1月15日(木)夜、新宿の安田生命ホールで『ミルカ』の試写会があり、日本に着いたばかりのラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督が登場しました。上映前のご挨拶で、司会は八雲ふみねさん、通訳は『チェイス!』の時もアーミル・カーンの通訳を担当していらした野村佳子さんです。
セーターにジーンズ、そしてマフラーというラフな格好で登場したメーラ監督、しばらく言葉を探しているのか、言いよどんでいる感じが伝わってきます。
「アリガトウ。とても素敵な気分で、今鳥肌が立っています。今日は私にとって、大変重要な日となりました。
この映画が私にとって特別な映画で、その完成した映画見ていただくから、というだけではありません。それと共に、日本は私にとって特別な場所なんです。30年前、私は自分の仕事のキャリアを日本でスタートさせました。日本車がインドに入ってくるようになった頃、私は広告会社で働いていました。22歳だった私はマツダに乞われて来日したのですが、日本の状況を知るために工場でしばらく働き、また広島のガソリンスタンドでも少しの間働きました。さらに、東京の広告代理店、電通だったんですが、そこでも仕事をしました。3ヶ月ほどだけでしたが、小さな広告の仕事を担当したのです。こうして、私の人生の初仕事は日本で、ということになったわけですが、その後の私の仕事に、日本での経験は大いに役立ってくれました。
25年ぶり、いや28年ぶりですね、ここに戻ってこれて、まるでわが家に戻ったような気分です」
続いて司会者からは、「この映画の主人公ミルカ・シンは実在のアスリートですが、彼の人生を映画化しようと思ったきっかけは何だったんでしょうか?」という質問が。
「お答えするのは容易ではありませんね。これは単なるスポーツ選手の映画ではありません。
我が家の子供たちは、息子が13歳、娘が16歳です。友だちもいっぱいいて、家に遊びに来たります。息子はスカッシュと乗馬をやっているんですが、よく靴のこととか栄養のこと、ラケットのこととかで文句を言っています。体育館が寒すぎるとか、かと思うと暑いから練習に行かないとか、いろんなことを言うわけです。
インドは現在発展途上です。とても歴史のある国で、古くからの豊かな伝統文化を持っています。ですが、まだ新しい国家とも言え、独立して65年にしかなりません。独立後4、50年は貧しい国だったんですが、最近になって皆一生懸命働き、発展しつつあります。
この映画の主人公は、ミルカ・シンです。インドとパキスタンがイギリスから分離独立した時は、すんなりといったわけではなく、多くの血が流され、争いがたくさん起こりました。その時に、最もつらい目に遭ったのは女性と子供です。今の世の中でも、南アフリカとか、中東とか、どこでも女性と子供が一番苦しんでいます。同じように、ユダヤ人のゲットーとかでも女性と子供が一番苦しい目に遭いました。インド・パキスタンの分離独立時も同じでした。
12歳だったミルカ・シンも、父や母、姉妹に3人の兄弟、従兄たちが殺されるのを目撃しました。小さな少年なのに、住む家もなく食べる物もなく、靴もなかったんです。そこから出発して、ミルカはチャンピオンになります。インド新記録を打ち立て、200mと400mでアジア最速の男になるのです。さらに、英連邦競技会の記録も破り、世界記録も更新する。
もし、このミルカにできたのなら、私の息子やその友人たちもできるはずです。我々は自分たちが手に入れてない物について、不平を述べ立てる。でも、本当に必要なのは精神力なんです。人にはいい時もあれば悪い時もある。国家も同じで、国の歴史の中でもひどい運命に見舞われる時もある。そういうつらい時にこそ、それぞれの人間性が現れるのではないかと思います。今の時代、そのようなメッセージが求められている、だから、この作品がヒットしたのではないかと思います」
司会者の「ライバル選手役には、外国からゲストを募ったと聞きましたが、これは監督のご希望だったのでしょうか?」という質問には、次のような答えが。
「ミルカ・シンは実在のアスリートですから、それは重要なポイントでした。レースのシーンを撮る時は、実際のアスリートを使うことが必要とされたのです。
