないかもしれないから」というので電話をかけてきたのでした。

で、私は留守電を聞いてから48時間後にはイランに到着していました。空港ではキアロスタミ監督が待っていて、そのままカスピ海に連れて行かれました。そこでは『ジョメー』の撮影が始まっていて、「すでに1週間撮影が済んでいるけれど、すぐに役者として加わってくれ」と言われました。

その時、映画にはジャリルともう1人のアフガン人が出演していたのですが、昼休み、2人はみんなとは離れた場所でランチを食べていました。そこで私は監督に、「彼らと一緒に食べないのなら、私はすぐにドイツに帰る」と言ったのです。それからは、みんなで一緒に食事をするようになりました。
私は長い間外国に住んでいます。ですので、他国にたった1人、という状態がよくわかっていたのです。彼らがアフガン人だというだけで遠ざけられているのを見て、どんなに寂しいことだろう、とすぐに思ったのです。ジャリルとはそれ以来の付き合いで、今日までずっと続いています。アフガニスタンに関する映画もいっぱい撮りましたが、そろそろ次はアフガニスタンとは関係のない、別のことを獲ろうかと考えています。

 

観客:この映画を見て、ジャリルさんは何とおっしゃいましたか? また、キアロスタミ監督や、イェクタパナー監督は?

監督:この『プリンス』は長い期間をかけて作りましたが、撮っている間、ジャリルはこのドキュメンタリー映画にまったく興味を示しませんでした。彼が関心を持っていたのは、お金を稼いで妻子を呼び寄せたい、ということだけでした。今年の2月、イランの映画祭で『プリンス』が上映され、その時ジャリルが見てくれたんですが、そのあとで彼は「本当にごめん。感謝しています」と私にハグしてきたんです。イェクタパナーもその時に見てくれて、「本当にいい作品だ」というので、「ウソじゃないよね?」と言い返しました。

キアロスタミ監督に対しては、ちょっといたずらをしています。「キアロスタミ監督に捧げる」という献辞は入れてはいないのですが、最後にペルシャ語で「To Dear Abbas」という文字が入っているのです。これは実は、キアロスタミ監督が以前、「To Dear Mahmoud」と書いてくれた文字を元に、「マームード」を似せた字で「アッバース」と書き変えて入れてあるのです(会場どよめく)。キアロスタミ監督は、「映画の始まりの部分は重すぎるが、流れていくに連れてハッピーになってくるね」と言ってくれました。

 

最後に林ディレクターが、「最後に何かおっしゃりたいことがあれば」と水を向けると、ベーラズニア監督は、「フィルメックスの皆さんに心から感謝しています。心を込めて、代表として林さんをハグしたい」と言い出し、林さんをがっちりとハグ。深々とお辞儀をして舞台から姿を消しました。

このほか、フィルメックスではあと3本の作品を鑑賞。いずれも素晴らしい作品でしたので、後日また紹介をアップします。



12月は『チェイス!』の月

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12月になりました。いよいよ本年のインド映画真打ち登場、5日(金)から『チェイス!』公開です。まず、基本データを再度付けておきましょう。


 ©Yash Raj Films Pvt. Ltd. All Rights Reserved.

『チェイス!』 公式サイト(生アーミルもご出演中。かかっているのはアラビア語版の主題歌)

2013年/インド/ヒンディー語/147分(インターナショナル版)/原題:Dhoom:3
 監督:ヴィジャイ・クリシュナ・アーチャールヤ
 出演:アーミル・カーン、カトリーナ・カイフ、アビシェーク・バッチャン、ウダイ・チョープラー、ジャッキー・シュロフ、シッダールト・ニガム(子役)
 音楽:プリータム

 提供:日活
 配給:日活/東宝東和
 宣伝:アルシネテラン

※12月5日(金)より全国ロードショー。劇場はこちらで。

 

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公式サイトで基本情報が得られますので、詳しくはそちらをどうぞ。 と言うか、あまり詳しくストーリーが書けない本作は、予備知識なしで見ていただくのが一番! そして、劇場用パンフをお買い求めの上で(詳しいストーリーが書いてあります。ですので、ご鑑賞前にはそこはお読みになりませんように)2回目の鑑賞をなさると、伏線やら何やらがわかって二度楽しめるはず。というわけで、当面はネタバレ注意報も発令中です。お気をつけて、ツイッターやFB、そしてブログにご感想を書き込んで下さいね。


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そんなわけで、こちらのブログでは主要3曲の歌詞のサビ部分だけをちょびっとご紹介しましょう。 画面と一緒にお歌い下さい。まずは、ヒロインのアーリア(カトリーナ・カイフ)が入団テストで歌い踊る「カムリー(狂おしく)」です。

1.「カムリー(Kamli/狂おしく)」  映像

   歌:スニディ・チョウハーン

    ニ・マイン・カムリー・カムリー
    Ni main Kamli Kamli
    私は狂ってしまう
    ニ・マイン・カムリー・カムリー
    Ni main Kamli Kamli
    私は狂ってしまう
    ニ・マイン・カムリー・カムリー、メーレー・ヤール・ディー
    Ni main Kamli Kamli mere yaar di
    愛しいあなたに私は狂ってしまう

<注>この部分はパンジャービー語の歌詞になっているそうです。

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続いて、最大のハイライト、サーヒル(アーミル・カーン)とアーリアが繰り広げるシルク・ドゥ・ソレイユばりのサーカス・パフォーマンス・シーン、「マラング(托鉢僧)」です。この歌の歌詞はペルシャ語がいっぱい使ってあります。「マラング」というのは、イスラーム教のスーフィー(神秘主義者)の聖者マダールシャーの信奉者である托鉢僧を言うのだそうです。

2.「マラング(Malang/托鉢僧)」 映像

   歌:シッダールト・マハーデーヴァン&シルパー・ラーオ

    ダム・マラング・マラング、ダム・ダム・マラング
    Dum malang malang, dum dum malang malang
    この命はさまよう托鉢僧
    マラング・マラング・ダム
    Malang malang dum
    この命はさまよう托鉢僧
    イシュク・イシュク・ハイ・マラング・メーラー
    Ishq ishq hai malang mera
    私の恋心は托鉢僧のようにさまよい歩く

 

©Yash Raj Films Pvt. Ltd. All Rights Reserved.

そして、エンディング・クレジットの華やかなカトリーナ・カイフのアイテム・ソング「ドゥーム・マチャーレー(騒ぎを起こせ)」です。 

3.「ドゥーム・マチャーレー・ドゥーム(Dhoom Machale Dhoom/騒ぎを起こせ)」 映像

   歌:アディティー・シン・シャルマー

     ドゥーム・マチャーレー
     Dhoom machale,
     ドゥーム・マチャーレー、ドゥーム・マチャーレー・ドゥーム
     Dhoom machale, dhoom machale dhoom

<注>「macha(原形machana)」は「起こす」という意味で、「le(原形lena)」は「自分のために~する」という意味になる助動詞です。正しくは「macha le」と分かち書きするべきなのですが、この映画のサントラ盤などではくっつけて表記しています。

とっても簡単な歌詞ばかりですので、ぜひ劇場でサビ部分を口ずさんで下さいね。そして、全体の歌詞の意味は、お上手な藤井美佳さんの訳でたっぷりと楽しんで下さい。では、『チェイス!』を追って金曜日には劇場へGO!!



タミル語映画上映会のお知らせ

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今週末、またまたタミル語映画の上映会があります。情報をお寄せ下さったのはいつものようにPeriploさんですが、Periploさんのご紹介サイトによると、何と今回は日本人がバッチリ出演している作品のよう。はてさて、どんな作品なのでしょう。


『Aaaah』 予告編
(2014/タミル語・日本語など/120分/英語字幕付き)
 監督:ハリ・シャンカル&ハリーシュ・ナーラーヤン
 主演:ゴークルナート、メーグナ、ボビー・シンハー

■日時:2014年12月6日(土)午後6:00~
■会場:埼玉県川口市SKIPシティ
■料金:大人2,000円
■主催者公式サイト(英語/こちらから予約可能)
■Periploさんのご紹介サイト(詳しい内容&予約方法などこちらで)

 

オムニバスのホラー映画、という、インド映画にはちょっと珍しい作品のようです。世界の5箇所を回っていく中に東京も入っていて、ジャパニーズ・ホラー風味が登場するらしいんですが、うまく消化されているでしょうか。ご興味がおありの方は、ぜひお運び下さい。

『チェイス!』前夜祭:ヴィジャイ・クリシュナ・アーチャールヤ監督インタビュー(上)

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いよいよ明日から、『チェイス!』が全国約100館の劇場で公開されます。公式サイトはこちらです。

10月末の東京国際映画祭では、特別招待作品部門での『チェイス!』の上映に向けて、主演のアーミル・カーンとヴィジャイ・クリシュナ・アーチャールヤ監督が来日しました。10月29日(水)は記者会見、満員の観客を前にしての舞台挨拶、『チェイス!』大スクリーンお披露目上映と大興奮でしたが、その合間を縫って、ヴィジャイ・クリシュナ・アーチャールヤ監督に単独インタビューさせていただきました。内容は、コアなインド映画ファンのインタビュー、という感じであるものの、なるべくはしょらず収録してみることにします。


Q:最初に、監督が秘密にしてらっしゃることをうかがってもいいですか?

A:僕の秘密???

Q:生年月日なんですけど。

A:な~んだ、全然秘密でも何でもないですよ。1968年1月22日です。(おお! 若々しく見えるのにもう46歳だなんて! と思ったのが顔に出たのか...)すごく年取ってるんですよ~(笑)。

Q:お生まれは、北インドのカーンプルですか?

A:そのとおりです。高校まではカーンプルで、それからデリーの大学で学びました。ムンバイに行ったのは1992年です。


Q:「映画を見て映画作りを学んだ」とおっしゃっていましたが、映画学校などには全く行かずに映画を作るようになったのですか?

A:映画学校には行ったことがないんです。大学時代、デリーにはシャクンタラム・シアター(ニューデリーの中心部に近い大展示場プラガティ・マイダーンにある劇場)というホールがあって、そこでは世界中の優れた映画を上映してくれていました。毎回とても素晴らしいセレクションで、そこでワールドシネマを山ほど見ることができました。フランシス・コッポラ、マーティン・スコセッシ、インドの巨匠ではグル・ダットやビマル・ロイらの作品を見続けているうちに、自分でも映画を撮りたくなったんです。

その先は、映画学校に行って勉強するか、それとも誰かの助監督になるか、という2つの選択肢があったのですが、理論を学んでそれから現場に入るよりも、実際に仕事をしてみた方がずっと学べることが多い、と思ったので、僕は後者を選んだわけです。だから僕は、映画を見て学び、他人が仕事をするのを見て学び、そして自分で失敗をすることで映画作りを学んでいった、と言えますね。

Q:ムンバイに行って、最初にアシスタントになったのがクンダン・シャー監督(アート系の監督ながら、社会的視点と共にユーモア感覚も持ち合わせているユニークな監督)だったのはどうしてですか?

A:僕は今でも、クンダン・シャー監督の『ほっておけ、友よ(Jaane Bhi Do Yaaron)』(1983)の大ファンなんです。高校時代にこの映画を見ていたから、ムンバイに行った時にすぐ会いに行きました。彼はちょうど、『時にはイエスと言ってくれ(Kabhi Haan Kabhi Naa)』(1994)を撮っていて、幸運にもその現場で働かせてもらえることになりました。

それから2年間、彼にずっと師事させてもらいました。彼こそ、僕の人生にとって非常に重要な人物だったと言えます。今もとても大切な友人だし、彼のお陰で僕のボンベイでのキャリアが始まった恩人でもあります。


Q:福岡アジア映画祭でも上映された『時にはイエスと言ってくれ』はシャー・ルク・カーンの主演作ですよね。この作品によって、クンダン・シャー監督はメインストリーム、つまり商業系の映画にスイッチしようとしていたわけですが、そうするとあなたは、半分アート系、半分商業系の映画からキャリアをスタートさせたことになりますね。

A:まさにその通り。今でも、自分の感覚は商業映画系だとは思っていません。商業映画畑で仕事をしているのは、その方が幅広い観客を獲得できるからです。と同時に、僕は商業映画は一種類だけの映画ではないと思っています。アート系の作品も商業映画も常に移り変わっているし、僕たちはよりよい映画を撮ろうとしているのであって、アート系作品を作ろうが商業映画を作ろうが、それは自分にとっては特に意味を持ちません。

ただ、自分の感覚は、ちょっと商業映画とはズレているかなと思います。だから僕が商業映画的な作品を手がけると、少し違った感じのものができてしまうのですよ。

Q:『チェイス!』は原題を『Dhoom(ドゥーム/騒ぎ):3』と言ってシリーズの3作目ですが、1作目の『Dhoom』からずっと脚本を担当してらっしゃいますよね。最初に脚本の依頼が来たのは、どういう経緯からだったんですか?

A:まず、ヤシュ・ラージ・フィルムズから「脚本を書いてほしい」という連絡が来ました。元々のアイディアはアーディティヤ・チョープラー(ヤシュ・ラージ・フィルムズの社長ヤシュ・チョープラーの長男。ウダイ・チョープラーの兄)のもので、アクション映画を、ということでした。その頃僕はテレビドラマの仕事をしていて、軽い感じの作品、ほろ苦くて、スイートな部分もある作品をずっと書いていたんです。ですから、別の仕事ができる、ということで引き受けることにしました。

『Dhoom』シリーズは、過去の映画とは違った作品になる感じでした。過去の映画というのは、例えばマヌモーハン・デサイ監督(1970・80年代に『アマル・アクバル・アントニー』(1977)等娯楽大作を立て続けに作ったヒットメーカー)の作品とか、サリーム=ジャーヴェード(サルマーン・カーンの父サリーム・カーンと、ファルハーン・アクタルの父ジャーヴェード・アクタルの脚本家コンビで『炎』(1975)等ヒット作を連発した)が脚本を書いた作品とかなんですが、重厚なストーリーというよりは、その頃の映画の3本柱--ドラマ性と情感とロマンスが盛り込まれているような作品ですね。『Dhoom』を作ろうとしていた2003年当時もそんな作品がほとんどで、そんな中で『Dhoom』は他の作品とは違う、新しさを持った作品だと思えました。

『Dhoom』という単語は「騒ぎ」という意味なんですが、祝祭みたいなとても楽しい映画になりました。3作目である今度の『チェイス!』を書くのもとても難しくはありましたが、楽しんで書くことができました。


(続く)


『チェイス!』前夜祭:ヴィジャイ・クリシュナ・アーチャールヤ監督インタビュー(下)

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インタビューの後半です。こちらは少しネタバレ気味の箇所がありますので、『チェイス!』をご覧になってからお読みいただくことをお勧めします。


Q:『Dhoom』シリーズでのヴィジャイ・クリシュナ・アーチャールヤ監督のお名前は、原作(Story)、脚本(Script)、そして台詞(Dialogue)と3つの箇所にもクレジットされていますよね。それぞれ、どんなお仕事になるのかを教えて下さい。

A:「原作(Story)」というクレジットは、インド映画独特の分類ですね。「脚本(Screenplay)」は、以前のヒンディー語映画では「台詞(Dialogue)」と区別されて使われていたんです。

全体の筋立てを作る人が「原作」で、主人公の青年がいて、父親が自殺に追い込まれたためその復讐をしようとする、といった、各キャラクターとシークエンスを考えます。それに基づき誰かが「脚本」を書くわけですが、「脚本」は各シーンを決め、それがどのような因果関係で起こっていくかということを書き込んでいきます。さらに「台詞」を書く人は別にいて、口語で会話文に仕上げていくわけです。

ヒンディー語映画は従来から、映画の下敷きになる「書く」という作業をこの3つのプロセスに分けていました。とはいえこれは人工的に分けられたもので、ハリウッドで言えばすべてが「脚本(Script)」に含まれます。それがインド映画では、時としてそれぞれ別々の書き手を使うことになるんです。ある人は脚本を書くのに優れているとか、台詞が非常に重要になるインド映画では得意な人が台詞を担当するとか、そういう理由ですね。私の場合は、この3つの仕事を1人でやっていることになります。


Q:3人分の仕事をすべて1人でおやりになるというのはすごいですね。ずっとアーチャールヤ監督が共通して手がけておられるせいか、この『Dhoom』シリーズには3つの共通点があるように思います。一つはバイクアクションが入ること。もう一つは、警官と泥棒がどこかで心を通わせ合ってしまうこと。そして最後は、”落下”のイメージが盛り込まれていること。ほかに何かご自分で、シリーズ3本に共通して入れ込んでいる要素といったものはありますか?

A:3本に共通している点は、「刑事と泥棒」もの、ということですね。”落下”のイメージは、そうですね、どれもそれで”エンド”に向かう、ということでしょうか。それも、”栄光のエンド”というイメージで、物語の収束を象徴するシーンになっています。今回の『3』、つまり『チェイス!』では特に、観ている側も”落下”を体験できるようなシーンにしました。映像的にもコンセプト的にも、印象に残るシーンになっているのではないかと思います。


Q:『チェイス!』は一つの頂点に立った、という感じの作品ですが、この後はさらに『Dhoom:4』の企画があるのでしょうか? それとも、まったく別の作品を作ってみたい、と考えてらっしゃいますか?