東京でのアジア大会、英連邦競技会、ローマ・オリンピックなどでは、世界中のアスリートを起用する必要があったので、我々はいろいろリサーチをしました。メルボルン・オリンピックも、ミルカにとっては重要なシーンですしね。ですので、大学でのトップ成績の人、今後チャンピオンになるであろう人などを、世界中の国から集めました。それで、ああいった長いカットに耐えられるシーンができたのです。短くカットを切って、つないでいく必要はありませんでした」
ということで、日本選手役で特別出演をした武井壮さんが拍手の中にこやかに登場、監督とガッツリ握手。司会者が、「武井さんとの撮影のこと、憶えていらっしゃいますか?」と監督に尋ねました。
「デリーのスタジアムで撮影をしていた時、インド人選手やオーストラリアからの選手などが集まっていたんですが、彼は撮影の1日前にやってきました。レース・シーンの前に、準備運動としてみんなにカメラのジャンプをしてもらったのですが、彼はこ~んなに(と腕を肩の辺りまで上げる)ジャンプしたんですよ(笑)。ですので私は、もうちょっとスローダウンしていいよ、と彼に言いました」
この暴露には、武井さんも「そうでしたねえ~」と大笑い。
監督は続けます。
「素晴らしい思い出になってます。彼はその1日、すごく楽しませてくれました。我々が何を撮りたいのか理解してくれ、しっかりと責任を果たしてくれたんです。自分が走るだけでなく、他の出演者をリードしてくれて、他のランナーもそれらしく見えるように気を遣ってくれました。とてもありがたく思っています」
ここで武井さんが司会者にうながされて、わざわざインドまで撮影に行った経緯を話してくれました。
「まだ僕がテレビに出る前だったんで、まったくヒマな頃だったんですね。仕事がなかった頃で、ちょうど今僕のマネージメントをお願いしているマネージャーと出会った頃でした。全然仕事がなくて、どうしようかと悩んでいたんですが、その頃FBに、この『ミルカ』の出演者を探している、という記事が載っていたんです。
それは日本陸連の方が載せていたんですけれど、そこにあった条件は、リアルなアスリートで、英語が理解できて、1人でインドに来られて、撮影に2週間参加できる人、というものでした。そしたらそこにいろんな陸上選手とかが、”それなら武井壮さんがいい”と書き込んでいたんですよ(笑)。それで僕の所へ陸連の方、元400mハードルの世界選手権にも出場した山崎選手から連絡が来て、エントリーしてみないか、ということで、自分のプロフィールを送ったら、ぜひ来て下さい、という連絡が映画の製作会社から来て、インド行きのチケットが送られてきたんです」
「こりゃー、何かご縁があるのだろうな、と思いまして、で、1人で。その頃は貯金も1円もなくて、借金生活とかしていたんですが、今のマネージャーから1万円借りてインドに渡りました。でも、その1万円も両替するのを忘れてしまって。インドでは両替できないんですよ(注:到着時に空港で両替するのを忘れ、市内では簡単には両替できなかった、ということらしい)。
それで1円もない(注:現地通貨だから”1ルピーもない”ですね)ので、インドに着いた初日にマーケットに行って、コブラの笛を吹いているおじさんの横で新聞紙を広げ、逆立ちしてクネクネ踊っていたら、コブラより稼いでしまった、というわけで(爆笑)。そのおかげで撮影を乗り切りまして、この出演に至ったという、そんな経緯なんです。
まさかね、こんな登壇させていただいて、当時遠くで見ていた監督とこんな風に一緒にお話しさせていただくなんて。本当に光栄で、すごい巡り合わせだったな、と思っています。人生は最高に面白いですね」
ここで司会者から、「完成した映画をご覧になって、いかがでしたか?」と聞かれた武井さん、また熱く語ってくれます。
「僕、この映画を先月だったかな(注:ホントは10月です)、試写で見させていただいて、衝撃を受けました。インド映画を劇場で見るというのは初めてだったんですよ。DVDを見たことはあったんですが(注:『きっと、うまくいく』『チェイス!』等をご覧になっているそうです)、劇場で見た時にはそのパワー、エネルギーみたいなものに圧倒されました。自分も出てるんですけど、そんなこと関係なくて。