A:『Dhoom』の側からすると、いっぱい期待はされています。もちろん、続けてシリーズを作りたいとは思っているのですが、今すぐにとは考えていません。当面は、何か別の作品を1、2本作って、それから『Dhoom』に戻ってきたいと考えています。

Q:『恋する輪廻 オーム・シャンティ・オーム』(2007)の中では、映画賞のシーンでアビシェーク・バッチャンが『Dhoom:5』でノミネートされていましたからね。『5』まではお作りにならないと。

A:あっはっはっは。そうだね、あなたの言う通りだ(笑)。次のタイトルは『Dhoom:5』にしようかな(笑)。


黒澤明監督と共に、三池崇史監督、北野武監督が大好きだというヴィジャイ・クリシュナ・アーチャールヤ監督。この日、以前試写を見てキープしていた三池崇史監督作品『一命』(2011)のプレスを差し上げたら、とても喜んで下さいました。通訳を担当して下さった藤井美佳さん(『チェイス!』の字幕翻訳者)に後日聞いたところによると、「神様のようにいい方だった」というアーチャールヤ監督。これからどんな作品を撮っていってくれるか、とても楽しみです。

なお、アーミル・カーンのインタビューは、『チェイス!』公開日発売の「キネマ旬報」に掲載されています。こちらも併せてご覧下さい。 


『ヒーロー・ネバー・ダイ』が甦った!

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久々に見ました、杜[王其]峰(ジョニー・トー)監督の傑作『ヒーロー・ネバー・ダイ』。1998年の作品です。日本公開は1999年なので、15年ほど前に見たのですね。劉青雲(ラウ・チンワン)が「ええ~っ!」な役の上、それが効いてくるラストが強烈なのと、いつもはその演技をあまり評価できない黎明(レオン・ライ)の演技がすごかったのとで、強く印象に残っている作品です。その『ヒーロー・ネバー・ダイ』がこのたびHDリマスター版として甦り、明年1月9日にブルーレイ発売されるのを機に、スクリーンでの上映が実現しました。

まずは基本データをどうぞ。今回は画像をたくさんご提供いただいたため、ふんだんに使用しています。クレジットをいちいち入れるのが面倒なので、ここにまとめてクレジットを記しておきます。

クレジット(C)1998 Film City(Hong Kong)Ltd. All Rights Reserved

『ヒーロー・ネバー・ダイ』 劇場特設サイト

1998/香港/広東語・タイ語/147分/原題:眞心英雄
 監督・製作:杜[王其]峰(ジョニー・トー)
 主演:黎明(レオン・ライ)、劉青雲(ラウ・チンワン)、梁藝齢(フィオナ・リョン)、蒙嘉慧(ヨーヨー・モン)、林雪(ラム・シュッ)、王天林(ウォン・ティンラム)


 配給:アクセスエー
 宣伝:フリーマンオフィス


※12月6日(土)よりシネマート六本木にてHDリマスター版 特別リバイバル公開

※なお、この上映を記念して、初日12月6日(土)に豪華ゲストによるトークイベントが開催されます。宣伝、間に合うでしょうか?
 日時:12月6日(土) 10:50~の回、上映終了後
 料金:1500円均一
 ゲスト(予定):宇田川幸洋さん(映画評論家)
         松江哲明さん(映画監督)

 

映画では、まず香港のパブ「サキソフォン」が写り、そのボトルキープ棚にあるワインがアップになります。そこには、「Jack哥/秋哥(ジャック&チャウ)」と書いた札が下げられていました。


そして物語は、タイの片田舎へと移ります。ジャック(レオン・ライ)のボス皮哥(ベイ/任世官)が、信奉する導師の所に、どうすればいいのかという予言をもらいに来たのです。皮哥は対立する組織のボス追哥(チョイ/方平)と、1年前から縄張り争いを繰り広げていました。ジャックはボスの優柔不断な態度にうんざりしながらも、他の手下(ラム・シュッら)と共に彼を守ることに心を傾けます。


タイに来る直前にも、地元香港で両組織はぶつかり合っていました。皮哥にジャックがいるように、追哥側にも凄腕のスナイパーであるチャウ(ラウ・チンワン)がいました。ある夜撃ち合いとなった時、チャウはライフルでジャックを狙っていたのですが、ジャックの方に理があると思ったのか、引き金を引きませんでした。


その後、ジャックはチャウのねぐらを襲い、メチャクチャにします。チャウは裏社会をよく知る肥仔(フェイ/ウォン・ティンラム)を介してジャックに文句を言い、ジャックもフェイを介して...と毒舌合戦が繰り広げられます。疲れ果てたフェイは、「いっそ実際に顔を合わせたらどうだ」と提案。2人はパブ「サキソフォン」で会うことになりました。ワイン好きの2人は、それぞれにワインのボトルを抱えていました。


「スキヤキ・ソング」が流れる中、子供っぽい実力ひけらかし遊びに夢中になる2人。 やがてお互いに恋人を呼びつけ、ワインを持ってこさせた2人は、残った1本を店にキープさせたというわけなのでした。マスターはそれに「Jack哥/秋哥」という名札を付けて、キープ棚の目立つ所に飾りました。その後ジャックは、導師の予言に頼ろうとするボスの皮哥に従って、タイに赴くことになったのです。


皮哥らを追い、チャウ、そして追哥もやって来ます。彼らは皮哥やジャックの隠れ家を襲い、両者は激しい銃撃戦となります。その中で、ジャックもチャウも大怪我を負い、バンコクの病院に入院することに。香港からは2人の恋人が看病に駆けつけますが、ジャックは意識不明の重体、一方チャウは銃弾のために両脚の膝から下を切断せざるを得なくなってしまいました。ところが、2人のボスは両方とも知らん顔。それどころか、追哥と手打ちをした皮哥は、邪魔なジャックを始末しようとします....。


一方、チャウもタイに打ち捨てられ、すっかり無気力に。恋人の尽力でやっと香港に戻ってきたチャウでしたが、車椅子に乗った彼からは昔の覇気がまったく感じられませんでした。手を結んだボスたちは大きなナイトクラブの経営に乗り出し、チャウのことなど見向きもしません。チャウはどうなるのか、そしてタイに残されたジャックは....。


まず、ジャックとチャウのキャラクターがいずれも魅力的で、ぐいぐいと引き込まれていきます。沈着冷静なジャックと、押しの強いチャウが繰り広げるパブでの対戦シーンは、『ザ・ミッション 非情の掟』(1999)の紙ボール・サッカーシーンに匹敵する面白さ。ジョニー・トー監督のフィルモグラフィーを見てみると、この『ヒーロー・ネバー・ダイ』から本格的なノワール作品系列が始まるのですが、『ザ・ミッション 非情の掟』はじめ後の数々の作品で花開く芽が本作の中にはいくつも潜んでいるように思われます。


また、ラウ・チンワンとは本作の前の『ファイヤーライン』(1999)こと「十萬火急」や、本作に続く『暗戦 デッドエンド』(1999)等何本もの作品でタッグを組むことになりますが、レオン・ライとの作品はこれ1本のみ、という点でも貴重です。レオン・ライは長所をうまく引き出され、『仙人掌』(1994)や『天使の涙』(1995)を彷彿させる殺し屋キャラのほか、バンコクで暮らすシーンでは『ラヴソング』(1996)を思い出させる描写もあって、徹頭徹尾チャーミングです。


さらに、ジャックとチャウの恋人たちにも出番が用意され、「極道の女たち」の姿がくっきりと描かれています。実に巧みで緻密な、司徒錦源(セット・カムイェン)と游乃海(ヤウ・ナイホイ)の脚本です。


今回見直してみて、思わぬツッコミどころに気づかされたり、芸の細かい所に感心したりと、15年前とはまた違った楽しさを味わいました。すでにご覧になっていらっしゃる方も、ぜひ劇場で、あるいはブルーレイの綺麗な画面で、ジョニー・トーの世界をご堪能下さい。ジョニー・トーもラウ・チンワンも、油が乗り始めていた時期の勢いがほとばしる秀作です。

 

(加速するラウ・チンワン!)

 

アフガニスタンのブルース・リー

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大ネタがなかなか完成せず、ふっと息抜きにサーフィンした時に見つけた小ネタです。


アフガニスタンの20歳の青年が、ブルース・リーにそっくりというので今世界中で話題になっているようです。名前は、アッバース・アリーザーダ(Abbas Alizada)。原語表記を見ると「アリーザーデ」とも読めるんですが、ローマナイズに従って「アッバース・アリーザーダ」さんとしておきます。最初に発見したのは、Yahoo!Indiaのこちらの記事。そして、こちらの記事では動画を見ることが出来ます。さすが、身体能力高いですねー。


彼のFBが「Bruce Hazara」というタイトルらしいので、ハザーラ族なのかも知れません。カーブル在住とのことで、アフガニスタンでアクション映画が撮れそうなんですが、インド映画人の皆様、アフガニスタンまで出張ってお作りになりませんか? 本人はハリウッド・スター希望らしいものの、ハリウッドに取られるのはもったいないです。君よ、ボリウッドの星になれ!