僕は今タレントとして活動してますけど、毎日成長しないといけません。毎日自分の人生を大きくしていかないと、どんどん新しい若手がやってきて、自分の話はあきられてしまって、いつかはいなくなってしまうと思うんだけど、僕らはそういうエネルギーを毎日積み重ねないといけないと思ってるんですね。でもこの作品は、それに向かっていくパワーを容易に与えてくれるというか。僕が今まで見た映画の中でナンバーワンに近いぐらいの、自分のやる気をかき立ててくれ、モチベーションを上げてくれた映画になりました。ホントに、自分が出たというひいき目抜きに、すごいパワフルな、エネジーあふれる映画ですので、ぜひ皆さん楽しんでいただきたいと思います」
まさに、武井壮さんの独壇場です。(ちょっと、後でロビーで撮らせていただいた正面のお写真も付けておきましょう)
司会者の「タレントとして活躍なさる前に、俳優としてもキャリアをスタートしてらした、ということですね。この作品がきっかけで、海外からもオファーが来る可能性があるかも知れませんね」というコメントに対しては――
武井さん「この『ミルカ』に至っては私の無名時代で、ライバル役のアスリートという感じで出させていただいた、もう、エキストラと言っても過言ではない役柄だと思うんですけれど。でも、重要な、大事なシーンに出させていただいているので、皆さんにも、あ、武井壮だ、とわかっていただけると思います。
俳優になりたいからと思って出てるわけではなく、今もタレントになりたい、コメディアンになりたいとか思って出ているわけではなくて、武井壮として、自分が幸せだと思って過ごせる面積を増やしていきたい、という思いが一番なんですよ。生きてると意外と、今日つまんねーなとか、こんな仕事面白くねーなとか、思ったりしてたんですよね、昔は。だけどそれって、僕がその物事の楽しみを感じる力が弱いだけで、僕がもっと能力が高くていろんなことができて、いろんな人に喜んでもらえる人間でいたならば、地球のどこに明日落とされてても、楽しいなって言える自分でいると思うんですよ。
それが僕の目標なんで、この映画に出させていただいたことでインドを始めいろんな国で上映されて、これがきっかけで、もしまたインド映画に呼んでいただけるようなことがあれば、それはまた僕の力になります。どんどんどんどん、俳優としてではありませんが、武井壮としていろんな作品に出させていただきたいなと思っております」
(これも、映画上映開始後にロビーで撮らせていただいた写真です。弁舌も表情もさわやかな方でした)
ここで、司会者の方が武井さんに、「最後になりますので、映画の見どころはホントにたくさんあると思うんですが、お客様にもう一言いただければと思います」と振ります。
「そうですね。本当に日本に暮らしていると、不便なことはまるでなくて、世界で一番平和で豊かな国というか。世界40カ国ぐらいお仕事で回っていますけど、日本は最高に便利な国だと思っています。だけど、どんな国に行っても、毎日を楽しいなって言ってる人が一番少ないのは日本じゃないかっていう、ちょっとした自信のなさに襲われるんですね。でもこの映画からは、本当に、何もないところから自分の足一つで世界のトップに立つ男が生まれますし、その姿を目の当たりにすると、それが全部実話ですから、その物語から自分の人生をより楽しく、より色濃いものにしていきたいという気持ちが生まれます。そんな気持ちを手に入れることが簡単にできる素晴らしい映画だと、僕、思っています。必ず皆さんのこれからの人生の毎日にプラスになってくれると思いますので、ぜひ皆さん、存分にお楽しみいただければありがたいと思います。ありがとうございました」
続いて司会者の方が、「監督からも一言メッセージを」と促します。
「特にメッセージとかはないのですが、今日時間を作って下さってこの映画を見に来て下さった皆さんに御礼を申し上げたいと思います。明日からは、この映画は皆さんの映画となります。そのような気分で、楽しんでいただければと思います」