「アフガニスタンからのニュースと言えば戦争のことばかり。僕の話が明るい話題になってくれると嬉しいです」というアッバース・アリーザーダさん。ブルース・リー作品の日本版パンフの表紙を付けておきますから、がんばって修業に励んで下さい! 

 

東京フィルメックス追加報告

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10日前に終わってしまった東京フィルメックス。とっくの昔に受賞結果も発表されていますが、ご紹介できなかった3本の作品を追加でアップしたいと思います。

『プレジデント』 予告編

The President/グルジア、フランス、UK、ドイツ/2014年/119 分
 監督:モフセン・マフマルバフ
 主演:ミシャ・ゴミアシュウィリ、ダチ・オルウェラシュウィリ、ラ・スキタシュウィリ


モフセン・マフマルバフ監督にとって久しぶりの劇映画ですが、寓意と人間の強靱さに満ちた素晴らしい作品となりました。フィルメックスでの上映時には、「マフマルバフの最高傑作」という声も聞こえたほどです。

撮影は全編グルジアで行われ、言語はグルジア語。しかしながら、舞台は年老いた独裁者が治める架空の国、ということになっています。その老独裁者が7人のテロリストに対する死刑執行書類に署名し、街の灯りの点滅を命じて孫息子に自分の力を誇示していると、突然爆発音が響き反政府暴動が勃発します。次の日独裁者の妻子は国外へと脱出しますが、独裁者は事態を楽観視し、幼いガールフレンドに未練がある孫息子と共に国にとどまることにします。ところが妻子を見送った空港からの帰途、早くも車は反政府暴動に巻き込まれて立ち往生。SPを殺された独裁者と孫息子は、そのまま逃亡を余儀なくされてしまいます....。

この逃亡劇が見もので、独裁者の老人が思いがけないサバイバル能力を次々と発揮、わがまま言い放題の孫息子をなだめたりすかしたりしながら、旅芸人に化けて数々の危機をくぐり抜けていきます。その途中で、自分が死刑にしようとした人たちが帰郷するのに同道する羽目になってしまい、苦い現実に向き合わされるなど、「独裁者は悪」が描かれてはいるのですが、それと共にこの独裁者になってしまった男の人間性もまたにじみ出てくる仕掛けです。独裁者役の老俳優と、孫息子役の子役の演技も素晴らしく、映画を見る醍醐味を味わわせてくれました。配給会社が付いたとのことなので、来年公開されるのではないかと思います。

 

『数立方メートルの愛』 予告編 

A Few Cubic Meters of Love/原題:Chand Metr Mookaabe Eshgh/イラン、アフガニスタン/2014年/90 分
 監督:ジャムシド・マームディ
 主演:サイド・ソヘイリ、ハッシバ・エブラヒミ、ナデル・ファッラー


テヘラン郊外の小さな工場が物語の舞台となります。その地区はかつてアフガン難民が暮らしていたコロニーで、今も残されたバラックに不法滞在のアフガン難民たちが何家族か住んでいました。

工場主はもちろんイラン人ですが、アフガン難民たちを秘かに工場で雇い、低賃金で働かせています。工場で彼らと働くイラン人青年サベルは、アフガン難民の娘マロナと恋仲になり、昼休みに隣の敷地に置かれている荷物コンテナの中で会ったりしていました。しかしながら元軍人であるマロナの父は厳しい人で、また伝統を守る保守的なアフガン人でもあることから、恋に落ちた2人の仲を認めてもらうことなど不可能でした。

アフガン難民たちは、警察の取り締まりがあると下水道に逃げ込んで隠れ、警官が去るとまた働くことを繰り返していたのですが、ある時それがバレて全員が捕まり、アフガニスタンに送還されることになります。あせったサベルはとにかくマロナと結婚しなくては、と工場主に打ち明け、彼がマロナの父に結婚申し込みをしてくれることになりました。ところが結婚話を聞いたマロナの父は激昂し、2人を引き裂こうとします。結婚の取り決めより前に2人が恋に落ちるなど、父親にとってはみだらこの上もないことで、到底許すことはできなかったのでした。送還の時が迫り、別れに涙する2人。そこにさらなる悲劇が襲います....。


最初、若い2人のベタベタぶりにちょっと鼻白んでいたら、後半は引き裂かれる2人が今度はベソベソ泣き出し、「えーい、泣いてないで何とかしなさい!」とちょっとイライラ。しかしながら、主人公の青年がやっと「何とかした」と思ったら、これが思いもかけぬハズレ選択で、アフガニスタンの伝統文化を理解していなかった私も青年と同様の衝撃を受けました。こんな作品を作ったのは、アフガニスタンの首都カーブルの北にあるパルワーン州に生まれたジャムシド・マームディ(正しくはジャムシード・マハムーディー?)監督(上写真)。1983年生まれという若い監督です。


上映終了後、フィルメックスの林加奈子ディレクターの司会で、ジャムシド・マームディ監督と、プロデューサーのナウィド・マームディさんが登壇し、Q&Aが行われました。通訳は、イラン映画でお馴染みのショーレ・ゴルパリアンさんです。実はプロデューサーのナウィド・マームディさんは監督のお兄さん。2人は幼い頃に両親と共にアフガニスタンからパキスタンに移り住み、さらにイランに移住してそこで教育を受け、今日に至っています。


林ディレクター:お二人は兄弟でいらっしゃいます。まず、プロデューサーのナウィドさんから、この映画を作られたきっかけについてお話いただけますか。

プロデューサー:日本の皆さんに見ていただけて嬉しいです。自分は300回ぐらいこの映画を見ています。監督は見たくないというので、僕が代わりに見ているわけです。自分たちは国を出てから22年経って、やっとアフガニスタンに行くことができました。その時にある記事で、「コンテナの中で男女が死んでいた」というニュースを読んだのです。それがきっかけになって、この物語が出来ました。


林ディレクター:監督のジャムシドさんにおうかがいします。出演者の方は皆さんプロの方ですか? 

監督:映画祭に招いて下さって光栄です。あともう一つ、大きなプレゼントをいただきました。それは、アミール・ナデリ監督とお会いできたことです。いろんなお話もできて、まるで夢のようです。このフィルメックスという映画祭は、スタッフも観客も心を込めて映画を見ていて、感動的です。
出演者ですが、イラン人役の人はみんなプロです。ただし、演劇畑の役者や、あまり映画に出ていない人を起用しました。マロナの父親役を演じたのも、舞台の役者です。彼はイラン人ですが、しぐさもそして言葉の訛りも完璧にアフガン人になっていて、誰が見てもアフガン人だと思うはずです。
マロナを演じたのは花売りをしていた少女で、ストリートチルドレンだったアフガン人です。もちろん演技をするのは初めてです。他のアフガン人も、実際にああいう形で働いていた人々です。彼らの1日分のサラリーを払って、同じ仕事をやってもらいました。この、プロの俳優と素人の人とを一緒にする、というのが一番難しかったです。それがうまく行ったかどうかは、皆さんのご判断にお任せします。

 マロナ役の彼女は不法滞在者でしたが、イランの映画祭で主演女優賞を受賞しました。でも、パスポートがそのままだったので、今はアフガニスタンに送還されてしまっています。


ここで、会場からの質問に移りました。


Q:私は夫がアフガニスタン人で、結末を見てショックを受けました。どうしてこういう悲しいお話を作ろうとなさったのでしょうか。フィクションの中だけでも楽しいアフガン人を見ていたい、と私などは思うのですが、楽しいお話を作られる予定は?

監督:アフガン人は難民としてたくさん苦労しています。私たちも苦労していますので、このデビュー作ではとにかく1回だけでも、自分たちの心にしまっていたものを吐き出してしまいたかったのです。


Q:すごくいい映画でした。最後ですが、これとは違うエンド、ハッピーエンドは考えていなかったのでしょうか?