そしてここで、監督から武井壮さんへのプレゼントが登場。『ミルカ』のインド公開版ポスターの初版刷りで、その上にミルカ・シンがサイン、「2011.11.28 愛を込めて」と入っています。これまでずっと監督の壁(お宅なのか、それとも事務所なのか)にかかっていたそうなのですが、今回来日するにあたって、武井さんに何か特別な物をプレゼントしたい、ということで持ってきて下さったそうです。喜んだ武井さん、またまたトークが始まります。
「このミルカ・シンさんとはまたちょっと僕、別のストーリーがありまして。僕がまだテレビに出る前、30歳ぐらいの頃に、日本のプロゴルファーで市原建彦選手という方がいるんですけれど、彼のコーチ、トレーニングコーチをしてたんですね。市原選手は若い頃、ジュニアの頃は世界最強だったんですよ。世界ジュニアチャンピオンで、今同世代で戦っている選手の中では最強と言われている選手だったんですが、日本でスランプになっちゃいまして、その選手が僕の所にトレーニングしてほしいということで来たんです。
それで僕と一緒にトレーニングを1年か2年やりまして、その次の年に読売オープンという九州で行われた試合で優勝するんですけれども、その時はプレーオフで勝ったんですね。そのプレーオフをした相手というのが、このミルカ・シン選手の息子さんの、ジーヴ・ミルカ・シンというインドの選手だったんですよ。僕は彼が有名なインドの陸上選手ミルカ・シンの息子だとは知っていたんですね。ミルカ・シン選手の名前も知った上で、この映画のオファーをFB上でいただいて、ホントに衝撃を受けて、何かご縁があるなと。一緒に作り上げた選手が戦ったライバル、そのお父さんの自伝の映画に私が出させていただくなんていうのは、ご縁があるなと思って出たんですが、そこがスタートとなりました。
インドに撮影に行った時に、アクシャルダム寺院というところに行ったんですね。発音が正しいかどうかわからないんですが、そのお寺はすごい美しくて、全部が彫刻でできているんですよ。境内から中まで、すべて動物だったり人だったりの彫刻でできているんです。ホントに奇跡の産物みたいなお寺で、その中に僕、入った時に、いろんなお願い事をしたんです。自分の持っている力をいろんな人に見てもらえて、世界中で楽しい時間を過ごせるようになるように、とお願いしたら、ちょっと体が浮き上がったような感覚を得たんですよ。それで手のひらに乗っかっているような気分になって、ふわ~としてお祈りして帰ってきたんですね。
その帰ってきたあとに、僕は初めてテレビに出ることになったフジテレビの深夜番組「うもれびと」の出演がすぐ決まりまして、そこから以来1日も休みがないという状態が続いて、今日に至ります。ホントに僕の、なんて言ったらいいんですかね、今の道につながる最初のご縁になったような作品です。一生の思い出になると思いますので、このチャンスをいただいた監督には、本当に感謝しておりますし、一生私の支えになる記念として、これをいただきたいと思います。ありがとうございます」
(こちらも、映画上映開始後にロビーにて。プレゼントにもらった『ミルカ』のポスターを抱えて)
拍手の後武井さんは、「舞台挨拶長くなっちゃってすみませんね。早く映画を見せろ、と思ってらっしゃるでしょうね。そろそろ終わりますんで」とナイスフォロー。予定はここまでで15分のはずが、とっくに30分をオーバーしてました。しかし、こういう気配りもきちんとできる方で、感心してしまいます。いい人が『ミルカ』に出演してくれましたねー。
というわけで、長い舞台挨拶が終わって最後の記念撮影。この時は、「観客の皆様もどうぞいくらでもお撮り下さい」とお許しが出て、皆さんスマホをかまえてパチリパチリ。盛大な拍手に送られて、ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督と武井さんは退場していきました。そして、いよいよ『ミルカ』の上映開始。終了時には大きな拍手も起きて、思い出深い試写会となったのでした。
これをまとめたり、監督のインタビューをしているうちに、早くも武井さんはツイートするなど大活躍。『ミルカ』は1月30日(金)からの公開です。公式サイトで劇場をチェックして、2週間後に備えて下さいね。