監督;希望を持たせるエンディングは考えていませんでした。さっき兄が言ったような話がきっかけでしたし。


プロデューサー:この映画はラブストーリーですが、我々の出身地アフガニスタンでは伝統というものが大事になります。ですから、自由恋愛は許されません。でも、ここに描かれたマロナやサベルのような人はたくさんいます。そういう恋を殺してはいけない、というのが映画のメッセージなので、ハッピーエンドはありえなかったのです。

Q:結末を最初に予感させるような形、つまり、2人のささやきを入れるとか、そういう形にはできなかったのでしょうか。あまりに唐突な悲劇がラストに来たので。

監督:私が映画を見る時は、いつでもハッと息が止まるような一瞬を探しています。この映画もそうで、ラストに至る以前からいろんなサインを出してあります。コンテナが古ぼけているとか、その敷地のガードマンは耳が遠いとか、そういったサインが潜ませてあります。それがキャッチできなかったのかも知れませんね。

林ディレクター:そうですね、緻密な伏線が張り巡らされている作品です。


Q:マロナの父親は「故国にいれば敬意を払ってもらえるのに」と言いますし、マロナも「父が恥をかかないように」と心配します。父と娘の間の深い情愛が見て取れますが、途中で父親がマロナのためにお香をたいてやったり、お腹が痛い彼女に温石をあげたりする場面もありますね。

監督:マロナの父はもと軍人です。とても誇り高い人で、自分の今の状況に対して怒りを持っていおり、それを沈黙することで表しています。ですから、必要最小限しかしゃべりません。でも、娘に対しては母親の役割も担っています。
イスラーム教では、女性は生理の時にはお祈りができません。でも、マロナはお父さんに見えないようにして、お祈りをしています。それをお父さんは知っていながら、黙っている。そして、お腹が痛い娘のために、温石を与えるのです。
お香をたくのは、娘の美しさのゆえです。美しいものに対しては、邪悪な眼差し、つまり邪視が生じる。それを払うためにお香を焚くのです。この父親も、寝ている娘の美しさを見て、お香を焚いたわけです。


Q:私は、この映画はある意味でハッピーエンドだと思いました。2人はずっと一緒にいられるわけですから。映画の主人公たちは閉じこめられてしまいますが、実際にイラン人とアフガン人が恋に落ちた時、どうなってしまうのでしょうか。駆け落ちをすることになるのか、それとも引き離されてしまうのか。

監督:それはプロデューサーから話してもらいましょう。兄のナウィドはアフガン人ですが、妻はイラン人なのです。

プロデューサー:私たち映画を作った側も、エンディングは暗いとは思いません。ハッピーエンドだと思います。2人は結ばれたわけで、たとえ何日かしか生きられなかったかも知れないけれど、愛の花が開いたということですよね。
私の妻はイラン人ですが、国籍が違うのでいろいろ書類を出さないといけなかった、というぐらいがイラン人同士の結婚とは違っていた点です。でも、それはどこの国でも同じですよね。
この映画で言いたかったのは、恋というものは国境を知らない、ということです。相手のことをいろいろ考える前に恋に落ちてしまう。それが本当の恋だ、ということを言いたかったのです。

監督:逆に皆さんに質問したいのですが、なぜ日本の人はハッピーエンドではないということを気にするのですか? 私はフィルメックスで日本映画もたくさん見ているのですが、日本映画だと冒頭から残酷なことや悲劇も起きるのに、私たちの作品は幸せなシーンで始まります。最後に悲劇がやっては来ますが、暗い映画だとは全然思いません。自分の映画は暗くない、ということを確認するために、私は日本映画を見続けています(笑)。

林ディレクター:ありがとうございました。では最後に監督、何かありましたら。


監督:この映画はアフガニスタン代表作品として、アカデミー賞に出て行っています。外国語映画賞の候補になるよう、皆さんでお祈りして下さい。

会場の外では、この回もサインを求める人が続出。そこに、アミール・ナデリ監督、そして『プリンス』の マームード・ベーラズニア監督も姿を現し、監督とプロデューサーは大喜び。ベーラズニア監督は早速カメラを回しており、次作のドキュメンタリー映画にこのシーンが登場する日も近いかも知れません。

 

『クロコダイル』 予告編1 予告編2

Crocodile /原題:Bwaya/フィリピン/2014年/88 分
 監督:フランシス・セイビヤー・パション
 主演:アンジェリ・バヤニ


『イロイロ ぬくもりの記憶』でメイドを演じたアンジェリ・バヤニが主演する作品で、実際にあった出来事をベースにしています。舞台はフィリピンの南部に位置するミンダナオ島の南アグサン州。水上に家を構えて、漁で生計を立てている一家が主人公です。一家には長女ロウィナのほか、5人の子供がいます。ロウィナは間もなく学校を卒業する、しっかり者の女の子。ですがある日、友だちと一緒に船で下校する途中ワニに襲われ、友人の女の子はそばにいた船に助けられたものの、ロウィナは行方不明となってしまいます。彼女を捜す両親と村の人々。しかし、ある日ロウィナは遺体となって発見されるのでした....。

お話自体もリアルに描かれるのですが、その合間合間に、実際にワニに襲われて亡くなった女の子の両親が登場して語ったり、遺体が掘り起こされてまた埋葬されるシーンなどが挿入されます。いわばドキュドラマで、その両者の融合に違和感があり、物語にうまく入り込めませんでした。結局この『クロコダイル』が本年のフィルメックスの最優秀作品賞を獲ることになるのですが、私にとっては『ディーブ』のような作品の方が魅力的だったので、ちょっとがっかり。まあ、いつもフィルメックスの賞当てレースはほぼハズレな私なのですが。


11月28日の最終回の上映で見たのですが、何と終了後にゲストによるQ&Aがあり、終了したのが午後11時半頃。登壇者は監督のフランシス・セイビヤー・パション、女優のアンジェリ・バヤニ、そして教師役で出演もしているプロデューサーのR.S.フランシスコの3人。


アンジェリ・バヤニは夜遅いためか眠そうで、ちょっと気の毒でした。お話をまとめてみると、この実際に起こった事件は2006年の出来事だそうで、ロケもその現場、ミンダナオ島の南アグサンで行われたとか。アンジェリ・バヤニは泳げないそうで、水上での撮影という挑戦と、この地方の方言をものにする、という挑戦を余儀なくされたそうです。


劇中ではラスト近くに大きなワニが登場するのですが、あれは本物ではないそうで、偽物を3つのパートに分けて撮影に使ったのだとか。原題の「Bwaya」には「ワニ」と共に「政治家」という意味もあるそうで、「今度Bwayaの映画を撮る」と監督から聞いたプロデューサーは、「ははーん、フィリピン政界の話を撮るのか」と思ったそう。また、監督は2作目を撮り終わった時に霊媒師から、「アグサン地方が見える」と言われ、それではとアグサン地方に行ってみたら、「幼い女の子がワニに殺された」という話を聞くことになって、それが映画に結実したそうです。


質問者の中には、「日本人はワニ映画が大好きなので、今日は一番感動した」と言う人もあり、遅い時間にもかかわらず熱気むんむん。通訳の方が慣れていないのか不備な点が多く残念でしたが、時々司会の市山尚三プログラム・ディレクターがフォローを入れて下さり、助かりました。

では、12月13日(土)より公開されるアンジェリ・バヤニさん主演の『イロイロ ぬくもりの記憶』(公式サイトはこちら)のヒットも祈りつつ、大変遅ればせながらのフィルメックス追加報告を終わります。

 



Happy Birthday Superstar! ラジニカーント最新作上映会のお知らせ

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本日12月12日は、インド映画界の「スーパースター」ラジニカーントのお誕生日。インド本国、特にタミルナードゥ州の各地では、ラジニカーント・ファンクラブを中心に盛大なお祝い行事が行われていることと思います。そのお祝い行事の目玉となるのが、本日より公開されるラジニカーント主演映画『リンガ』。『ロボット』(2010)以来久々の実写主演映画、監督は『ムトゥ 踊るマハラジャ』(1995)や『パダヤッパ』(1999)のK.S.ラヴィクマール、ラジニは二役を演じ、ヒロイン役もアヌシュカ・シェーッティー(『神さまがくれた娘』の弁護士役)とソーナークシー・シンハー(『ダバング 大胆不敵』)のダブル・ヒロインと、公開前から話題沸騰の大ヒット確実作品です。

この『リンガ』が早くも日本で上映されることになりました。マラヤーラム語映画の上映会を行っているセルロイド・ジャパンが上映権をゲット、12月21日(日)に川口のSKIPシティで英語字幕付きタミル語版が上映されます。さらには、テルグ語映画上映会を行っているインディアン・パノラマ・イン・ジャパンもテルグ語版の上映権を獲得し、12月20日(土)に上映会を行う予定です。まずは、タミル語版上映の情報をお伝えしましょう。今回も、情報をお寄せ下さったのはPeriploさんです。

 

『リンガ』 予告編 
(2014/タミル語/178分/原題:Lingaa/英語字幕付き)
 監督:K.S.ラヴィクマール
 主演:ラジニカーント、アヌシュカ・シェーッティー、ソーナークシー・シンハー、サンタナム
■日時:2014年12月21日(日) 午後1時~
■会場:埼玉県川口市、SKIPシティ・彩の国Visual Plaza
■料金:大人3,000円(振込みによる前払いの場合2,500円)、5-15歳の子供1,000円
■主催者公式FB(英語)
Periploさんの詳しいご紹介ページ。予約方法などもこちらでどうぞ。


予告編を見ると、イギリス統治時代と現代とにまたがるようなのですが、ラジニの二役は祖父と孫息子とかでしょうか。WikiのLingaaには、役名がラージャー・リンゲーシュワランとあったので、タイトルはその名前からのようです。どんな物語か、楽しみですね。あ、音楽はもちろん、A.R.ラフマーンです。


在日インド人の方の予約が殺到するのではと思われますので、ご予約はどうぞお早めに。なお、20日(土)のテルグ語版の上映会はまだ詳細が決まっていませんので、主催者のサイトをチェックしてみて下さい。こちらのIndoeiga.com、またはFBを毎日チェックなさってみて下さいね。


ところで、ラジニSirはいくつになられたのかって? は~い、1950年のお生まれなので、64歳でございます~。Happy Happy Birthday, Our Superstar!! 

<追加情報!> 

今、Periploさんからご連絡が入り、21日(日)午後1時~の上映は早くも満員に達したそうです。さすが、ラジニSir! で、主催者側は追加上映を決定。同日に同じくSKIPシティで、午後5時15分~上映とのことです。午後1時~&午後5時15分~の上映は、両回ともインターバルが入るそうで、午後5時15分~の上映は終了予定が午後8時45分前後とか。さあ、ご覧になりたい方はすぐに追加上映を予約しましょう。詳しくは、こちらのサイトをどうぞ。

なお、Periploさん情報によると、20日(土)のテルグ語版上映は、劇場確保の困難により実現の可能性が薄い、とのことです。どうしてもご覧になりたい方は、決定している21日(日)の上映をトライして下さいね。


すごいぞ!台湾映画<1>『天空からの招待状』

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12月、1月と続けて、台湾映画の力作が公開されます。しかも、ジャンルの全く違う2本です。1本は雄大なドキュメンタリー映画『天空からの招待状』、もう1本は近代史のドラマチックな1ページを描く劇映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』。この2本を見れば、今の台湾映画のすごさがわかる快作でもあります。まず今回は、1週間後に公開される『天空からの招待状』をご紹介しましょう。

 

『天空からの招待状』 公式サイト 

2013/台湾/日本語ナレーション(または)中国語ナレーション・日本語字幕/93分/原題:看見台湾
 製作:侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
 監督:齊柏林(チー・ポーリン)
 日本語版ナレーション:西島秀俊
 中国語版ナレーション:呉念真(ウー・ニェンジェン)
 提供・配給:アクセスエー、シネマハイブリッドジャパン
 配給協力&宣伝:フリーストーンプロダクションズ

※12月20日(土)よりシネマート新宿、シネマート六本木、シネマート心斎橋ほか全国順次ロードショー

台湾を上空から撮った映像がぎっしり詰まった作品です。監督のチー・ポーリンは、1990年代に台湾政府の「國道新建工程局」に勤務していた国家公務員で、航空写真を撮ることが業務でした。20年以上にわたる撮影期間中に、彼は自分の愛する台湾が徐々に姿を変えていっていることに気づかされます。そして、講演会などでそれを訴えていたそうなのですが、今一つ人々の胸に響かないことに気づき、それなら自分が目にしたものを見せるのが一番いい、とこの映画の製作を思い立ったそうです。企画から監督・撮影・編集すべてを1人でこなし、3億3,500万という製作費をかけて作り上げた本作は、ドキュメンタリー映画としては台湾で異例のヒットとなりました。また、香港その他諸外国でも上映され、その美しい映像と、郷土愛、未来への警鐘というメッセージに多くの人が心を動かされることになったのです。

(C)Taiwan Aerial Imaging, Inc.

実は私も、この夏香港の映画館で最初に見ました。その時の記事はこちらですが、見に行ったきっかけは「ナレーション:呉念真」という情報。呉念真はご承知のように、侯孝賢監督作品『悲情城市』(1989)等の脚本家でもあり、また自身も『多桑/父さん』(1994)など3本の劇映画の監督もしているほか、俳優としては『祝宴!シェフ』(2013)等に出演、さらに作家でもあるというマルチな文化人なのです。あの渋い声が聞きたい!と映画館に飛んでいったのですが、画面の映像の迫力に圧倒されることになりました。

特に前半の、海、山、森、川、田畑などが次々と登場する場面には息を呑まされます。ナレーションもほとんどなく、ひたすらに芸術作品のような自然と人間の営みの図を見つめ続ける約30分。香港での上映はテロップが一切入っていなかったのですが、日本公開版では台湾での上映版に準じて、一部の景観に場所の説明が入っています。その美しい場面のうち、いくつかをスチールでご覧下さい。

 

雪山山脈(台湾の背骨のような山脈)(C)Taiwan Aerial Imaging, Inc.


大尖山(墾丁)(C)Taiwan Aerial Imaging, Inc.


三仙台(台東)(C)Taiwan Aerial Imaging, Inc 

30分を過ぎるとナレーションが多くなり、やがて台湾の様々な問題点も上空から捉えられていきます。中国語版では呉念真の塩辛声が苦い現実を伝えてくれるのですが、日本語版では西島秀俊の軽やかなナレーションが、空中浮揚感を損なわずに観客に現実を伝えてくれます。私はどちらかと言うと呉念真のアマチュアっぽいナレーションが好みですが、全体としては西島秀俊の声の方がこの麗しいドキュメンタリーには向いているかも。劇場では、どちらも上映されるそうですので、ぜひ聞き比べてみて下さい。

 

花蓮の清水断崖(C)Taiwan Aerial Imaging, Inc 

あと、素晴らしいのはBGM。『セデック・バレ』(2011)に主演したタイヤル族出身林慶台(リン・チンタイ)の歌声を始め、映画の世界をさらに広げてくれる音楽が配されていて、映像と共に音楽にも酔えるようになっています。音楽監督は、『セデック・バレ』でも音楽を担当したシンガポール出身の作曲家何國杰(リッキー・ホー)。リッキー・ホー、前々から気になっていたのですが、どうやら『異域』(1990)の作曲家と同一人物のようです。当時は中華圏ポップスの人気作曲家だったのですが、Ricky Ho とローマナイズ表記で活躍していたため、いまひとつ特定できなかったのでした。プレスのフィルモグラフィーには、『中國龍(チャイナ・ドラゴン)』(1995)やアニメ作品『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー スーシン』(1997)は挙がっているのですが、『異域』はなく、IMDbで確認したもののまだ確信がありません。どなたかご存じでしたら教えて下さいね。

関渡平原(C)Taiwan Aerial Imaging, Inc 

この美しい映像は、やはり大画面で見るのが一番。中盤以降に登場する水害等の自然災害や、開発による傷痕、公害やゴミ問題などの描写には胸が鋭く痛みますが、それも高所から見た映像が持つ説得力ゆえと言えます。ラストのパートでは、有機農業を推進した頼青松の言葉が引用され、各地の人々が登場します。時にはかなり低空での撮影もあって、それまでの近寄りがたいまでの美しさとは少し趣を異にした、親しみやすい台湾の姿が立ち現れます。

日本統治時代「新高山」と呼ばれた玉山で歌う原住民の人々

(C)Taiwan Aerial Imaging, Inc

私は以前にも書いたように高架鉄道が大好きなのですが、それは高所からの景観が得られるから。その視点をさらに引き上げてくれたのがこの『天空からの招待状』で、鳥か、あるいは大げさに言えば神になった気分でこの大地を見ることができます。台湾好きの方はもちろん、台湾はよく知らないわ、という方も、一度は体験しておいて損のない空中散歩映像です。年末年始のお休みに、ぜひ足をお運び下さい。きっと、台湾に行きたくなりますよ。

<追加情報>

2015年の旧正月元旦は、2月19日(木)となります。この前後の台湾旅行はちょっと大変かも。なお、元宵節は3月5日(木)となりますので、ランタン・フェスティバルはこの日が中心です。巨大なはりぼての中に光が入ったランタンがいっぱい展示されたり、パレードがあったり、空中にランタンを飛ばし上げる行事があったりと、とても楽しい季節です。私もまた行きたいです~。



『ミルカ』萌え~その2:ミルカとシク教

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先日、『ミルカ』の公開日が来年の1月30日(金)と決まりました。公開まであと1ヶ月半、ますます萌えなきゃ、というところです。

(C)2013 Viacom18 Media Pvt. Ltd & Rakeysh Omprakash Mehra Pictures

先日もお会いした高名な映画評論家の方が、『ミルカ』の試写を見た、と言って大絶賛のコメントを聞かせて下さいました。映画の中で、1947年のインド・パキスタン分離独立によりパキスタン領となった故郷の村をミルカが去って十数年後、ミルカが再訪するシーンがあるのですが、そのシーンが感動的だったとのこと。そこに出てきた友人とのエピソードを、「あれは本当にあった話なの?」と聞かれて困ってしまった私。これはいかん、と早速Amazonでミルカ・シンの自伝"The Race of My Life"を注文しました。字幕の仕事をやった時に注文しなくちゃと思いつつ、その後の忙しさでつい忘れていたのです。アメリカの書店から送られて来るのですが、公開に間に合うかなあ....。

字幕と言えば、『チェイス!』のパンフレットをお買いになった方は、最後のページに『ミルカ』の宣伝が出ているのに気がつかれたことと思います。そこに「字幕:藤井美佳」とあるのですが、それは間違いです。これは、その右側ページにある『チェイス!』のクレジットに入るべきものが間違って入ってしまったもので、元はと言えば校正の時に加筆をお願いした私の指示があいまいだったため、誤解されてこうなってしまったのでした。藤井美佳さんはじめ、各方面にご迷惑をおかけしたことをお詫びします。

(C)2013 Viacom18 Media Pvt. Ltd & Rakeysh Omprakash Mehra Pictures

前置きが長くなってしまいましたが、今日はミルカの宗教、シク教についてちょっと個人的な思い出を書いておきたいと思います。シク教については、公式サイトのこちらにまとめてありますのでご覧下さいね。

私は大学でヒンディー語を専攻したため、インド人の客員教授とはいろいろお話をする機会があったのですが、その先生に続いて親しく話をしたインド人は、来日していたシク教徒の青年Sさんでした。Sさんは仕事で日本に滞在中で、私の知人が営む下宿屋さんに住んでいたのです。どちらかというとショーユ顔(でいいのかしらん。つまり、濃い顔の反対)のインド人で、心優しい好青年でした。

ちょうど上の写真のようなターバンをいつも被っていたのですが、ある時、そのターバンを巻くところを見せてくれたことがあります。まず、幅90センチ程度、長さ3m程度ののりを効かせた無地の布を、対角線にひっぱるところから作業は始まります。両方の対角線で引っぱってバイアス布状態にし、それから額に当てて頭に巻いていきます。その時、プラスチックの小さな板状のものを正面に入れて巻くと、ターバンが上のように盛り上がった感じになるのです。なるほどな~、と感心しながら見ていたら、「夜寝る時はスポッとこのままはずしておいて、朝またそれを被るんだよ。数日は持つかな」と言われ、大いに納得したのでした。

(C)2013 Viacom18 Media Pvt. Ltd & Rakeysh Omprakash Mehra Pictures

『ミルカ』では、軍隊時代のコーチであるグルデーウ・シン(上写真左)もシク教徒です。 ターバン姿のツーショット、萌えますね~。

公式サイトにも書いてあるとおり、シク教徒は髪も髭ものび放題となるため、髪は「まとめて頭頂部でまげ状にする→まげの上に小さな布を被せる」(スポーツ選手などはここまででOK)、または、「まげ状にする→その上からターバンを被る」となるのですが、髭も伸びすぎるとネットで抑えたりしているのをよく見かけます。上のようにグルデーウ・シンは髭が濃いため、あるシーンではバンダナ風のもので髭を抑えて登場します(歯痛かおたふく風邪の患者みたいです)。ミルカ役のファルハーン・アクタルは自前にこだわったのか、髭がちょっと少な目ですね。

それから、髪と共に「5つのK」に入る腕輪(カラー)を2人とも右手にしています。こういう真鍮の腕輪をSさんもいつもしていました。2度目にインドに行った時には、友人と共にSさんの実家に泊めてもらい、お母さんや妹さんたち、そして弟さんにも大変お世話になりました。シク教徒の名前は、男性には「シン」(意味は「獅子」)が付き、女性には「カウル」(意味は「姫」)が付くのが一般的ですが、それを教えてもらったのもSさん宅でした。その頃、リシ・カプールとランジーターの2人が主人公を演じる『ライラーとマジュヌーン(Laila Majnu)』(1976)という映画がヒットしていたので、妹さんが「ランジーターは本当はランジーター・カウルと言って、シク教徒なのよ」と教えてくれたのです。


そんな風に、シク教徒の人たちと知り合いになったもので、1979年には陸路パキスタンに抜ける途中アムリトサルで途中下車し、シク教の総本山ゴールデン・テンプルを訪ねたのでした。この夏公開されたドキュメンタリー『聖者たちの食卓』(2011)で描かれた場所です。

訪ねたのは12月で、北インドではもうかなり寒くなっている時期でした。ゴールデン・テンプルに入るには、手と足を洗って入らないといけないのですが、足は水が貯めてある所を通ることで洗ったことになります。驚いたことに、その足洗いの水が温かいお湯だったのです! 心まで温まった瞬間で、シク教って素晴らしい、と思ってしまいました。上と下の写真は、その時撮ったものです。


そんなシク教徒ですが、ボリウッド映画の主人公には、やはりターバンと髭が邪魔をしてか、なかなかなれませんでした。パンジャービー語映画なら、結構シク教徒がヒーローの作品もあったようなのですが、ボリウッド映画では脇役的存在がほとんど。でも、悪役を演じることはまずなくて、主人公を助けるトラックの運転手(『黒いダイヤ』1979)とか、歌い踊る陽気なアパートの住人(『目を覚まして用心しろ』1956)とか、「いい人」役ばかりでした。

そして、シク教徒が主人公を演じ始めたのが21世紀になってから。まず、シク教徒の主人公を、自身もシク教徒であるサニー・デオルが演じた『ガダル 憎しみを超えた絆』(2001)が大ヒット。サニー・デオルは髪も髭もカットしていますが、彼の父親ダルメーンドルがそうであったように、髪と髭をカットしてボリウッド映画界で活躍しているシク教徒が何人かいるのです。

その後しばらく間が空きますが、2000年代後半になると、今度はシク教徒ではない俳優がシク教徒に扮する映画が次々と出現してきます。アクシャイ・クマール主演の『シンは王様(Singh Is Kinng)』(2008)や、アジャイ・デーウガン主演の『ターバン魂』(2012)は興収ベスト10に入る大ヒットとなりますし、そのほかにも、ランビール・カプール主演の『最優秀セールスマン、ロケット・シン(Rocket Singh: Salesman of the Year)』(2009)や、サルマーン・カーンがシク教徒軍人に扮した『英雄たち(Heroes)』(2008)など、ターバン・ヒーローが次々と活躍するようになったのです。『ミルカ』もその流れの中で作られた作品、と捉えることができるでしょう。

(C)2013 Viacom18 Media Pvt. Ltd & Rakeysh Omprakash Mehra Pictures

『ミルカ』の中で、ミルカや周囲の人々が被るターバンは様々です。上の写真は粋な絞り染めストライプですが、ドット柄も登場します。どんなターバンが出てくるのか、楽しみにしていて下さいね。

 

すごいぞ!台湾映画<2>『KANO-カノ- 1931海の向こうの甲子園』

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12月20日(土)から公開中の台湾映画『天空からの招待状』に続き、来年1月24日(土)に公開されるもう1本の台湾映画をご紹介しましょう。とはいえ、こちらの作品『KANO-カノ- 1931海の向こうの甲子園』(以下『KANO』と略すことにします)は、皆様すでにあちこちでそのタイトルを目にしていらっしゃることと思います。

拙ブログでも、本年3月の香港公開時に見た時に、こちらで取り上げました。また、1915年の第1回全国中等学校優勝野球大会から数えて、来年の第97回全国高校野球選手権大会(途中戦争による中断あり)は100年目に当たるため、その関連記事もあちこちに登場していますが、その中には必ずと言っていいほど『KANO』に対する言及がありました。また最近では、台湾で開催された映画賞「金馬奨」でこの映画が「観客賞」と「国際批評家連盟賞」を獲ったにもかかわらず、それ以外の賞では無冠に終わったことが「中国に配慮した」と騒がれたりしました。そんな、すでに何かと話題になっている『KANO』ですが、あらためてご紹介したいと思います。まずはデータをどうぞ。


(C)果子電影

『KANO-カノ- 1931海の向こうの甲子園』 公式サイト 

2013/台湾/日本語・中国語/93分/原題:KANO
 製作総指揮:魏徳聖(ウェイ・ダーション)
 監督:馬志翔(マー・ジーシアン)
 出演:永瀬正敏、坂井真紀、曹佑寧(ツァオ・ヨウニン)、大沢たかお

 提供:ソニー・ミュージックレーベルズ、ショウゲート、tvk、朝日新聞社、ミリカ・ミュージック
 配給:ショウゲート
 宣伝:ヨアケ

※2015年1月24日(土)より新宿バルト9他全国ロードショー

(C)果子電影

タイトルにある「KANO」とは、嘉義農林学校の略称です。嘉義は台湾の中南部にある都市ですが、「KANO」つまり「嘉農」はそこにあった公立校で、現在の国立嘉義大学の前身でもあります。

台湾と甲子園が結びつくのは、ご存じのように1931年当時、台湾が日本の植民地だったから。1894年の日清戦争で当時の中国、つまり清に勝利した日本は、台湾島を割譲させて植民地化します。以来、1945年に日本が戦争に敗れるまで、50年間にわたって台湾は日本の一部に組み込まれていました。その間台湾では教育制度が整備され、日本語教育が行われるのですが、職業教育にも力が入れられて、農業学校や工業学校、商業学校も各地に誕生したのでした。

日本の全国中等学校優勝野球大会は1915年から始まり、1924年には舞台を甲子園球場に移します。台湾で地区予選が始まったのが1923年で、1941年まで続くのですが、その間の代表校等詳しくはこちらをどうぞ。1931年に嘉農は台湾での予選で初優勝し、甲子園に出場した結果、何と優勝決定戦にまで進出してしまうのです。その快進撃の原動力は、嘉農野球部の監督となった近藤兵太郎(永瀬正敏)でした。映画は嘉農の生徒たちと近藤との出会いから、甲子園で準優勝するまでをじっくりと描いていきます。

(C)果子電影

映画では、嘉農の「農業学校」たる性格も描写されます。バナナの品種改良や、パパイヤの育成に力を注ぐ教師濱田(吉岡そんれい/上写真右)を登場させ、嘉農の生徒たちのバックボーンを形作らせるほか、嘉南平野に豊かな実りをもたらす「烏山頭(うさんとう)ダム」と用水路「嘉南大[土川](かなんたいしゅう)」を建設した八田與一(大沢たかお)まで登場、生徒たちを励ますシーンが描かれます。八田の事業は1920年から10年間にわたって続き、1930年に烏山頭ダムが完成したのですが、映画では同じ時期の出来事として描かれています。八田については、詳しくはこちらをどうぞ。


(C)果子電影

メインとなる近藤の教えは、様々な形で映画の中に登場してきます。特に有名な言葉は、「霊(たま)正からば球また正し 霊正からざれば球また正しからず」、つまり、よき野球をするためには、心も磨かなくてはならない、という教えです。基礎体力を鍛え、野球のテクニックを身につけさせると共に、この言葉を教え込んで精神も鍛える近藤の姿が映画では描かれますが、実は近藤自身もかつて松山商業の監督をしていた時に挫折を味わい、その傷を嘉農で監督をすることによって少しずつ修復していったようです。『KANO』は、嘉農の生徒たちの物語であるだけでなく、近藤監督自身の物語でもあるのです。ということで、台湾の金馬奨でも永瀬正敏が主演男優賞にノミネートされたのでしょう。

(C)果子電影

生徒たちもそれぞれ魅力的に描かれています。嘉農の中心になるのがピッチャーの呉明捷(ツァオ・ヨウニン/上写真右)で、4番バッターでもあります。演じているツァオ・ヨウニンは野球の名門輔仁大学の現役外野手だそうで、それだけに試合のシーンでも見ていて安心。また彼のベビーフェイスは観客を惹きつけること間違いなしで、実にうまいキャスティングです。嘉農野球部の劇中のラインナップと、それを演じた俳優(~以下)を書くと次のようになります。

1番 レフト 平野保郎 アミ族(本名:ポロ)~ 張弘邑(チャン・ホンイー)アミ族
2番 センター 蘇正生 漢民族~ 陳勁宏(チェン・ジンホン)
3番 ショート 上松耕一 プユマ族(本名:アジワツ)~ 鍾硯誠(ジョン・ヤンチェン)アミ族
4番 ピッチャー 呉明捷 漢民族~ 曹佑寧(ツァオ・ヨウニン)
5番 キャッチャー 東和一 アミ族(本名:ラワイ)~ 謝竣晟(シェ・ジュンチャン)アミ族
6番 サード 真山卯一 アミ族(本名:マヤウ)~ 謝竣[イ+捷の右側](シェ・ジュンジエ)アミ族、シェ・ジュンチャンの兄
7番 ファースト 小里初雄 日本人~ 大倉裕真
8番 セカンド 川原信男 日本人~ 飯田のえる
9番 ライト 福島又男 日本人~ 山室光太朗

これからもわかるように、日本人、漢民族、原住民の生徒たちが混じって学ぶ学校が嘉農であり、野球部もまた混成チームだったのです。これに対し近藤監督は、「先住民は足が速い。漢人は打撃が強い。日本人は守備に長けている。こんな理想的なチームはない」と言ったとか。今は原住民と呼ぶのが一般的な近藤監督の言葉中の「先住民」は、当時日本名を付けさせられていたために、ここでも日本名で書かれています。原住民は原住民出身の俳優によって演じられていますが、ツァオ・ヨウニン以外の俳優たちもそれぞれ個性が光っており、甲子園での試合に臨む頃には、観客それぞれに誰か肩入れしたくなる選手が出てくるに違いありません。

(C)果子電影

それからもう1人、映画の狂言回しとでも言うべき重要な役柄があります。映画の冒頭に日本軍将校として登場する錠者(じょうじゃ)博美(青木健)で、甲子園の準々決勝で嘉農に敗れた札幌商業学校の主将兼投手でした。彼は太平洋戦争で南方に送られる途中台湾を通過、嘉義で列車が停まった時に途中下車して嘉農の練習グラウンドを訪ねます。そこはまるで草野球でもやるかのような、何の設備もない粗末なグラウンドでした。そこから10年ほどさかのぼり、そのグラウンドで下手くそな野球をやる嘉農の生徒たちの姿が登場して、それに目を留める近藤兵太郎へと話が繋がっていくのです。

(C)果子電影

製作の総指揮を執ったのは、『海角七号~君想う国境の南』(2008)や『セデック・バレ』(2011)の監督ウェイ・ダーション。そして監督は、『セデック・バレ』でタイモ・ワリスを演じたマー・ジーシアン。マー・ジーシアンにとっては初の長編劇映画ですが、かっちりした作りになっているほか盛り上げ方もうまく、映画としても見る価値のある作品になっています。近藤夫人役の坂井真紀の髪型とかちょっと変なところもあるものの、セットも当時の様子をよく再現しています。あと個人的に嬉しかったのは、農夫役で游安順(ユー・アンシュン)が出演していたこと。『童年往事 時の流れ』(1985)などに主演した男優で、最近見かけなくなっていたため、久々に目にしてびっくりしました。

そんなサプライズもあった『KANO』。それにしても、日台関係の歴史にはまだまだ知らないことも多いのだなあ、と思わせられた作品でした。台湾で大ヒットし、再上映までされた『KANO』、皆さんもぜひお見逃しなく。来年1月の予定に入れておいて下さいね。


 

『フェラーリの運ぶ夢』公開日決定!

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2013年のインディアン・フィルム・フェスティバル・ジャパン(IFFJ)で上映された『フェラーリの運ぶ夢』(2012/原題:Ferrari Ki Sawari)。今年のIFFJでは、映画祭上映作品の前に『フェラーリの運ぶ夢』の予告編が上映されて、来年の春公開となることを告げていましたが、このほど初日と劇場が決まりました。2015年2月21日(土)より、イオンシネマ市川妙典で公開されます。IFFJの方からチラシ画像をご提供いただきましたので、ここに貼り付けておきます。

心温まる親子三代のファミリー・ドラマですが、味付けに使われているのはクリケット。元クリケット選手ながら、わけあってクリケットを捨てた祖父(ボーマン・イラニ)、クリケットの才能を見出され、海外キャンプに参加を望んでいる孫息子、そして、息子の夢を叶えてやりたい律儀者の父(シャルマン・ジョシ)、という男ばかりの家族3人が主人公で、海外キャンプの費用を捻出する手段として、有名なクリケット選手サチン・テーンドゥルカルのフェラーリが登場してきます。結婚式のパレードにフェラーリを使いたい、という金持ちの希望を叶えると大金が手に入ると知った父が、フェラーリを借りようとサチン邸に赴くのですが....というところから、ストーリーが転がり始めます。

あと、話題なのは、『きっと、うまくいく』(2009)の関係者たちが作り上げた作品であること。監督のラジェシュ・マブスカルは、『きっと、うまくいく』等でラージクマール・ヒラニ監督の助監督を務めた人で、製作は『きっと、うまくいく』と同じくヴィドゥ・ヴィノード・チョプラ。さらに出演は、ラージュー役のシャルマン・ジョシに学長役のボーマン・イラニと、『きっと、うまくいく』に近い雰囲気を持った作品となっています。詳しいご紹介はまた後日、スチール等をいただいたうえですることにして、まずは第一報をお知らせしました。すでに公式サイトができていますので、予告編はこちらでどうぞ。

実は公開初日の2月21日(土)は、『女神は二度微笑む』がユーロスペースで公開される初日でもあります。ややこしいことに、『女神は二度微笑む』の主演女優ヴィディヤー・バーランは、『フェラーリの運ぶ夢』にもゲスト出演していて、結婚式のシーンで地元マハーラーシュトラ州の色っぽい踊りをご披露しています。ヴィディヤーVs.ヴィディヤー、その対決も見ものです。ますます充実する「インド映画冬の陣」、来年も楽しみですね~。では、ヴィディヤー・バーランの迫力あるターマーシャーの画像をクリスマス・プレゼントにして、Merry Christmas!

 

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